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八女福島-武士と職人と商人が交差した往還

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博多から九州自動車道で熊本方面に20分ほど走り、久留米ICの次で高速を下りると、そこは福岡県八女市。鉄道駅から遠いこともあって開発の手から逃れたのでしょうか、伝統的でノスタルジーあふれる八女福島の街並みが旅人を迎えてくれます。故郷に帰ってくるって、こういう気分なのかもしれません(故郷のない私には理解できませんが)。

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全国一の生産量を誇るという八女提灯。街並みを歩くと、美しい提灯が飾られたショーウィンドをいくつも目にします。薄紙の手すき和紙を使って内部を透かし、花鳥や山水などを描いた「涼み提灯」は、実に優雅で繊細、思わずじっと見入ってしまいます。八女には紙漉きの伝統工芸もあるのですね。大正時代以降は八女提灯独特の盆提灯が主流となり、現在では祭礼用や広告用の提灯なども生産されているとか。

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こちらは仏壇屋さん。江戸末期から明治、大正期には、和紙、櫨蝋、提灯、仏壇、石工品、茶、林業などの産業で栄えました。旧往還道沿いには、これらの商人や職人の町屋がずらりと並んでいたのでしょう、その名残を十分に味わうことができます。

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旧市街(?)への入口にあたるところに、おそらくご当地では唯一の洋風建築が建っています。今はリニューアルされて喫茶店になっています。この洋風建築の左右に伝統的な建物が立ち並ぶ旧往還が走っていて、すぐ隣には「堺屋」があります。
「堺屋」の屋号で酒造業を営んでいた、明治41年築の旧木下家住宅で、現在は一般公開されています。屋久杉の一枚板で作られた欄間や、紫檀の床框などは、見とれてしまうほど。文芸評論家の山本健吉さんの遺品を集めた夢中落花文庫もあります。

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八女の街並みは、白壁妻入の民家が通りに面してぎっしりと立ち並んでいて、九州北部は同じような形の街並みが多いようです。同じく重伝建に指定されている兵庫県の篠山と似たイメージですね。基本は妻入ですが、角地に立つ建物は入母屋の変形で、変化に富んだつくりになっています。

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1階部分をメーソンリー風にした和洋折衷の商店。このあたりではあまり見かけない材料のようですが、どこから調達したのでしょうか。

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木造3階建の町屋もいくつか見受けられました。こちらも提灯屋さんです。

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こちらは珍しい切妻の3階建。下妻かまぼこ店の店舗兼工場。かなり大きな建物です。

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小さな造り酒屋。このあたりは、城下町の名残である枡形を見ることができます。

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妻面全体を赤れんがの防火壁で覆った町屋。過去に何度も火災被害をこうむってきた証左です。

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旧市街と新市街を隔てる通り沿いで見かけた謎の建物。かなり大きいですが、今は使われていないようです。かつて旅館か何かだったのでしょうか。

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最後に、「喜多屋」。
いわゆる「造り酒屋建築」は全国の古い町並みを歩くと大抵お目にかかりますが、これほどまでに端正で美しく保存されている建物は、そうはないと思います。八女を訪れたら、必見です。

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平戸-隠れキリシタンたちのふるさと

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長崎・佐世保の先から、美しい赤い橋で平戸へと渡ります。静かな漁村の島には、美しいキリスト教会がいくつかあります。中でも、この「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」の美しさは、思わず息をのみます。1913年(大正2年)に今の愛の園保育園の所に建てられ、1931年(昭和6年)に現在地に建設された二代目とか。1971年(昭和46年)ザビエルの平戸来訪を記念して、「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになりました。

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ザビエル教会の脇を下りていきます。振り返ると、お寺の向こうにザビエル教会の尖塔が見える絶好のロケーションがあります。これも観光パンレットでずいぶん一般化しましたが、ずっと佇んでいると、実に絵になる風景。
平戸には、他にも田平天主堂や紐差教会など、美しい教会があります。時間を取ってじっくり見たかったが、このときは写真はこれだけ。
またいつか、きっと訪れたいです。

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杵築-石畳の坂道と漆喰塗りの庭園のように美しい道

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杵築の景観を印象付けるのは、坂である。いくつもの坂が名前を付けられ、個性を主張している。神戸や横浜、長崎、尾道などのように、坂というのは平地に比べて、変化に富む美しい空間を見せる舞台装置としてのポテンシャルを備えているが、杵築の場合は、傾斜が緩いことが空間の広がりを感じさせるポイントになっているようだ。重力に逆らって坂道を登ることは、人間にとってあまり嬉しいことではないが、足元ではなく上を見上げながら登れるため、坂道を愉しむことができる。「勘定場の坂」と呼ばれるこの坂は、石畳みの階段に石積みの腰壁と白い漆喰塗りの塀が続き、実に美しい。木々の緑との調和も素晴らしい。不純物のない透き通るような空間が広がる。
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志保屋の坂。階段状ではなく、石畳の坂道になっている。練石積みの擁壁と、実にいい感じで調和している。写真右は、「きつき城下町資料館」として公開されている茅葺の民家。
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表面の漆喰がはげて、土が露しになった土塀。土がえぐれ、中の小舞や「すさ」が露出しているが、白い漆喰塗りとの対比で見るとコントラストが際立ち、なかなか味がある。
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杵築では、道があたかも、ひとつの庭園であるかのように見えてしまう。側溝はすべて玉石で造られ、無味乾燥なコンクリート二次製品に見慣れている私たちにとって、実に新鮮である。それにしても、これほど美しい外構がバリエーション豊かに楽しめる街並みに遭遇することはほとんどないように思われ、歩いていて実に楽しく心地よい。綺麗好きなのだろうか、通りはゴミひとつなく美しく清掃されている。

大分県杵築市
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国東半島の海岸沿いに着陸する大分空港から、国道213号線または大分空港道路で大分市内に向かう途中の右手にある。歴史的な街並みのちょうど中心に市役所があり、駐車場があるので、ここにクルマを停めれば便利である。坂の上から杵築城を望めるポイントもある。近くには、カブトガニの生息地もあるらしい。大分市の南に臼杵市という町があり、名前が似ていて、あやうく間違えそうになった。臼杵も同様に坂道のある城下町で、素晴らしい街並み。
杵築から海沿いに走れば、日本に名だたる別府温泉へ。別府は九州横断道路の起点にもなっていて、ここから日本海側を目指せば、リゾート地の湯布院を経て、林業の町、日田に至る。日田市には「豆田町」という歴史的な街並みが残っている。大分自動車道を走る場合は、ぜひ「途中下車」して訪れたい。

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知覧-武家屋敷と枯山水と薩摩富士

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知覧といえば、武家屋敷の生垣と庭園が有名ですが、私自身は、初めて見るこの「竹樋」がmost impressiveでした。見れば、軒樋は半割りの竹製で、縦樋も太い竹です。木製の集水器も独特ですね。この納まり、見れば見るほど、実に渋く、味わいがあります。日本の伝統和風建築は「軒は深く、軒先は軽く」見せる手法ですが、台風銀座で雨風が非常に強いという風土を反映した結果、このように「軒先をダイナミックに演出」する形になったのかもしれませんね。
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知覧の武家屋敷街には、数軒の茅葺が残されています。東北地方の曲がり家のようにも見えますが、居住用の主屋(おもや)と台所用の付属屋(なかえ)を接続し、両方の屋根を小さい棟でつないだ「小棟おき二ッ屋」と呼ばれる形で、鹿児島の中でも知覧に特有なのだそうです。ほとんどの家は瓦葺に葺き替えられています。
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そして、ユニークなのは、主屋に男玄関と女玄関が並んでいることです。左が男玄関、右が女玄関です。野暮であるが、本当に男女できちんと使い分けているのでしょうか。
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質素な武家屋敷の座敷。奥の仏壇の上には、明治天皇・昭憲皇太后の肖像画が飾られています。床の間には、江戸時代からという珍しい駒の形をした提灯が飾られています。
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枯山水の庭園です。
『枯滝の石組を設けて高い峰とし、この峰から低く高く刈り込まれたイヌマキが、遠くの連山を表現している。鶴亀の庭園とも言われ、一変して高い石組は鶴となり、亀は大海に注ぐ水辺に遊ぶがごとく配され、石とサツキの組合せは絶妙である』
とあります。チンプンカンプンです。
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知覧の武家屋敷は、このように飾り気のない石造の外構を持つ家が多く、風化してエイジングした石のテクスチャーが、南国の雨風の強さと年月を感じさせます。見れば見るほど、味があります。人工的に手入れされた生垣よりも、はるかに心をひきつけますね。門を入ると、母屋までクランク状になっていて、屏風岩(琉球のヒンプン)により通りから中が見えないようになっています。琉球によく見られる魔よけの石碑もあります。
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生垣は実に美しく手入れされています。山をかたどった独特な形状。維持するのは大変でしょうが、見る者を飽きさせません。知覧では7軒の武家屋敷の庭園が公開されており、いずれも枯山水です。残念ながら、心無い観光客に踏み荒らされ、あまりよい状態ではありません。
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知覧の特攻平和会館。南洋で海中から引き上げられたゼロ戦の残滓。操縦桿を握っていたはずの若い戦士は南の海に散り、海中で永遠の眠りについていたゼロ戦だけが数十年の年月を経て、故郷に戻ってきました。
かつて、ゼロ戦にBMWやメルセデスのエンジンが搭載されたモデルもあったという事実は、日本とドイツの軍事同盟を歴史の教科書でしか知らない私たちを、歴史の深部にいざなってくれます。
最近のNHKの番組で、ゼロ戦は軽量化のために燃料タンクと人員を守る防弾措置が施されておらず、機体の剛性が低いため急降下に耐えられないといった欠陥を連合国側に見抜かれ、徹底的に狙い撃ちされたことを知りました。特攻青年たちの純粋さばかりが強調されている展示を見ながら、私としては軍部のアホさ加減が腹立たしくて仕方がありませんでした。最初から、負けるべくして負けた戦争だったわけです。そのために、英霊はもとより、かけがえのない日本の風景がどれだけ失われたか、そのマイナスは計り知れません。
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日本の南端に位置する枕崎駅。北海道の稚内や根室から途方もない距離をつないできたレールは、ここで途切れます。枕崎駅は、鹿児島中央駅とここ枕崎駅を結ぶJR指宿枕崎線の終着駅でありながら、実はJRの駅ではありません。1984年に廃線になった旧南薩鉄道の所有で、JRは間借りの珍しい駅だったのです。訪れたときはそんなことを知る由もなく、まるで廃墟のようにうらびれている木造駅舎に、思わず言葉が出ませんでした。廃線になった鉄道の駅舎がそのまま放置され、駅前だけがバスターミナルとして利用されているのか、と思ったくらいでした。一日数本の時刻表を見ながら、しばし考え込んでしまいました。
後日、その謎は一気に解けました。
「JR線最南端の枕崎駅が再開発で移設」という毎日新聞2006年5月7日付の記事です。

『JR線では「最南端の終着駅」となる枕崎駅(鹿児島県枕崎市)が再開発により100メートル移設された。旧駅舎は撤去され、1日開設した新駅はホームだけ。旧駅は木造の駅舎、構内の敷地も含め、鹿児島交通が駅一帯を地元スーパーに売却した』

私が訪ねたのは、解体されるほんの1か月前だったのです。最後の姿を瞼に焼き付けられたのはラッキーかもしれませんが、本州南端の終着駅が1本のホームだけというのは、およそロマンのかけらもありません。南端の終着駅は、こうして歴史の彼方へと葬り去られてしまいました。
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開聞岳。薩摩富士という名前からもわかるように、シンメトリーで美しい優雅な姿は、見る者の心を和ませます。この世と惜別して知覧の飛行場から飛び立った特攻青年の脳裏には、眼下の美しい開門岳はどのように映ったのでしょう。
このショットを撮ったのは、枕崎から指宿に向かう途中に通る、頴娃(えい)という街の海岸。この地名を初めて見て読める人は、まずいないでしょう。

■鹿児島県川辺郡知覧町■
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鹿児島市内で国道10号から、海沿いを指宿に向かう国道225号へ。谷山を抜け、平川を経て、影原で、知覧へ向かう道に分岐し、急な坂道を上っていくと、ほどなく知覧の武家屋敷へ到着。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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