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大津波とリアスホール

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昨年、東北を旅していた時のこと。

国道45号線で大船渡市内を南に向かって走っていたら、突如、進行方向右側に、コンクリートの塊のような大きな建築が見えてきた。
開口部が少なく、まるでお城みたいな、要塞のような建築物だ。

現代建築にはあまり興味がないので、そのまま通り過ぎたが、後で調べてみたら、新井千秋さんが設計された大船渡市民文化会館・図書館「リアスホール」であることがわかった。

新井千秋さんは建築家として、特に公共建築での実績が豊富な方だけれど、その割に、あまり一般に名を知られた方ではないようにと思う。

新井さんが教えている東京都市大学(旧武蔵工業大学)によると、この建築は、2009年度の日本建築家協会(JIA)日本建築大賞を受賞している。
この年は、戸尾任宏、若林亮、北山恒、山本理顕、仙田満といった名だたるお歴々をおさえての受賞だそうで、たいそう価値ある作品ということだろう。
写真は、東京都市大学のサイトからお借りしたものである。

印象深かったのは、「地元市民の声を反映させるため、約80回のワークショップを開いて意見を出し合いながら設計が進められて来た」こと。

この種の現代建築は、建築家の斬新な提案に、市民の理解が追いつかないという場面も少なくないだろう。
「建築の建てられていくプロセスが持つ「構築する力」で、市民の意識を参加から参画へと変容させることに成功した」ことも、受賞理由のひとつのようだ。

実際、この建築、かなり奇抜な、不思議なデザインであることは否めない。
長引く不況の中、大船渡市の財政事情は、決していいものではないだろう。ハコモノ行政への批判が高まる中、市民の貴重な血税を注ぎ込んで建てる建築である。

地元の方々が80回にも及ぶワークショップに参加した結果、このデザインが導かれたのだから、新井さんのプレゼン力、地元住民の方々との調整力もさることながら、大船渡の人々はさぞ進歩的というか、新しい文化、現状からの変化を受け入れる気質に富んだ人々なのではないか、と勝手に推測してしまう。

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その後、あの大震災が起きた。

リアスホールがあるあたりは、大津波の被害を受けていない。
津波被害を目の当たりにした後、この建築に向き合うと、このどっしりとした安定感、大地に根ざした一体感に、ふと安心感を覚えるのは、自分だけではないだろう。

仮にこの建築が海岸のそばに建築され、大津波に襲われていたとしても、恐らくびくともしなかったに違いない。あの悪夢のような大津波の中で、しっかりと中にいる人たちを守り、「要塞」としての役割を果たしたのではないかと思う。
やはり鉄筋コンクリートの塊は強い。
鉄骨造の防災庁舎が、骨組だけを残して無残に流されてしまったのと対照的である。
今にして思うと、大津波が来襲するのを見越したうえで、あのようなデザインになったのではないか、と思ってしまうのだ。

設計者の新井さんが、そして住民の方々が、設計のプロセスで、どこまで東北の大津波を意識されていたのかはわからない。ワークショップの記録を読んだわけでもないので。

でも、震災が起きる前に、このリアスホールがデザインされ、住民に受け入れられ、立派な賞も受賞していたということは、震災の記憶をそこに宿し、灯し続けていく、何か象徴的な意味合いが感じられてならないのである。

もちろん、すべての建築物をリアスホールのようにデザインできるわけじゃないけれど。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

東北のハワイ! 気仙沼大島の絶景

9月末,気仙沼大島へのボラバスツアーに参加したときのこと。

「大島の美空ひばり」を自認する宿のおかみさんはとても情熱的な方で,ボランティアの参加者に,大島を好きになって,またいつの日か大島に来てほしいという願いを何度も口にされていました。そして,

「大島は東北のハワイと呼ばれているところです。島で一番高い亀山(標高200mちょっと)に皆さんをご案内しますので,ぜひ,その美しさを目で見て味わってください」

ということで,みんなを2回に分けて,亀山の頂上へと案内してくれました。
災害ボランティアのツアーでこんなサプライズがあるなんて!

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すごい絶景です。
私は二番目の組でしたが,最初の組に参加した方から,「東北のハワイと聞いて??と思ったけど,本当にハワイみたいだったよ。絶対に見に行ったほうがいいよ」といわれました。私も最初は??でしたが,本当にハワイみたいでした! 皆さん声を上げて,本当に感動してました。

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私が住む関東地方には,このような景色はどこにもないので,いつまで見ても見飽きなかったです。

ただし,私は朝一番の組だったので,出掛けに寝ぼけてデジカメもケータイも忘れ,写真を撮ることができませんでした。この写真は,同室で仲良くなった,元山ヤで現在はサイクリストのKさんにいただいた,貴重な映像です。
Kさん,ありがとうございました。

関東で大島というと,伊豆大島ですよね。
私も今回の震災があるまで,気仙沼大島を知りませんでした。
この真珠のような美しい景色を,ぜひ多くの方々に知っていただきたいですし,多くの方々が大島を訪れるようになってくれれば,私たちツアーに参加した人間も嬉しく思います。これだけ美しい景色があるなら、少し時間はかかるかもしれないけど、島はきっと復興することでしょう。

今回のツアーで一緒になった方たちは,みな大島に愛着を持ってて,二度目のツアー参加を検討中の方や,早くもすでに行ってきちゃった方もいます。私も年内,また現地に行くつもりです。

ただし。

私たちが作業したエリアの隣に、背の丈ほどの草がぼーぼーに生え、大物のガレキが転がってて、かなり冠水している手つかずの田んぼがありました。「ここ大変そうだねえ」と皆で話していました。

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 ↑
元 田んぼです。

添乗員さん情報によると、現在ここにチャレンジ中、とのこと。

がんばらなきゃ!





テーマ : 伝えたい事
ジャンル : ブログ

大船渡でのワンショット

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東北地方の太平洋側をツーリングしたことがあります。
2006年夏のことでした。

千葉から東北縦貫道を北上し,一関で下りて国道284号線で気仙沼に出ました。
そして,国道45号線で海沿いに北上し,陸前高田,大船渡を通り,釜石に出ました。
釜石からは内陸部に入り,遠野,北上,水沢を経て帰京しました。

ハンドルを握りながら目に飛び込んでくる海岸線の風景は美しく,とても印象に残っています。
いつも,旅先では写真を撮りまくるのですが,そのときは不思議と,写真を撮りませんでした。

唯一,カメラに収めたのが,この写真です。

大船渡市を縦断する国道45号線沿いに建っていた立派な民家です。
北海道の鰊御殿のような,どっしりとした佇まいでした。
確か,大船渡駅から盛駅に向かう途中だったように記憶しています。

あの日は,大船渡の宿に泊まりました。
駅前の観光案内で紹介された,「海風苑」という旅館です。
ごじんまりした旅館でした。
港からほど近いところでしたから,今頃どうなっておられるのか。。。
気になります。

その日の晩は,「活魚すごう」というお店で,刺身定食をいただきました。
とってもおいしかったです。
鉄筋コンクリートか鉄骨の建物でしたから,建物は残っているとは思いますが。。。

この写真の民家も,国道45号線があのような状態では,今は残っていないのかもしれません。

かつて旅したところが自然の猛威によってズタズタにされる。。。
やるせない気持ちになります。

気仙沼も陸前高田も釜石も,国道に沿って走っただけですが,せめてもっと写真を撮っておくべきだったなと悔やまれます。かつてこんなに味わい深い街があったという記憶を,後世の人たちは写真でしかしることができないのだし。

旅のときに,現地でいただいたパンフレット類を大切に保管しています。
当時の資料箱には,大船渡市が編集した「遊びカタタログ大船渡」,「椿の里 大船渡」,陸前高田市観光協会が編集した「陸前高田観光案内」,海風苑のパンフレットなどが残っていました。
それらを見ていると,災害が起きたことがいまだに夢じゃないかと思えたりします。

被災地の皆さんに「がんばって」というのは簡単だけど,
正直,海岸沿いの地域は復興は難しいのではないでしょうか。

鉄筋コンクリート造の中層建物で海岸沿いを固めていくしかありません。

自然の猛威の前に,人間はあまりに無力。
それ以外は何も考えられないです。


気仙大工についての追記


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テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

最上川の船運で栄えた山形・大石田の街並み

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最上川の水運の中心地だった大石田町。最上川の難所が控えていたため、大石田で荷物をおろし、陸路、山形県内部や仙台に向けて物資を運んでいました。現在の大石田町にはその頃の文化遺産や史跡が数多く残っています。銀山温泉に向かう途中、ちょっと寄り道して、訪ねてきました。

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大石田駅は山形新幹線の新庄行が停車するため、なかなかモダンな駅舎です。構内で「大石田てくてくガイド」という手作りのパンフレットを見つけ、探索開始です。

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本町・おひな様通りに面して、店蔵や土蔵が点在しています。残念ながら、街並みとしての連続性は失われていますが、それは日本全国共通のことで仕方ありません。むしろ、観光地でもないのに、ここまで残されていると、何となく安心したりします。

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現代風にリニューアルされた店蔵もあります。

おひな様通りという名前のいわれですが、大石田は昔、「雛の隠れ里」と言われていて、古い雛人形が大切に保存され、毎年4月2・3日には家々で一般公開されるのだそうです。新潟の村上の町屋にも、人形様祭りがありますが、そんなイメージなのでしょうね。

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旧大石田銀行本店だった建物。なかなか風格があります。翌日、帰り道に立ち寄って、青空の下で撮りました。

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最上川沿いの特殊堤壁画。船運で栄えた頃の景観を整備したもので、壁画としては世界最長の602mもあるとか。フェイクではあるけれど、なかなか雰囲気があり、土木構造物の景観として秀逸では。ライトアップもしていて、綺麗そうですね。ちなみに、芭蕉はここ大石田で、「五月雨を集めて涼し最上川」と詠んだそうです。芭蕉が真冬にここに立っていたら、どんな句を詠んだでしょうね。蛇足ながら、わたしは俳句の才能がゼロで、悲しいかな、何も言葉が浮かんできませんでした。。。

夏の大石田の街並みは、こちら 山形県のdewatabi

ところで、番外編を少し。山形駅への帰り道、国道120号線(羽州街道)で東根あたりを走っていたら、おもしろい建築に出会いました。

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丸藤さんという洋品店です。通りに面した古くからの店蔵を擬似洋風にリニューアルしています。看板建築風で、なかなか味わい深いものがありますね。しばし、見とれてしまいました。よく見ると、メルセデス風のエンブレムが見えたりします。これはもう、東根市の最重要歴史遺産といっても過言ではありません。丸藤さん、後世まで大切に残してください。

大内宿-かつての姿に蘇った会津西街道の茅葺集落

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大内が宿場として整備されたのは、江戸時代の初期。日光の今市から会津若松を結ぶ会津西街道の一部として、倉内-大内-関山と結ぶ峠越えの道の宿場として、大名の参勤交代のための本陣も構えるなど、半農半宿の集落として大いに栄えていました。
街道を往来する荷物は、宿場ごとに荷を馬に付け替えるため、馬と人足の手配は問屋本陣の重要な仕事であったそうです。馬に荷を付け替えるスペースを確保するために、壁面線が前面道路から5mくらい後退しています。

その後、明治17年、山形・新潟・栃木に通じる「三方道路」(今の国道121号線もその一部)が開通し、宿駅として駄賃稼ぎができなくなり、宿としての機能は一気に衰退してしまいました。山あいに田を開墾し、炭焼きをし、雪深い冬場には出稼ぎに行く生活を余儀なくされ、次第に表舞台から取り残されてきました。

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茅葺屋根の状態は非常によく、昭和56年、重要伝統的建築物群保存地区に指定されたのを契機に、この見事な茅葺屋根が復活しました。なだらかな斜面に沿って一定勾配の茅葺屋根が並ぶ姿は、山々が連なる稜線とシンクロしています。
側溝で野菜を洗っていたおばちゃんにカメラを向けると、「おら、モデルさなっちまっただー」とゲラゲラ笑う。自分もきっと、観光バスで押し寄せるツアー客の一員と思われているのかと思うと、気持ちは複雑です。純粋に民家として使われている家もあるのを知ってか知らずか、庭先に平気で立ち入る観光客。見ていて、ちょっと。。。
これら現実の姿を目にすると、歴史に翻弄され続けた大内宿の姿が重なり合ってしまいます。できるなら、人がいない静かなときに訪れたいものですね。
 
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昭和50年代の大内宿。茅葺が鋼板葺に葺き替わっていく状況がわかりますね(写真:日本放送文化協会刊「歴史の町なみ 北海道・東北篇」昭和55年 所収

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昭和42年の大内宿。昭和44年にNHKの特別番組で取り上げられ、全国的にその存在が知られるようになる前の姿です。ほとんど手付かずのまま、昔の宿場の姿が残されていたんですね(写真:日本放送文化協会刊「歴史の町なみ 北海道・東北篇」昭和55年 所収)。その後、女性誌などでも取り上げられて、若い女性たちが訪れるようになりました。

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■福島県南会津郡下郷町大内■
戦後になっても昔ながらの生活が続いていたが、昭和30年代半ばから耕運機が普及し始めて、かつて100頭あまりいた馬は激減し、生活が少しずつ変化していく。昭和50年代に入ると、大内ダム工事の補償として水田基盤整備が行われるとともに、鋼板葺が増えていく。昭和56年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことで、鋼板葺はかつての茅葺に戻され、大内宿はかつての姿を取り戻すことになった。かつての半農半宿の集落は、道路整備とモータリゼーションの恩恵を受け、ツーリズムによる劇的な変貌を遂げた。

テーマ : レトロを巡る旅
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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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