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千葉県でも。。。

東北太平洋沖地震は,関東地方でも被害を及ぼしています。
中でも,茨城県とわが千葉県は,立派な「被災地」なのです。
そのひとつが,こちらです。
津波被害以外は,ほとんど報道していただけないのですが。。。

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千葉の水郷,佐原の風景です。

川越,栃木と並び,江戸の風景が残る街として有名です。

それが,今回の地震で,変わり果ててしまったようです。

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(写真:夕刊フジ)

「正文堂書店」という本屋さんです。
2006年にたずねたときは,商品の本はあまり置いてなくて,建物を見せるために店を開いているといった感じでした。土蔵ですからどっしり感じがあって,実際,窓が少なく壁が厚い分だけ,少々の地震では崩れない構造に見えました。
写真を見る限り,瓦はほとんどくずれ落ちていますが,構造はもちこたえているよう見えます。
瓦を葺き直せば,元の姿に戻すことはできそうです。
佐原のシンボルのような建物でしたから,市や県が補助金を出すとよいと思います。

ちなみに,ソースは,夕刊フジの記事です。

夕刊フジが珍しくいい記事を書いているなあと思ったら,記者さんのご出身地とのことでした。
そうでしたか。

佐原の市内はあちこちで電柱が傾き,道路が陥没し,断水しているとのこと。
典型的な液状化現象です。
千葉県では,浦安や幕張で,クルマが砂に半分埋まり,マンホールが突出している写真が新聞やネットに出ていました。
海沿いの地域はもとより,内陸のほうでも河川沿いの地盤の弱いところで発生しています。
わたしの住む千葉県北西部のA市内でも発生しました。
電柱が倒れる寸前まで傾いて,波打つ道路の間にマンホールがにょきっと出っ張っています。

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テーマ : レトロを巡る旅
ジャンル : 旅行

御茶ノ水から神保町をちい散歩

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明治大学の皆さんには見慣れた光景です。なんせ、学校の真ん前にあるのだから。
バブル華やかなりし1987年、かの磯崎新センセイの設計により姿を現したこの建物、一種のセンセーションでした。新建築など建築雑誌に豪華なカラーグラビアで出ていたのを覚えています。まだ明治大学の建物がボロっちかった頃、この建物のデザインは周囲で際立っていましたね。

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ウィリアム・メリル・ヴォーリズ設計による旧主婦の友社ビルを取り壊し、主婦の友社が「御茶ノ水スクエア」として再開発したもので、この建物は「A館」にあたります。このA館には、日本初の室内楽専用ホールとして、バッハの伝統を受け継いだ「カザルスホール」が作られました。「カザルス」の名は、20世紀を代表するチェロ奏者の1人であるパブロ・カザルスの名にちなんでいるとか。低層部でヴォーリズの名作の歴史的建築物の意匠を再現し、ラスタータイル張りの高層部との組合せというのは、当時のポストモダンとかいう時代のお決まりのパターンだったような。。。

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しかし、この建物は、日本大学に買い取られ、日本大学キャンパスの一環として「整備」が進められています。B館、C館はすでに取り壊され、カザルスホールも2010年3月31日限りで使用中止になりました。
今、この建物には「日本大学法科大学院」の看板が掲げられてます。

このカザルスホールには、ドイツ・ユルゲン・アーレントのバロック様式オルガンが設置されていて、「バッハ以来の伝統を、ここまで忠実に残すオルガンは世界的にも珍しい」というほど貴重なホールだそうです。それが、なぜ法科大学院の模擬法廷になるのでしょうか。さっぱり理解できません。声の通りがいいから法廷に向いているのでしょうか??? 2000年に主婦の友社から日本大学に売却されてから、解体されるのではないかという噂がずーっとあるみたいです。

カザルスホールのホームページには、下記のような日本大学のお知らせが出ていました。

日本大学カザルスホールの使用停止について (平成21年2月4日)
 本学は、このたび懸案事項でありましたお茶の水キャンパス再開発計画の策定に着手するに当たり、同キャンパスに所在する日本大学カザルスホールの貸し出しを含む使用を、平成22年3月31日をもちまして停止することといたしました。平成14年に本学が同ホールを教学上の施策として取得以来,学外の皆様にもコンサート専用ホールとしてご利用いただいてまいりました。同ホールへのご愛顧に対し、衷心より感謝申し上げます。また、同ホールの使用停止に伴い、平成22年4月以降のご利用をご検討いただいておりました皆様には、ご迷惑をおかけすることとなりますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。


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参考記事:asahi.com
カザルスホール、来年3月に幕 室内楽の殿堂
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200902030389.html

 日本を代表する室内楽の殿堂、東京・お茶の水の日本大学カザルスホールが来年3月で閉館することが分かった。日大キャンパスの再開発計画に伴うもの。風情のある建物や文化財級のパイプオルガンがどうなるのかは未定だが、音楽ホールとしての歴史は事実上幕を閉じることになる。
 同ホールは87年、チェロの巨匠パブロ・カザルスの名を冠し、日本初の本格的な室内楽ホールとして主婦の友社によって建設された。当時は華やかな大ホールが注目を集めたバブル期だったが、511席という親密な空間と優れた音響で、ロストロポービチや内田光子ら内外の一流アーティストにも愛された。
 02年、経営難に陥った主婦の友社が日大に売却。大学の施設として使われる一方、一般向け貸しホールとしても運用されてきた。日大総務部によると、来年4月以降の公演申し込みは断るといい、「建物自体を残すかどうかは未定だが、敷地は大学の施設として使う予定」としている。
 同ホールは、ビオラの祭典「ヴィオラスペース」などユニークな自主公演を相次いで企画し、全国各地のホールのモデルケースとなってきた。アコーディオン奏者の御喜(みき)美江さんは「ホールというより『工房』という印象。ハードとソフトが一体となり、人の血の通った空間で演奏家を育ててきたホールは他にない」と、閉館を残念がる。
 同ホールの顔だったパイプオルガンの行く末を憂う声も少なくない。ドイツの名匠ユルゲン・アーレント作。開館10周年の97年に設置され、マリー・クレール・アランや鈴木雅明ら、世界的なオルガニストに演奏されてきた。
 廣野嗣雄・東京芸大名誉教授は「バッハ以来の伝統を、ここまで忠実に残すオルガンは世界的にも珍しい。移築も不可能ではないが、オルガンはホールと一体の楽器。日本の宝として鳴り響き続けてくれるのを祈りたい」と語っている。(吉田純子)


わたしはホールでの演奏を聴いたことは一度もなかったので、その素晴らしさはまったくもってわからないけれど、建物だけは残してほしいんだなあ。何に使ってもいいから、とりあえず残してくれ、日本大学さん!

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そんな複雑な思いで駿河台下に下り、すずらん通りの裏に回ると、ありました!
何の変哲もない街並みの中に突如、こんなものすごい建物が姿を現します。
建物というより、造形、アートそのものといった感じですね。
神保町シアターです。

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なぜこんなデザインでなければならなかったのか、施主がよほど酔狂だったか、はたまた設計者(日本を代表するN設計事務所)の冒険か、よくわからないけれど、見れば見るほど頭の中が混乱する建物です。

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こちらがエントランスですね。

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それにしても、ゼネコン(これまた日本を代表するK建設)の担当は大変だったろうなあ。
どんな図面だったのか、どうやって作ったのか、ぜひ話を聞かせてほしいものです。

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再開発でだいぶつぶされてしまいましたが、神保町の路地には、まだこんな20世紀の名残が。
「ミロンガ」と「ラドリオ」が路地の対面で向き合っています。
どちらも味のあるレトロなお店です。

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神保町シアターの印象が強烈だっただけに、なんかほっとする感じです。
気に入った古本を買って、こういう店でのんびり過ごすのって、和風の温泉宿で何もせずに過ごすのと同じぜいたくな気分になります。
それにしても、路地って、いいもんですね。

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古書店街の一角に、ひっそりとたたずむ小さい眼鏡屋さんがあります。
古びたショーウィンドをよく見ると、そこにはジョン・レノンのプロマイドが。
ジョン・レノン愛用の眼鏡が展示されています。
神保町の小さい眼鏡屋さんとジョン・レノンにどういうつながりがあるか、興味のある方はお店に入って聞いてみてください。ただし、ご商売の邪魔にならないように。


秋山郷-中門造の農家が山肌に溶け込むマタギの里

2006年に訪れてから3年。再び、秋山郷を訪れました。
以下、そのときの記事のリメイク版です。
写真や温泉の記事も追加しました。


秋山郷は、新潟・長野県境に位置し、交通が非常に不便で、かつ冬は4m以上の豪雪に覆われてしまいます。今でこそ、新潟・長野両側からの国道も開通し、冬には除雪も行われ、孤立することはなくなりましたが、かつては平家の落人部落として、またマタギの里として、独特の文化を育んできました。県外の関東ナンバーのクルマを何度も見かけ、近くなったんだなあと実感。釣りの人も多いみたいです。

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越後地方の民家は、中門造という形が基本的ですが、地域によって多少バリエーションがあるみたいです。秋山郷の民家に固有の形や様式みたいなものは見つけられませんでしたが、ひとつ言えるのは中門造ゆえに屋根の形が複雑だということ。このお宅は、結東という大きな集落の中心に立っています。上は正面玄関側から、下は勝手口側から撮らせていただいたものです。

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どのお宅も中門造でつくられています。

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国道405号線を少し上がったところから、集落全体を撮ってみました。結東の集落は、中門造の民家が点在する秋山郷の雰囲気をよく表していると思います。あたりにスズメバチの巣があったらしく、数匹から手荒い歓迎を受け、ほうほうの体でクルマに逃げ込みました。

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3年前、国道405号線沿いに見つけた民家です。見るほどに複雑な形状をしています。また、よく見ると細い柱が掘立て形式で建てられています。これで4mにも及ぶ豪雪の荷重によく耐えられるものですから、大したもんですね。ただ、今回、この民家を見つけることはできませんでした。取り壊されてしまったか、または道が付け替えられたか。。。

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「北越雪譜」で著名な鈴木牧之は、この地に強く惹かれ、「秋山記行」という紀行文を残しています。その中で、秋山郷の民家の印象について、「壁が全然なく萱で四方を包み、柱が全然見えない。家の内壁を見ると、横に三尺くらいずつ隔てて細木のはつ敷を柱に入れて葦竿を縦に結び付けている。とびとびに窓がついているが、はなはだ小さい」と書き残しているそうです。

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秋山郷の最奥にある和山温泉の集落。数軒の温泉民宿が、一般の民家に混じって営業しています。看板もなく、静かで、本当に人里はなれた秘境という感じです。混浴露天風呂がある一軒宿「仁成館」はこの集落からさらに下ったところにあります。

秋山郷には、小赤沢温泉、和山温泉、屋敷温泉、栃川温泉、切明温泉といった温泉が点在しています。泉質が全部違うので、温泉めぐりはとても楽しいです。
秋山郷の温泉については、下記の続編をぜひ!

続き 『秘湯 秋山郷』へ

■長野県下水内郡栄村■
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新潟県側から入るには、関越自動車道を塩沢石打ICで下り、国道353線で松之山に向かい、山崎で国道117号線に左折し、津南市の大割野で左折して国道405号線に入ります。あとは道なりです。
道幅が狭く対向車とのすれ違いにも気を使います。また、ガソリンスタンドやコンビニもないので、夜間の走行は差し控えたほうがいいかも。長野県側に抜けるには、そのまま国道405号線を進み、秋山林道から奥志賀スーパー林道に出て、北は野沢温泉、南は志賀高原へ出ることができます。

テーマ : 旅先での風景
ジャンル : 旅行

足尾銅山へ その1

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本当に久しぶりの更新になります。
この間、どこにも行ってなかったというわけでもないのですが。。。
ということで、栃木県の足尾銅山に行ってきました。
かつてのJR足尾線は、国鉄のJR移行後、わたらせ渓谷鉄道となりました。
先日テレビを見ていたら、沿線の神戸駅が、おなじみ西村京太郎センセイ原作の鉄道ドラマの舞台になっていました。
足尾駅前にクルマを停め、構内に入ってみます。

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足尾駅は、無人駅ではありませんが、こじんまりとしています。終点ではありません。
駅前には、小さい古びた商店が一軒あるだけです。
駅名表示を見ても、今はJRではないんだな、と気づかされます。
ひとつ先の間藤という駅が終点です。
有名なトロッコ列車は、大間々駅を出発し、足尾駅が終点となります。

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気動車ではなく、ディーゼル機関車が牽引しているのですね。
関東では今や数少ない非電化区間です。

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手前が普通の車両、奥がオープン(?)というのか、ウィンドレス仕様の車両です。

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開放感は抜群ですが、雨が降ったら濡れるしかないのかな?
目指す精錬所は終着駅の間藤の先にあるため、列車から見ることはできません。
これはちょっと残念ですね。

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構内には、国鉄時代の懐かしい気動車が設置されています。
わたしは「鉄」ではないので、型式などはわかりませんが、地方路線をよく走っていた車両であることくらいは見当が付きます。奥の車両は国鉄時代のツートンカラーに美しく再塗装されていました。
落ち着いたいい雰囲気の駅ですね。

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駅舎の内部。観光客がたまに訪れる以外は閑散としています。

その2 に続く

テーマ : 建物の写真
ジャンル : 写真

足尾銅山へ その2

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足尾駅を後にし、終点の間藤駅を過ぎると、精錬所に近づいてきます。途中、踏切跡を見つけました。かつては精錬所から鉱物を大量に積んだ貨車が通過していったのでしょう。廃線跡は今まで何度も見てきましたが、せつないというか、センチメンタルな気分になりますね。

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近くには、厳重に封鎖された橋もありました。建物の廃墟は今や珍しくないですが、封鎖された橋というのはほとんど目にする機会がないためか、かなり強烈な印象を受けます。

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道なりに走るとやがて郵便局が。ここには、橋マニアなら注目の「古河橋」というのがあります。
案内文を見てみましょう。
明治18年、それまであった木造橋が消失したのを機に架設されたもので、ドイツのハーコート社製。橋台はれんが積み工法、橋梁は単径間ボストリング・ワーレントラス式(ピン接合、長48.5m、有効幅3.6m)。

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上弦材にH形鋼を使用している珍しいケースだそうです。
リベットの連なりが、いかにも「19世紀の橋」という印象です。
竣工翌年には、鉄道も通したそうですが、見た目にも危なそう。かなり揺れそうです。
新しい橋が竣工した平成5年以降は歩道橋として運用されてきましたが、現在は閉鎖されています。

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古河橋に佇むと、精錬所の姿が目に入ってきました。
渓谷沿いにずっと向こうまで続いているようです。
何だか胸が高鳴ります。こんな気分を味わうのは、いつ以来でしょうか。

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郵便局を過ぎると、一気に人家がなくなります。
左側の渓谷の向こう側に精錬所の巨大な廃墟の姿が次第に近づいてきて、思わず言葉をなくします。道が細いので、しばらく走って駐車できる場所を確保しました。かつて鉱山住宅が立ち並んでいた愛宕下というところです。

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鉱山住宅は、ぶ厚い防火壁で区画されていて、住宅が解体され更地となった今も、不釣合いな姿を見せています。何軒かは現在も残っているようです。
昭和31年には181世帯819人が住んでいたという事実がにわかには信じられません。

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そして、朽ち果てて廃墟となったまま残されている建物もあります。住宅だったのか事務所だったのか、わかりませんが。近くで見ると、ぐっと迫ってくるものがあります。

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生協の建物が今も残されています。最盛期には、買い物する鉱夫の奥さんたちで賑わっていたのでしょう。閉鎖されてからそれほど長い時間がたっておらず、妙に現実感があります。

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渓谷の向こう側の山肌は、今も廃鉱山という非日常の世界を垣間見せています。険しい沢の上部には、今にも落ちそうな鋼橋がかかっています。鉱山でなければお目にかかれない風景です。

→ その3 へ続く

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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