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若狭鯖街道 熊川宿

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熊川宿は、小浜からクルマで15分ほどのところにあり、かつて若狭鯖街道の宿としてにぎわっていたところです。京都から若狭に出る道はいくつもあったようですが、中でも、小浜からこの熊川宿を経由して滋賀県の朽木を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」が最も使われていたそうです。

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「若狭から運ばれた鯖が京の都に着く頃には、ちょうどよい塩加減になった」そうですが、夏場は大変だったのでは? なにしろこの猛暑ですから、鯖がいつまでもつのか、気が気ではなかったと思うのですが。。。

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掘割のせせらぎが、猛暑を「気分的に」和らげています。風鈴と同じで、心理的な効果というのは大きいですね。伝統民家の深い軒は、夏の暑い日ざしや雪国の雪を考え、実によく工夫されていることを改めて感じます。

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ご当地名物、鯖寿司がおいしそうでしたが、食べている時間がなく、残念。

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平入と妻入が並存する街並み。

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川に面した、ひときわ大きい町屋。伊藤忠商事ニ代目社長となった伊藤竹之助翁の生家とかで、熊川を代表する町家のひとつで、主屋、土蔵、庭が、平成7年1月に、町指定の文化財に指定されています。

さすがにこれだけ暑いと、旧街道をじっくり散策しようと考える人は少なく、タオルを頭からかぶって歩いている人もいました。道の駅には資料館がありましたが、せっかくみなさんが「涼みに」来るので、展示内容がもう少し充実しているといいなと思いました。

→ 最後に『温泉街』その他です

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テーマ : 建物の写真
ジャンル : 写真

海野宿-卯建と格子と気抜きと。。。

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北国街道は、追分宿で中山道と分かれ、小諸、海野、上田、戸倉、善光寺を経て越後、越中、越前へと続きます。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代、善光寺への参詣などでにぎわっていたそうです。それにしても、本当に徒歩で移動していたのかと思いたくなる、壮大な道のりです。海野宿は寛永2年(1625年)に宿駅として開かれ、本陣として、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と非常に大きい宿でしたが、明治以後は養蚕農家への転進を図りました。

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とにかく壮観で、驚きました。
海野の建築を規定する3点セット、「卯建」、「海野格子」、そして「気抜き」のすべてを揃えた民家。
棟に沿った「本卯建」は、妻壁を一段高くして、防火壁としての機能を持たせています。「袖卯建」は装飾性が高く明治時代のものが多いとか。
「海野格子」は、長短の格子を組み合わせた独特のもので、近くで見るとなかなか味があります。
「気抜き」は大屋根の上に設けられた越屋根のことで、明治以後、養蚕に転業してから設けられました。
それにしても、この民家の卯建はすごいの一言。岐阜の美濃で見た卯建もすごかったですが。。。 

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海野宿は北国街道の中でも当時の様子を今のままに伝える貴重な歴史的遺産で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。片側には清流が流れている。駐車場も完備され、クルマがむやみに入ってこれないようにしているのもgood。   

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美しい格子。日照調整と視線防御という機能も果たす、素晴らしい和の仕掛けです。単純だけれど、実に深く考えられているのだな、と感心してしまいます。下の写真では、2階の格子は長短の線材を交互に組み合わせる「海野格子」を見ることが出来ます。2階なので人の目を気にすることがないため、日射量を増やそうと考えたのでしょうか。

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旧本陣の長屋門。門の奥には美しい庭園が垣間見えます。

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土蔵をしたがえた民家。商家でしょうか。

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茅葺屋根に鋼板を葺いた民家もありましたが、ほとんどの民家は瓦葺に変更されています。奥の家(シートがかけられている)は全面リニューアル中で、柱・梁・屋根以外はすべて取り払われていました。

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大きな気抜きを設けた民家。


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名古屋(有松)-旧東海道の豪商の屋敷

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名古屋から名鉄本線豊橋行で20分ほど、有松駅で下車してすぐ、旧東海道は駅の東西方向に広がっています。まずは左に曲がり、街並み探索開始です。
この大邸宅は服部家住宅。竹田家とともに、有松絞りの中心的な商家です。徳川家康が江戸幕府を開いてまもない頃、尾張藩が藩の特産品として保護することで、有松絞りの歴史は始まりました。絞りの手拭や浴衣は、旅の土産として重宝され、街道一の名産品となって、有松絞りとしてやがて全国に名をとどろかせることになったとか。地味だけど渋く、いかにも江戸らしい、粋でいなせという風情。

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服部家住宅は、とにかく豪壮。母屋の両端は、直線的な棟卯建と曲線を描く優雅な袖卯建とのコンビネーションが実に美しいです。卯建をここまで装飾として完成させた民家は、日本広しといえど、そうはお目にかかれないのではないでしょうか。1階の千本格子、2階は黒塗りの虫籠窓と、バリエーションに富んでいます。
江戸末期から明治初期にかれて建てられ、かつての絞り問屋としての面影をもっとも良く残しているといわれています。母屋のほかに客室1棟、井戸屋形1棟、土蔵・絞り蔵・藍蔵6棟、門並門長屋2棟からなり、現在も「井桁屋」の屋号を持つ現役の商家です。

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今度は有松駅から右側へ歩を進めましょう。まず目に飛び込んでくるのが、竹田家住宅。卯建はありませんが、その豪壮さは服部家とひけをとりません。以前は平屋でしたが、明治から大正にかけて大改造して2階建にしたそうです。かつては土蔵が6つも並ぶ豪商でしたが、今残るのは2つだけ。現在も「笹加」の屋号で商いを続けています。内部の書院、茶室は大変優れたものと聞くが、公開されていないのが何とも残念。

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岡家住宅。典型的な塗篭造の建物。間口が長い分だけ、1階の千本格子と2階の虫籠窓のコントラストが強調され、服部家や竹田家とはひとあじちがった雰囲気があります。

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有松宿の街並み。旧東海道で、ここまで町並みが保存されているのは、有松を置いて他にないかもしれませんね。

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玄関に据えられた行灯や屋根に鎮座する飾り瓦など、歩けば歩くだけ発見があります。
ちなみに、有松絞りは、①図案を決めて、型紙で型を彫る ②型紙を布の上に置き、刷毛で青花模様を刷り込む ③くくり(4~5人の家庭に次々と廻されて加工される) ④専業の染屋が染色を行う ⑤糸留めしていた糸を抜く ⑥仕上げ という工程を経る。絞り技法の種類にも、杢目縫い絞り、唐松縫い絞り、折り縫い絞り、手蜘蛛縫い絞り、機械蜘蛛絞り、巻き上げ絞り、横三浦絞り、人目鹿の子絞り、突き出し鹿の子絞り、蜘蛛入り柳絞り、みどり絞り、日の出絞りなど実に多種多様で、とても覚えられないです。
詳細は、有松・鳴海絞会館HPにて。


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ジャンル : 旅行

名古屋(大門)-旧中村遊郭にタイムスリップ

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中村遊郭の中でも、華やかなその朱泥の壁で道行く人々の目を引いたに違いない、「稲本」。現在は料亭となっていますが、周囲にマンションなどが立ち並んでしまった現在、その際立つ存在感はいよいよ異彩を放っています。入口は中国風で、いかにも竜宮城のよう。内装は和の贅を尽くし、外装以上に豪華絢爛なのですが、出張の帰り際に立ち寄った貧乏サラリーマンが中に入れるはずもなく、ここで退散。
それにしても、遊郭は夕暮れ時がよく似あいます。

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通りをはさんで、「稲本」(右)と「松岡(」左)が向き合っています。ともに、規模はかなり大きいです。

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「稲本」と双璧をなす、こちらは「松岡」。写真でしか見たことはありませんが、松岡の浴室は床も壁も浴槽もすべて舶来のタイル張りで、ステンドグラスがちりばめられたアールデコの世界。その豪華さは稲本にひけをとりません。
料理屋として今も健在な稲本とは対照的に、こちらは、なんと「デイケアセンター」になっていて、これにはとてもびっくりしました。玄関に映っている方は介護ヘルパーさん。遊郭からデイケアセンターという、驚きの「用途変更」により、何とか建物としての寿命をまっとうする道を与えられたわけですね。
外観は当時のままで、写真は雨でけぶってしまいましたが、窓まわりの和のしつらえに、当時の風情をしのぶことができます。内部も最低限の機能付加以外は手を加えていないようです。建物に対するオーナーの愛情を感じます。ずっとこのまま使われ続けて欲しいと願うばかり。

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これもかなり大きな建物。稲本と同様に、朱泥が塗られた様が艶かしさをそそります。
ものの本によると、「新千寿」という名の遊郭だった建物で、かつては「新山水」という遊郭と棟続きで連なっていました。現在は「新山水」は解体されて看護学校が建てられましたが(写真で後ろに見える白いビルがそれ)、「新千寿」は当時のまま、今に至っているということらしいです。
玄関には、旧中村遊郭の中心に位置する鵜飼病院を経営する鵜飼家の表札が掲げられていました。鵜飼家はこの旧中村遊郭に広大な土地を所有する地主さんのようで、何軒かの旧遊郭建物は取り壊されて病院施設が建てられました。とは言え、用途変更した松岡をはじめ、こうして今もかつての遊郭建物が使われ続けているのは、保存に対する鵜飼家の理解によるところが大きいのかもしれませんね。

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かつて遊郭だった建物を、あちこちに見つけることが出来ます。普通に商店あるいは民家として使われていますが、建物のつくりはかつてのこの街の歴史を道行く者に静かに伝えています。

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中村遊郭は、現在は中村区大門町。商店が並ぶ、ごく普通の生活圏なのですが、本来は「異界」のはずのソープランドがスーパーマーケットに面して軒を連ねている様は、初めて訪れる者にとっては、かなりアンバランスに感じられます。しかも、ほとんどの店は古くからの木造の遊郭建物を使用しているらしく、通りに面した部分だけをコンクリート製のファサードで煌びやかに飾っています。

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傑作だったのは、このアラビアンナイトの建物。イスラムのモスクをあしらった(らしい)ファサードと、古い木造遊郭の落差というかコントラストには、何とも言いようがないものがあります。頭にターバンを巻いたボーイが出てくるのでしょうか。姫はクレオパトラチックなのでしょうか。
ちなみに、かつてはフランク・ロイド・ライト風など、エキゾチックな遊郭建築の饗宴が見られたらしいのですが、今はその面影もない、うら寂しい横丁風情。

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中山道-芦田宿・望月宿

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塩名田宿から八幡宿を経て、望月宿へ。望月の名は、8月の満月の日、朝廷へ名馬を納めたことに由来するとか。手塩にかけて育てた美しい名馬が、月光に照らされながら、朝廷へと旅立っていくのを見て、馬主は誇らしさと寂しさが入り混じった気持ちだったことでしょう。写真の建物は「ますや洋品店」。昔の商家そのままのつくり。少しも手を加えていないところが嬉しいです。

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「山城屋旅館」。外観は昔のままだが、内部は今風に大幅にリニューアルされています。

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木造3階建の威容を誇る井出野屋旅館。大正5年(1915)築。玄関を覗けば、そこには昔懐かしい手作りの波板ガラス。映し出された背景の波打ち具合が何ともレトロです。映画「犬神家の一族」のロケに使われたという話を聞いて驚きました。ロードショーの時はまだ子供だったし、怖かったなー。

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「旅籠大和屋」(真山家住宅)。江戸中期の遺構を残す問屋兼旅籠、幕末には庄屋でもありました。明和2年(1765)望月宿大火の直後に建てられた望月で最古の民家。国登録重要文化財。
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同じく真山家住宅。出桁の先端に彫られた飾りが実に印象的。この出桁という信州特有の構造は、こういう「矩計ショット」で撮ると特徴がよくわかりますね。積雪地における生活機能を重視した結果だと思いますが、結果的に建物に独特の立体感を与える形になっています。

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2階の窓下にさりげなく施された扇子のあしらい。建物にこんな装飾を施すとは、きっと絵心のある棟梁だったのでしょう、実に風流で趣がありますね。1階の通りに面して設けられた波板屋根の自転車置場がなければ、文化財級にも思えるのですが。。。

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望月宿から茂田井の間宿を経て、芦田宿へ。芦田宿で最も大きい建物(と思われる)金丸土屋旅館。開口部のない平入の妻面を見るだけで、その規模がわかろうというものです。一体何間あるのか、数えたくなくなります。それもそのはず、8畳間が1階に9間、2階に4間、計13間もあるのだから驚き。妻面の「金丸」の屋号が目を引きます。
泊まった方の話によると、1階は8畳間が4室縦に連なっていて、襖だけで仕切られている、典型的な江戸時代旅籠のつくり。昔は相部屋が当たり前だったそうですから、プライバシーもへったくれもなかったわけですね。小さめの学校なら、修学旅行の一学年が泊まれそうだけど、夜通し枕投げ合ったりして大変なことになりそう。2階にある4室は、今やほとんど使うことはないそうです。

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玄関を見上げると「津ちや」という屋号が掲げられています。温泉地でも観光地でもない土地の木造旅館は、学校の部活動の合宿を誘致するか、長期滞在を余儀なくされる測量士や土木技術者などを泊めることになります。そう、歴史の風格の漂う金丸土屋旅館は、今はれっきとしたビジネス旅館なのですね。

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金丸土屋旅館の対面にある民家。「酢屋茂」という名で、味噌と醤油を売っています。

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芦田宿の旧本陣、土屋家住宅。芦田宿設置とともに、土屋右京左衛門が明治維新まで代々勤めてきました。現在残っているのは寛政十二年に建て替えられた客殿のみ。公家や諸大名の宿泊・休憩などに使われ、諸大名の宿札が残されています。庭に入ることは出来ますが、建物の全容を見ることはなかなかできません。それでも、本陣の威厳と風格は、写真から十分に伝わるのでは。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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