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ようこそ「令和」

本日、新元号が「令和」に決まりました。
まだ一発で変換してくれませんが。。。

「令」は命令の令だし、律令の令だし、何となくお上を連想させる面がなくもありません。
ただ、クールでスマートな語感もあります。

IT技術によるスマート化が進む、今の時代と意外に親和性があるかもしれません。

漢籍ではなく、万葉集からとった、というのがいいですね。
安倍首相、ほとんどペーパーを見ないで会見されてました。一生懸命に万葉の歌を覚えて会見に臨まれたのでしょう。これぞ一国一城の主、とても好感が持てました。

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テレビのインタビューで皆様が異口同音に語っておられるように、景気後退や災害など試練が多かった平成の時代を超克し、新しい時代の幕開けになってくれることを祈るばかりです。

さて、今回これほど年号で盛り上がりを見せたのは、SNSなどの普及も背景にあると思いますが、年号が国家としての節目であるのはもちろんのこと、皆さんそれぞれにおいて、個々の人生の「節目」として年号をとらえている、ということがあると思います。
でなければ、これほど年号に関心が集まることはないでしょうし。

竹に節があるように、時の流れにも「節」がある。日本人の場合、元号はそこに見事にはまっています。はるか紀元前からの悠久の歴史を持つエジプトや中国と異なり、時間の流れや蓄積がイメージ可能な範囲であることも大きいと思います。

さて、短かった大正は除き、明治が45年、昭和が63年、平成が31年と、明治維新以後は長寿の?元号が目立ちます。特に、昭和の63年は、元号の歴史の中で、突出して長い元号のようです。
ためしに、20年以上続いた元号を調べてみたのですが、

729~749 天平 21年
782~806 延暦 25年
901~923 延喜 23年
1346~1370 正平 25年
1532~1555 天文 24年
1573~1592 天正 20年
1596~1615 慶長 20年
1624~1644 寛永 21年
1716~1736 享保 21年

などとなっています。
明治、昭和、平成がいかに長い時代であったか、よくわかります。

短いものでは2年や3年で終わってしまった元号も多数見られます。
特筆すべきは平安時代で、平安時代だけで実に90近い年号の数です。
これには驚きました。
それだけ、天皇陛下が頻繁に代わられていたのですね。

元号が長く続くということは、それなりに世の中が安定していたということにもなります。
もし年号が数年で変わっていたら、人々の年号に対する思い入れも今ほどではなかったでしょうし、そもそもシステム障害やらで社会が混乱していたことでしょう。

5月1日から始まる令和の時代、果たしてどんな時代になるのでしょうか。
核、地球温暖化、AI、格差の拡大、多様性、いろいろありますが、平成以上に混沌とした時代になるのは間違いなさそうです。

グローバル化が加速度的に進む中で、日本という国はどうあるべきなのか、原点に立ち返って考え直す機会にしなければなりません。
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北関東・東北地方大水害に想うこと

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写真:「真実を探すブログ」より転載


9月10日に鬼怒川の堤防が決壊して、常総市一帯が広く浸水し、甚大な被害が出ています。
被災された方におかれましては、心よりお見舞を申し上げると同時に、一日も早く元の生活を取り戻されることを祈念してやみません。

さて、各社のテレビ報道を見ていて、いろいろなことを感じました。
まず、常総市が鬼怒川に面した一部地区に避難指示を出さなかったから、こういう事態を招いたではないか、という論調の一部マスコミには、大きな違和感を覚えました。これは天災ではなく人災だ、みたいなことを言いたいのでしょうか。
大島での土砂災害の時も、避難指示を出さなかった町長さんを吊し上げるような光景が見られました。
結果論の「たら、れば、」なら誰でも言えることです。マスコミのレベルが下がったな、というか、物事の表面しか見ていないな、と思います。

市町村には、防災のプロはいない、と思ったほうがいいでしょう。
気象庁や県から随時寄せられる情報、市民の方から寄せられる電話やツイッター情報をリアルタイムで的確に処理し、完璧なタイミングで避難指示をだし、犠牲者をゼロにできる市町村など、そもそも存在すると考えるほうが頭がおかしい。いつ、どこで堤防が越水するから、決壊までの時間、避難に要する時間を考えて、このタイミングで避難指示を出す、なんてことは、預言者でもない限り不可能なわけです。それに、降雨や路面の状況によっては、やたらと避難指示を出せば、かえって危険である、という判断も当然成り立ちます。
大自然が相手ですからね。何が正しい判断かなんて、誰にもわからない。
誰かを悪者にしようとする報道の仕方は、本当にやめてほしい。もっと広い視野から考えて報道してほしいと思う。

ひるがえって、住人の立場から考えた場合、あれだけの切羽詰まった状況にあって、「逃げるか、とどまるか」という自らの命をつなぐための究極の判断を、他者からの指示だけに委ねるなんて、どう考えても楽観的すぎるのではないでしょうか。
たとえは不適切かもしれませんが、韓国のセウォル号の時も、「船室の中にとどまってください」とアナウンスしていたけれど、結果的には、甲板まで脱出するのが正しい判断でした。
自分自身では判断できないし、決断できないから、役所の指示を待つというのは、理解できないわけではありません。子供やお年寄りを抱え、自分だけでは行動できない事情もよくわかります。
ただ、やはり、こういう非常事態には、自分の身は自分で守る、役所の指示をあまり当てにしすぎてはいけない、ということをもう一度、わきまえるべきではないでしょうか。

常総市は、鬼怒川と小貝川にはさまれ、標高も周囲より低く、水害が生じやすい地形的条件を備えていました。
国土交通省の浸水シミュレーションでも、市の全域がほぼ水没する想定になっていました。
今回の浸水被害と、見事に一致しています。
だけど、危険な地域に住んでいると自覚されていた方は、一体どれほどおられたのか。

東京都のOBで、河川行政の専門家である土屋信行氏が著した「首都水没」(文芸春秋社刊、平成26年)に、興味深い話が紹介されています。

今の江戸川区や荒川区、足立区など、かつての荒川放水路の東側の地域(東京東部低地)は、もともと湿地帯で昔から水害が生じやすく、舟を使った生活が日常に根づいていて、家の造りも水害を想定したものになっていたそうです。
母屋は1~2mくらい土を盛った上に建てて、水没しないようにし、それでもいざという時は、大切な仏壇を「滑車」で2階に吊り上げられるような仕組みにしていたというから、驚きです。そして、蔵は母屋よりさらに土盛りし、大切な米や味噌、醤油などを運び込んでいました。

土屋さんがあるお宅を訪問したところ、柱に一定の高さで「ほぞ穴」が掘られているのに気付きました。そのお宅に何度も通った結果、洪水の危険が迫った時に、床板を外して「高床式」にするのだ、ということを教えてもらったそうです。つまり、ほぞの位置に桁を架けて、床板を高い位置に並べて中二階のような形にし、畳を上げておけば、床上浸水しても畳は濡らさずに済みます。思うに、高床式にすることで、家の中に入り込んでくる水を受け流し、建物が水圧で浮き上がるのを守る効果もあったのかもしれません。
また、これらのお宅には、大抵、納屋の軒先に小舟が1~2台、吊り下げられていたそうです。

これは、決して東南アジアのベトナムやタイの伝統住居の話ではなく、昭和初期までの東京東部低地では普通にあったことです。
何度も何度も水害にあった地域にあって、昔から、水と付き合うために受け継がれてきた知恵だったのでしょう。

今は、水害というものの怖さを忘れてしまっていたのかもしれません。
もし堤防が決壊して浸水したら、どうやって家を守るか、という知恵や工夫がなされた家は、映像を見ている限り、残念ながらないように思えてしまいます。
今回、決壊した堤防のすぐそばに建っていた白いへーベルハウスが倒壊したり流されたりしなかったのは、鉄骨フレームの強度、外装材の耐水圧強度が高かったことと、鉄骨の地盤補強杭が洗掘に耐えたためでしょうか。ただ、昔のことを考えれば、土地をもっと盛土し、基礎も高くしておくべきだったかもしれないし、あれだけ堤防に近いことを考えれば、洗掘対策ももっと考えておくべきだったかもしれません。
バリアフリーや利便性、コストを考えると二律背反で難しいですが、どちらを優先するかを考えれば、50年100年に1度の洪水よりは日常の利便性が優先されるは仕方がないのかもしれないですね。

ちなみに、この「首都水没」には、大都市東京がいかに水害に弱いかがリアルに描かれていて、これを読むと、毎日東京に出勤するのが恐ろしくなります。

堤防を絶対と考えてはいけないことは、私たちは3.11の教訓として学んだはず。
ただ、堤防は崩れるという前提でものを考えた場合、今までの常識は覆ってしまいます。

結局、自分を守るのは自分しかいない、そこにたどり着くしかいような気がします。

新国立競技場の風景

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東京オリンピックに向け、現在の国立競技場は解体され、新しい国立競技場が建設されることになる。
古い国立競技場は、サッカーで何度も行ったし、どこか昭和的な、懐かしい感じがしたものだ。

で、新しい国立競技場に対しては、巷でかなり騒々しいようである。
著名な建築家の先生は、デカすぎて明治神宮界隈の景観を破壊すると、一部の政治家の先生は、資材価格高騰で当初予算を大幅にオーバーするからと、いろんな立場の方がいろんなことを喧々諤々言っている。いずれも正論で、まっとうなことを言っているように思える。でも、市民の人たちの意識は低いなあ。もう決まってしまったんことだし、自分たちには関係ない、みたいな空気が社会全体を覆っているような気がするのだが。

で、個人的には?
当選案を見たときの第一印象としては、「おっ、めっちゃカッコいいじゃん!」。

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横浜の大桟橋の時も、弱冠30歳のスペイン人の若手建築家が国際コンペを勝ち取った。
コンペで落選させられた日本の大御所の一部は、頭から湯気を立ててカンカンに怒っていた。
パースを見たとき、多くの人が「なんじゃこりゃ」と思ったはず。

でも、出来上がってみれば、港ヨコハマを象徴する、実に美しいランドスケープになっている。
そもそも、日本人は、決まったことには異を唱えない。すぐになびいてしまう。
最初は違和感を感じていた人たちも、出来てしまえば、奥さんと手つないで「すごいねー」とか言ってるし。

ザハ・ハディドは、イラク生まれイギリス育ちの女性建築家。そのデザインの奇抜さ、斬新さから、「すごすぎて建築できない建築」とか言われている。
確かに、彼女の事務所のホームページで、さまざまな提案を見てみると、「すごい」の一言である。
現実離れしているというか、リアルじゃないというか。ぶっ飛んでいる、というのはこのことでしょうね。

でも、競技場というのは、あるいみ非日常の空間なのだから、普通じゃつまらない。
しかも、国を代表するランドスケープなわけだし。
審査委員会も、東京オリンピック招致を勝ち取るために、多少無理しても斬新な案を、と模索したのであろう。
それに、世界に名だたる日本のゼネコンの技術力をもってしたら、つくれないい建築なんて、ありっこない。
図面見て、最初は驚くけど、次の瞬間には、どうやれば造れるか、具体的なシミュレーションが頭の中で始まっている。
そうやって、技術は進化してきたわけだし。

ただし、もちろん、予算が潤沢に出れば、の話である。
おそらく、こんな建築が現実に実現するのは、カネあまりの中東か中国ぐらいのものだろう。
日本はいまや金欠だから、反対論が出るのも仕方ないかもしれない。

で、ザハさん、結局はデザイン変更して、こんな「廉価版」を出してきた。

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なんだか、まるでチンケになってしまった。元のほうがずっとずっとよかったのに。
流れるような美しい流面形がそがれてしまった。
これでは、飛車角落ちのようなものだ。


ところで、最終審査に残った案のうち、個人的に印象に残ったのは、フランス人建築家、ドレル・ゴットメ・タネ/アーキテクト&アー+アーシテクチュールのプラン。

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なんだか舌をかみそうな名前ですね (日本語って、フランス語と親和性がないんだな)。
与えられた敷地すべてを使って、小高い緑の丘を作り、その中に競技場を造る、というもの。
思い切った案ではあるけど、実現性は十分ある。
(開口面積が小さめで、芝の生育に問題がある、というケチはつくかもだけど)
大都会の真ん中に森をつくる、という発想が良い。
たしか、だいぶ昔の設計で、東京都調布市の市民体育館が、同じような発想じゃなかったかな。
自然と共存するスタジアム。
これぞ、21世紀、環境の世紀の新しいスタジアム像だ、と思うんだけど、いかがなものか。
でも、審査委員の人たち、はなから当選させるつもりないのに、一応こんなのも検討したんですよ、みたいな感じで、なんかいやらしいなー。

ザハ案は、おそらく、ドバイの砂漠地帯に建ったら、めちゃくちゃカッコいいだろう。
夜はライトアップされ、幻想的な雰囲気に包まれる違いない。
ドバイ国際空港を離発着する飛行機の機内は、乗客の歓声に包まれることだろう。
残念ながら、日本という高温多湿の農耕民族の国には、やはり不釣合いなのかもしれない。

くまがやドームは、どうなる?

このたびの雪害で、全国ニュースでは報じられていない被害がまだまだありそうです。
その代表格が、私の住む熊谷市にある「くまがやドーム」。
ランドマーク的な超高層がない熊谷では、シンボル的な構造物です。

今年二度目の大雪の際、月曜日の朝、地元の被害が知りたくて、普段滅多に買わない「埼玉新聞」をキオスクで買いました。電車の中で、社会面を広げて、びっくり仰天しました。
 ↓
くまがやドームの屋根、ほぼ全壊 残雪や強風影響で


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残った雪や強風の影響で屋根がほぼ全壊した=16日午後4時ごろ、熊谷市上川上の「彩の国くまがやドーム」

雪の重みで屋根が裂けた熊谷市の「彩の国くまがやドーム」では、残った雪や強風の影響で被害が拡大し、樹脂コーティングガラス繊維膜でできた屋根がほぼ全壊した。
15日時点での被害規模は幅約50メートル、長さ約100メートルだったが、16日時点では強風の影響などもあって幅約80メートル、長さ約150メートルまでに広がった。今後の復旧のめどは立っていないという。
熊谷市は16日、災害対策本部の設置を決定。被害状況を確認するとともに、幹線道路を優先的に除雪作業を進める。担当者は「これほど前例のない雪の被害は想定していなかった」と話している。
埼玉新聞 2月17日(月)13時22分配信

富士見市の体育館は屋根全体の崩壊でしたが、くまがやドームでは膜材の破断と言うのが正しいのではないでしょうか。
現地を見に行ったわけではありませんが、写真で見る限り、屋根を支える金属部材は破損していないように見えます。
「屋根がほぼ全壊した」というのは、違和感があります。

くまがやドームについては、受注したゼネコンのサイトなどで詳しく紹介されています。
 ↓
こちら

そもそも、この「くまがやドーム」、有名な構造設計者である梅沢良三氏の設計によるもので、日本の構造設計の粋を集めた、きわめて高度な構造です。
優れた建築構造設計者だけが加盟できる「日本建築構造技術者協会」(JSCA)において、JSCA賞も受賞しています。
 ↓
こちら

構造設計の考え方が詳しく書かれていますが、素人が理解できるかどうかはともかく、膜屋根と金属屋根のハイブリッドという、非常に考え抜かれたデリケートな構造であることがわかります。
ただし、構造の設計というのは荷重の設定から始まるわけです。
想定する荷重次第で、構造のバランスはまったく違ったものになります。
上記の文章では、雪荷重については残念ながら言及されていません。
そもそも膜構造では、主に風荷重で構造が決まると言われているわけだし、雪荷重をどう支持するか、素人が常識的に考えても相当に難しいはずです。
今回の積雪は「想定外」そのもので、特に熊谷は、年間の晴天日数が全国的にも有数で、そんなところで1m近い雪荷重など想定するはずがありません。
降雪後の雨で雪が水分を含んで重くなったことも、大きな原因だったでしょう。
金属部材が座屈しているとは思えないので、現象としては、単純に、テフロン膜材が積雪荷重に耐えられずに破れたということなのかな。

だとすると、日本初の本格的なエアドームの東京ドームは、これだけの積雪に果たして耐えられるのでしょうか。空気圧だけで、これだけの雪の重さを支えられるのか。。。素朴な疑問を抱きます。

積雪地のドームとしては、秋田の大館樹海ドーム、富山や出雲のドームがありますが、いずれも勾配を大きくして雪が積もらないようにする、積もる前に落とすことを基本的な考え方にしているようです(もちろん、積雪地相応の雪荷重を見込んだ上で)。
くまがやドームの優雅さは、屋根のなだらかな形状にあります。雪がない地域だからこそ、こういう形が可能になったのでしょう。


さて、問題は、「くまがやドーム」をこれからどうするかです。

こんな爆弾低気圧が何度も来て、大雪が頻発するようであれば、膜による再建は難しそうですね。
ただ、金属屋根部分が健全なまま残っているのに、すべて撤去して別の構造の屋根を架けるのは、コスト的にもありえない話です。
だとすると、今の残存している金属屋根をベースに、テフロン膜の耐雪性能を設計し直すしかないのかな。
テフロンの引張強度を高めるため、多少、透明度が落ちるのは覚悟でガチガチに補強するとか。
テフロン膜と金属部材の接合強度を高めるとか。
融雪機能を盛り込むとか。
積もった雪が滑りやすい表面性状にするとか。
いずれにしても、カネがかかるのは避けられない。

いずれにしても、JSCAの先生方が現地視察し、しかるべき再建策を提示してくれるのを待つしかありません。


優れた構造とは、「安全率」という曖昧な逃げ道を可能な限り排し、明確な構造コンセプトを合理的に追求したもの。
考え抜かれた優れた構造であるほど、まったく想定しなかった原因で、足をすくわれやすい、のかもしれない。
ある意味、普通の構造は、多少の安全率を無意識に盛り込んでいるので、有事の際にも致命的な被害にはなりにくい。


好事魔多し、というべきなのか。

なにせ、熊谷のシンボルです。
何としても、かつての優雅で美しい姿を取り戻してほしいと願います。

テーマ : 地震・天災・自然災害
ジャンル : ニュース

プチ豪雪地 熊谷

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先週と今週、二週続けて、関東地方は大雪に見舞われました。
特に、私の住んでいる熊谷。
先週が43cm、そして今回が62cmでした。
もちろん、こんな大雪は人生初。
本当に参りました。

先週の週末は2月7日(金)の晩から降り始めました。
予想では大雪と言ってましたが、半信半疑でした。
しかし、8日(土)の朝、目が覚めると、もう別世界。
それからもしんしんと降り続き、夕方の時点で22cmくらいでした。
もちろん、雪かきしたけれど、追いつくはずもなく。
そして、9日(日)の朝には、43cmも積もっていたわけです。
昨晩、雪かきしたところに、プラス20㎝も積もってた。

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日曜の朝、ご近所の皆さん、スコップもって呆然としていた姿が印象的でしたね。
そういう私も、その一人ですが。
日曜日はかなり気温も上がり、雪もいいペースで溶け始めましたが、1日で溶けてくれるほど甘くはないわけで。

10日(月)の朝、悪い予感は的中。
まだ日が明ける前の6時すぎ、家を出ます。
駅までの道、大通りは問題ないのですが、1本曲がると、そこはツルツルのスケートリンク状態。
慎重に慎重にと思いつつ、ついにやってしまった。
スリップして尻餅をつき、その際に右手の親指の付け根のあたりを地面に強く打ち付けてしまいまして。
あ~あ、やっちまった。。。
電車に乗ると、かなり腫れてましたが、せいぜい打撲かなんかだろうとたかをくくってました。
しかし、です。
数日たって、腫れは引いても痛みがなかなか引かないため、金曜日の昼休みに医者に行ってみたら、骨にひびが入っていました。
全治4週間との診断をもらっちゃいました。
医者からは「週末の雪かきは厳禁ですよ」と言われてしまった。
いやいや、だって今晩からまた大雪になるんでっせ。

そんなこんなで迎えたこの週末。
14日(金)から降り始めた雪は、夕方には本降りになって、15日(土)の朝、目覚めてみたら、もうびっくり。
先週より大雪になってるし。
これはもう、プチ豪雪ですね。
結局、15日(土)と16日(日)の2日間、雪かきに追われっぱなし。
医者からはドクターストップかかってたんですけどね。
そんなこと言ってられる雪の量じゃないし。
さすがにぐったりです。
もう勘弁してくれ。
積雪寒冷地の方たちの苦労がやっとわかったような気がします。
おかげで、かまくらができそうなくらいの雪の山ができました。

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後から聞いた話ですが、JR高崎線、金曜日の午前0時頃、籠原駅で架線が切れて停電し、それから24時間以上、全面ストップしていました。照明も暖房もない電車の中で2000人くらいが一夜を過ごし、夜が明けても電車もバスもタクシーも来ないという大変な状況だったようです。乗客の一部が怒って駅員さんにつかみかかるなど、かなり危ない雰囲気だったみたいです。やはり、こういう日は少しでも早く帰るに越したことはないですね。
JR高崎線も上越・長野新幹線も終日完全ストップなんて、記憶にありません。

それと、今回のプチ豪雪は、思いがけない被害をもたらしました。
アルミ製のカーポートの破壊です。
うちの周囲でも、ちょっと歩いただけで10数軒の家で、アルミ製カーポートがやられていました。
たいていは柱がぐにゃっと座屈して、中には根元から折れてしまった家もありました。
うちの隣の家は、折れたカーポートが雪ごとクルマに押しかかり、クルマも破損していました。
スコップもって援軍に行きましたが、後の祭りでしたね。
これからは関東でも、雪荷重を考慮した寒冷地仕様にしないといけないようです。
最低限、キャンチ(片持ち)はやめなければ。

今度の水曜日(19日)も雪の予報が出ています。
正直、もう勘弁してほしいです。

それより、明日の出勤、駅までの道は大丈夫かな。
この分だと、かなりやばそう。
軽アイゼン着けて駅まで歩くか、と真剣に考えてたりして。

それにしても、甲府の114cm、熊谷の2倍近いです。
どれだけすごかったんだろう。

テーマ : 天気
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fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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