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日本海の軍港 舞鶴の赤れんが倉庫群

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舞鶴に行ってきました。
日本海に面した、かつての軍港です。
学生時代から、舞鶴には一度行ってみたいという、憧れのようなものがありました。
戦後の引揚げなど激動の歴史の舞台だったこともあるけれど、いろいろな映画に登場するし、まあ多分にミーハー気分だったのだろうとは思いますが。

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目指す赤れんが倉庫は、東舞鶴と西舞鶴をつなぐ、国道沿いに立ち並んでいます。赤れんがといえば、横浜港の赤れんが倉庫が有名ですが、あまりに観光地化されています。その点、舞鶴の赤れんが倉庫は、「ひっそり感」があって、観光客がツアーバスで大挙して押しかけるような雰囲気ではありません。

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なんだか日本にいる気がしなくなってきます。ヨーロッパの歴史のある都市に踏み込んだみたいな気分です。扉を開けて外国人の軍人が出てきそう。映画のロケによく使われるのもうなづけます。

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舞鶴の赤れんが倉庫群は、明治34年(1901)の旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、海軍が建設したものが中心で、中でも「赤れんが博物館」の建物は、明治36年(1903)に「旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫」として建設されたものだそうです。

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ところで、ちょっとマニアックになるけれど、舞鶴の赤れんが倉庫群は、

○リベット接合法と圧延鋼材を用いた本格的な鉄骨構造建築物としては、わが国に現存する最古のもののひとつであること。
○鉄骨にCarnegie(カーネギー)社の銘があり、鋼材の製造会社が特定できること。
○フランス積れんが建築物の数少ない例であること。
○れんが壁が耐力壁(bearing wall)ではなく、非耐力壁(カーテンウォールとして使用されていること。

などなど、とにかく、明治時代の旧海軍の遺構としてとても貴重で、まちがいなく、世界的に見ても20世紀初頭における最先端の技術水準を示しているのだそうです。

ふむふむ。
確かに、開口部などのディテールなど、とても凝っています。れんがを組積造として構造体に使っていたら、こういうデザインの工夫は難しかったかも。

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湾内には、小さいけれど軍用船がちらほら。
舞鶴が今も軍港であることを感じさせられます。
とはいっても、どことなくのどかで、漁港がそのまま軍港になったようなイメージでしょうか。
核を搭載した米海軍の空母が出入りする横須賀や佐世保に比べれば、可愛いものですね。

それにしても、軍艦ってどうして、みなグレーばかりなのだろう。
なんだか夏休み子ども教室みたいな質問ですね(笑)。
どなたか教えてください。

ところで、舞鶴の市街は、西舞鶴と東舞鶴に分かれ、クルマで10分くらいの距離があります。でもって、宿のおかみさんに聞いたのですが、役所も警察署も高校も病院もJRの駅もすべて、西と東それぞれにあるという、かつてのベルリンみたい(なわけないか。。。)なところです。日本全国見渡しても、こういう都市はきわめて珍しいのではないでしょうか。

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生野-1300年の歴史を持つ銀山の麓の産業城下町

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生野銀山は807年に開山して昭和48年に閉山されるまで、実に1300年あまりの歴史をもっています。国家的に重要な産業基盤として、信長、家康をはじめとした時の権力者たちに重要視され、奉行所も設置されていました。明治維新で鉱山は閉鎖され、直後に焼き討ち事件が発生して全焼してしまいますが、フランス人技師の手によって近代的な設備を備えた鉱山に生まれ変わり、明治29年には三菱資本の傘下に入りました。
生野の町は、平野部に広がる口銀谷(くちがなや)と、銀山の採鉱口の手前に広がる奥銀谷(おくがなや)から構成されています。写真は、口銀谷にある史料館「生野書院」。

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口銀谷の落ち着いた静かな街並み。方形で寄棟屋根の珍しい建物は、旧松一醤油店で、国登録文化財。この道の奥には、やはり国登録文化財の旧海崎医院がありますが、残念ながら瓦の葺替え工事中でした。

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郷宿だった旧吉川家建物をリニューアルした、生野まちづくり工房「井筒屋」。江戸時代、生野は旅人の宿泊が禁止されていました。今で言えば原子力施設みたいなもので、最高レベルの国家機密地区だったのでしょう。それで公事人のために設けられた6軒の郷宿のうちの1軒。天保3年築。

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旧地役人邸宅で、国登録文化財。所有者の方が今も住んでおられ、美しく維持管理されていますが、裏側には洋風建築が建て増しされていました。

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江戸時代に郷宿と掛屋を掛け持ちしていたという町屋。こちらはすでに誰も住んでいないように見受けられました。これも国登録文化財。

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旧銀山官舎。銀山に勤務する日本人官吏向けに、明治8年に建てられたもので、いわゆる炭鉱労働者が住む炭鉱住宅ではありません。同じようなつくりの寄棟の平屋建が一定ピッチで並んでいます。黒澤明監督の映画「生きる」「七人の侍」などで有名な俳優の志村喬が明治38年にここで生まれたことを知り、とても驚きました(生家はもう残されていないが、裏手に生家跡があります)。「生きる」の最後で、自分で手がけたちっぽけな公園で一人ブランコに乗る姿が、とても印象的だったなー。

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生野カトリック教会は、瓦葺の重厚な和風住宅の横に洋風建築が増築されていて、門の表札を見なければ、ここがカトリック教会とは誰にもわからないでしょう。普通の民家を使っている教会はずいぶん見てきたけど、カトリック教会では初めてだったような気もします。

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口銀谷の洋風建築、実は元警察署だった建物。明治19年築の旧和田山警察署生野分署。地元の大工さんがみようみまねで作った擬似洋風とありますが、なかなかよくできているのでは。。。

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美山-京と若狭の影響を受けた山里の美しい茅葺集落

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京都府南丹市美山町知井の北村の集落には、32軒の茅葺住宅が点在し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。地理的には京と若狭浜のちょうど中間に当たり、京文化を軸に周辺地域の影響を受けています。入母屋屋根に板張りの北山型の美しい民家が並ぶ様はまさに圧巻。最も古い住宅は1796年築、多くは19世紀中頃に建てられたというから驚きです。春の花に彩られた茅葺民家のたずまいは、メルヘンのよう。

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山の斜面と山裾にひな壇状に住宅が配置され、集落内には細い路地が通っています。北山型民家は、入母屋、土間が上げ庭で狭い、中央の棟木の筋で室を分ける、板壁に板戸などが特徴のようです。

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集落内にある美山民俗資料館。200年前の中農民家の形をよく残していますが、平成12年に火災で焼失し、再建したものだとか。囲炉裏端に座って管理人のおばさんと話していると、開放的で素朴なつくりと相まって、心が和みます。

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かつて富士山麓には「根場」という茅葺集落が美しい姿を見せていましたが、今からもう40年以上前の昭和41年9月、台風26号による地すべりに飲み込まれ、一晩で集落すべてが消滅してしまうという悪夢のような出来事があったことを思い出しました。ここ美山を見て、写真でしか見たことのない根場集落にとても似ているような印象を抱きました。

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伊根-船屋が連続する漁村の風景

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伊根は、日本海に丸く突き出した丹後半島の東側にあり、 浦島や徐福の伝説を今に伝える港町。宮津から国道178号線を海岸線に沿って走り、やがて、伊根湾の入江にさしかかります。遊覧船の乗船場のある小さい岬をやり過ごし、伊根湾の対岸が目に入ったとき、誰でも感動の声を上げるに違いないでしょう。230戸もの舟屋が湾を囲むように、海岸線にずらりと並んでいるのです。
湾の奥に漁協があり、その手前(西側)と向こう(東側)に延々と続いています。写真(上)は、高台にある道の駅の展望台からの西側の全景、(下)は海岸線まで下りてのビュー。

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漁協のバースの先端に立って、船屋と対峙します。テレビや映画、写真でしか見たことがなかった光景が目の前に広がっているのは、夢でも見ているような不思議な気分。ほとんどの家が妻入の船屋だ。木造住宅の1階分に収納できる船ですから、必然的に小型の船舶に限られ、やや中型の船舶は湾内のバースに停泊していますが、ほとんどは船屋向けの小型船舶。伊根にこれだけの船小屋が残ったのは、小型漁船を中心とした漁業形態が続いていたこと、天然の入り江で外海の荒波から守られていたこと、などが考えられるでしょうか。海を覗くと急激に深くなっていて、天然の良港ということがわかります。

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船屋の家々はみな妻入で、同じような大きさとプロポーションで、無駄なく並んでいます。船を収納できる安定した木造住宅をつくるのに最適な規模だった、ということでしょうか。1階は船の収納だけで手一杯で、住居は2階部分。2階は、かつては縄や綱などの漁具を置き、網の干場でもあったため、階下から網や縄を引き上げやすいように、歩み板を渡すだけの床組だったそうです。自宅に専用バースを構築している家もあり、全体的に足元はしっかりしている感じ。

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海岸線に沿って続く一本道の街並み。海に面した向こう側が船屋になっているとはまったく気づかないくらい、漁村の雰囲気を感じさせない対照的な光景に思われないでしょうか。表と裏でこれだけ異なる街並みってあるだろうか、と不思議な気分に包まれます。風化した板張りの外壁が、かろうじて、ここが海に面していることを示しています。海側の船屋と道側の蔵が連続している家も多いです。

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伊根の風景は、船屋だけではなく、実は街並みも実に素晴らしいく、漁師の家々に混じって、京風の端正な和風住宅も残されています。

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大きな造り酒屋「蔵元むかい」。

遊覧船で湾内を一周するだけでなく、ぜひ、この道を歩いていただきたいと思います。伊根の西側の集落を通る国道178号線は海岸線に沿った一本道で道幅は狭く、クルマのすれ違いがやっと。遊覧船に乗船する観光客は集落の手前で駐車しますが、道の駅はこの先の高台の上にあり、観光客のクルマがどんどん入ってきてしまうのは仕方がないのかも。

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豊郷・高宮-かつて渡来人が開拓した中山道の宿

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近江八幡を中心に幅広い社会活動を展開した建築家ヴォーリズの作品、豊郷小学校。保守系町長による小さな町の小学校校舎解体は、全国的な話題にまで発展しましたね。建設会社の工事着手を住民が実力阻止したシーンは、いまだ記憶に新しいところです。
訪れたときは、そんな事件があったことは想像もできないほど、昼下がりの静けさの中にありました。中には入れませんでしたが、歴史的価値が高いことは一目見てわかります。オーラがあるんですね。そこにあるだけで、存在感がまるで違うのです。これは、いい建築の条件の最たるものだと思います。ちなみに、小学校にしては広すぎる駐車場には、どういうわけがあるのでしょうか。
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ヴォーリズの豊郷小学校の対面の光景。写真で見るとギャップが大きいのですが、現地に佇んでみると、不思議と違和感がありません。それだけ、ヴォーリズの洋風建築が、昔ながらの景観の中に自然に溶け込んでいるのでしょう。
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豊郷は近江商人を多く輩出した。伊藤忠商事を創業した伊藤忠兵衛の生家が今も残されています。天秤棒、転じて、巨大総合商社。近江商人の商売は、現代ビジネスの原点たるのでしょうか。
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ちょっと考古学になってしまいますが、豊郷の町外れに、「阿自岐神社」という変わった名前の神社があります。お宮様の名前は阿自岐ですが、地名は安食で、社殿の脇には、不思議な池があります。神社の境内にこんなに大きい池があるのは珍しく、かなり趣が違う様相です。一体なんだろう、これは。。。という感じですね。
手がかりはすぐに見つかりました。ここはかつて、応神天皇15年(西暦285年)、百済からの渡来人である、阿自岐氏によって開拓された地であり、日本書紀にもその名が登場するほど古いのだそうです。3世紀といえば、まだ秦氏の大集団が大陸から渡来する、はるか前。応神天皇による統一大和朝廷が飛鳥に成立したばかりの頃です。未開の僻地だったここ近江の地に、なぜ渡来人が住み着いたのでしょう。神社の由緒に、阿自岐氏との直接の関係が出てこないのが不思議です。池にはショウズという湧水があり、旱魃のときにも決して枯れることはありませんでした。安食という地名は全国にあり、かつて渡来人が住んでいたことが多いそうです。
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中山道高宮宿。本陣が1、脇本陣が2、旅籠が23と、中山道では本庄宿に次ぐ第二の大きさを誇っていたそうです。多賀神社の門前町として栄えたところで、宿の参道入口には巨大な大鳥居と常夜灯が鎮座しています。宿の中を流れる堀割。せせらぎの両側に板張りと塗り壁の妻面が面する様は、高宮らしいアングルtakamiya03.jpg

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中山道沿いには提灯屋の店。つい、立ち止まってしまいます。

■滋賀県犬上郡豊郷町■
■滋賀県彦根市高宮■
ともに近江鉄道本線の駅がある、旧中山道沿いの町である。高宮はかつての中山道第二の宿だけあって、今も商店が立ち並び活気があふれているが、豊郷はどちらかというと静かな農村という感じ。当初は近江鉄道で各駅停車の旅を考えたが、電車の本数も多いとは言えず、時間に制約されるので、結局クルマで移動した。天気がよく、体力に自信があれば、レンタサイクルで移動するのが、街道の雰囲気を味わえてベストかもしれない。
豊郷の東側から、東近江市にかけて、秦荘という地名のエリアが広がる。文字通り、秦氏の領地だったところで、近江上布、秦荘紬の資料を集めた「手おりの里金剛苑」がある。上蚊野には、かつて、300基にも及ぶ渡来人(依智秦氏)の大古墳群が遺存し、今は10基が整備保存されている。百済寺、秦氏が建立した金剛輪寺も、かつての渡来人王国の存在をしのばせる。西武鉄道創始者の堤康次郎は秦荘出身。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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