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復興の狭間で~神戸・新長田まちづくりの教訓



NHKの特別番組「復興の狭間で~神戸・新長田まちづくりの教訓」を見ました。

正直、大ショックでした。
やっぱりな、という感じでした。

1995年の阪神・淡路大震災から10年目の2004年、仕事で神戸を訪れました。
三ノ宮などの繁華街は、震災があったことを一瞬忘れるくらい、復興していました。
でも、一歩裏通りにはいると、そこは表通りには見えない、復興の現状を垣間見せていました。
震災以来、放置されている土地が虫食い状に点在していたし。
中には、地表面に50cm近い段差が横切ったままになっている敷地もありました。
表向きは綺麗な立派なお店でも、横を覘くと実はプレハブの仮設店舗だったり。
複雑な思いでしたね。

市営地下鉄で長田にまで足を延ばすと、驚きました。
長田はかつて、ビニルシューズの一大産地だったはずでした。
その光景が大きく変わっています。
焼き尽くされた土地は整然と区画され、防災公園がきちんと配置されています。
都市不燃化のため、鉄筋コンクリートの集合住宅が次々と建てられています。
すべては都市計画の教科書通りです。
でも、まちづくりの主役であるはずの住民たちの姿が、見えません。
夕方の買い物時だというのに、人々はまばら。
街の活気が全然、感じられません。
まるで、ゴーストタウンのようでした。
一体、どうしてしまったのだろう。

あれから神戸を訪れたことはありません。
気にはなっていたのですが、今は知人もいないし、次第に意識の中で神戸という存在が遠のいていきました。

そんな時に見たのが、この特別番組です。

神戸市は、もともと震災前から、新長田を第二の新都心にするという都市計画案を検討していたという話。
新長田を第二の副都心にする、というのは、果たして住民の意思だったのでしょうか。
そして、震災の翌日には、再開発計画の立案のため、職員が図面をもって、被災地に出かけて行ったという話。
まだ町が燃えていて、人々が途方に暮れて道端に座り込んでいる時に、本当にそんなことをしてたのでしょうか。

さまざまな理由で再開発が遅れていた地域を、いわば震災を奇貨として、ブルドーザーで一気にならしてしまったような印象を受けます。
言葉はよくないけれど、体のいいスラムクリアランスにすぎなかったのではないのですか?
そんな疑念を思わず抱いてしまいかねません。

住民不在の復興計画は、結局こういうことになるのだということですね。
神戸株式会社が住民を置き去りにして暴走したツケは、結局、住民の皆さんが負わなければなりません。
おいしい思いをしたのは、政治家やデベロッパーやゼネコンだけ。
「ぼくたちは立派なハコを責任もって作ってあげるから、それを自由に使って、いい街をつくるのは、君たちの仕事だよ。
こんなに立派なハコを作ってあげたのに、上手に使いこなせないとは、君たちも知恵がないね~」
てなところでしょうか。
そして、こんなことになっても誰も責任を取らない、役所というシステム。

東北はこんな風になってはならないと思います。
日本はもう、土建国家じゃないのです。
肥大化したゼネコンを食わすために巨大なハコモノ事業を続けるのは、いい加減やめなければ。


オリンピックの東京開催が決まりました。
人々が浮かれ気分でいるうちに、住民不在の東京改造計画が秘かに進められることがないよう、切に望みます。
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熊谷市の竜巻被害の爪痕

kumagayasaijoh.jpg
写真:9月16日午後、朝日新聞・小川智氏撮影


日本各地で甚大な被害をもたらした台風18号。
京都の嵐山の浸水とか、信じられないような光景でした。
痛ましい花火大会の事故があったばかりの福知山も、追い打ちをかけるように、容赦ない洪水が町を襲いました。
そして、各地で発生した竜巻の被害。
私の住んでいる熊谷でも、かなりの被害が出ました。
被災から一週間たち、気になって現地の状況を確認してきました。

テレビ中継が入っていた、西城という集落です。
写真の住宅は被災当時の新聞写真ですが、今はもうがれきはほとんど片づけられ、被災した住宅の骨組みがあらわになっていました。特に、こちらの住宅の向かって右側の平屋部分、壁の内部がえぐられ、柱以外は何も残っていない状態でした。
驚いたのは、写真左手前の化粧ブロックです。かすかに映っているだけで、写真では状況がよくわからないのですが、上部の2段がひしゃげています。果たして、鉄筋で補強したブロック塀が突風でひしゃげるでしょうか。おそらく、何か固くて重いものがぶつかったのだろうと思いますが、地震以外でブロック塀がこんなになるなんて初めてでした。

集落のあちこちで、屋根の修理が行われていました。屋根や窓を覆うブルーシートがあちこちにみられます。
必要なら飛び込みでボランティアをしようと思っていましたが、がれきはかたづけられ、住民の皆さん、今は家の中の清掃をしているようでした。

さすがに、被災した皆様が片づけをされている横で、写真を撮るなんてことはできません。写真を撮るのを許可いただくにも気が引けるし、集落の中をそっと歩いただけで出てきました。

思ったのは、被害がとても狭い範囲で起きているということです。
幅100メートルもないのではないでしょうか。
甚大な被害を受けた住宅のお隣が、まったくなんともなかったり。

どこで起きるか、これはもうまったく運と偶然でしかないですね。
地震のように万遍なく発生するものではなく、あくまで局所的に、限定的に発生するんだな。
そのことを実感しました。
ゆえに、被災された方の「被災感情」は半端ないと思います。
なぜ、うちが?という思いは消えないはずです。
不公平感がありすぎです。

今後、地球温暖化の影響で、竜巻はどこで起きてもおかしくない、とも言われています。
今まで、建築の設計で、竜巻なんて考えたこともなかったわけです。
それを、これからはきちんと考慮しろ、と言われても無茶というものです。保険でカバーするしか、ないのかな。

ただ、建築的に多少の対処はしなきゃいけないように思います。

まず、雨戸です。
最近は、サッシの防水性が格段に良くなったので、雨戸は防犯が第一目的となり、2階には付けないことが多いけれど、やはり2階にも雨戸は必要ですね。
雨戸がないと、窓から入った突風が屋根を中から吹き飛ばしてしまいます。ガラスが粉々に割れて大怪我をしますし。

それと、屋根材の固定の方法を考えなければ。
特に屋根瓦は重いので、飛ばされてしまうと周囲に与える被害がより大きくなります。
瓦の形状や固定方法を見直し、飛ばされにくくする工夫をしなければいけませんね。

あとは、軒の問題。
もともと日本家屋は軒が深いのが伝統だけれど、最近の今風住宅は軒を浅くする傾向がありますね。
昔はいまほど竜巻がなかったのだろうけれど、竜巻対策を考えたら、むしろ軒は浅いほうがいいのかもしれません。今風住宅は、その意味で、理にかなっているのかもしれません。あまり突起や凹凸をつけないほうが竜巻対策にはよいということなのでしょうか。
それじゃあ、デザインが四角い箱になってしまいますが。

これから、いろいろな研究や実験が行われるのでしょう。
これはまったくの素人考えですが、構造的にねじれやすい建物は竜巻にも弱い気がします。

それから、コンクリートの基礎と土台の固定が十分でないと、家ごと飛ばされてしまいます。
この集落でも、写真には映っていませんが、基礎だけを残して家ごとなくなってしまった住宅がありました。テレビインタビューによると、リフォームを終わり、これから住むところだったそうです。
新居に住めなかったのはとても残念ですが、お怪我がなかったのが何よりです。

わずか数秒の間にこれだけの被害を引き起こす竜巻。
その恐ろしさの一端がわかったような気がしました。

テーマ : 台風
ジャンル : ニュース

想像ラジオ

radio-in-souzou.jpg

あの大震災から早いもので2年半弱が経とうとしている。
人々の記憶は移ろいやすい。
あれほどの衝撃をもって受け止められた大震災の記憶も、自分も含めて、否応なく、次第に脇へと追いやられようとしているのを感じる。
これではいけないと記憶をもう一度呼び覚まそうとする人。時の流れに身を任せるように自然に忘れていく人。
皆いろいろだろう。
じゃ、自分はどうなんだろう。
そんなとき、この本に出会うことになった。

津波で亡くなった方は、どんな思いを抱いてこの世から去って行ったのだろう。
言いたいこと、やり残したことがたくさんあるだろう。
とりわけ。大切な家族を残してきた方は、今すぐにでも、この世に戻ってきたいだろう。
でも、こちら側にいる者たちは、残念ながら、彼らの姿を見ることも、その思いを聞くこともできない。
これほど、お互いにもどかしいことはないだろう。
なんてことだ。
何とかならないのだろうか。

確かに、見ることも聞くことも話すこともできない。
でも、感じることはできるのではないか。
「見る」とか「聞く」とか「話す」は物理的に限定的だけど、「感じる」は無限の広がりを有してはいないだろうか。

だけど、どうすれば、彼らをより感じることができるだろう。
感じるためには、何か、よりどころのようなものがほしい。
もっと言えば、突破口というか、仕掛けのようなもの。


実は私と同い年である、いとうせいこうさんの作品「想像ラジオ」。
津波で流され、木の上に引っかかったままの主人公が、想像上のラジオのDJとして、自らの思いをしゃべり始める。同じように津波に流されて海に沈んだ人、同僚を探してさまよう人から便りが届く。亡くなった方と生き残った方が交錯しつつ、ラジオがさまざまな人たちの思いをつなげていく。

彼らの声を聴きたい、その思いに触れたいと願い、想像ラジオをチューニングすれば、彼らの声が聞こえてくる。
もちろん、誰にでも聞こえてくるわけではない。
実際に電波を流しているわけでもない。FMでもAMでもない(著者はIMだと言っているが)。
でも、然るべき資格を備えた者には、ちゃんと聞こえてくるのである。

震災による死者に思いを馳せる手段として、著者が考え出した想像ラジオ。
着想にはとても共感が持てる。
もちろん、読んでいて違和感を感じる部分もないわけじゃない。
それも、人それぞれ。
各自がこの本を読んで、自分なりの想像ラジオをチューニングし、話を聞こう、はがきを書いて投稿しよう、リクエストしよう、などと思うようになれば、著者の願いは半分達せられたと言えるのかもしれない。

それにしても。

死者が言葉を発することができない以上、言葉で死者を語るというのは、どこかに無理がある。
死者は言葉を超越した、というより、言葉のない世界にいってしまわれたわけだから。
本来は、死者がDJで語りかけるというのは、生きている者の意識の延長で死者をとらえているのだろう。
もちろん、そんなこと、著者は百も承知なわけで。
書いている最中、さまざまな疑問にぶつかって、立ち往生したことも二度三度ではなかったと思う。
ある意味、誰もがしり込みしていたテーマではないか。
勇気をもって挑戦し、まとまった作品に仕上げた著者を尊敬するし、すごいと思う。
あれこれケチをつける評論家など、スルーすればよいだろう。


誰だって、死にたくはないと思う。
立派に死んでいく人なんて、いないだろう。
誰だって、この世に大いなる未練をたらたら残しながら、仕方なく旅立っていく。
まして、大津波で一瞬にして生を奪われてしまった方たちは、何をかいわんやである。
こんなのってありかよ、オレが何したっていうんだよ、冗談じゃねーよってのが本音だろう。
死者の側にも、生者の側にも、言いたいことは山のようにある。
それが、一瞬にしてすべてが閉ざされてしまう。
それが、死というもの。
結局、受け入れるしかない。

読み終わった感想はいろいろあるが、長くなるのでこのへんで。

ひとつ、この想像ラジオの放送は、いつまで続くのだろう。
それが気になった。
リスナーや投稿者がいる限り、続けてほしいと思うのは、私だけではないだろう。
でも、木の上に一人残され、寒さに震えている彼にそれを求めるのは、酷というものだろう。
であれば、彼に代わって、こちら側から想像ラジオを放送するしかない。

リスナーや投稿者がいる限り、想像ラジオは続いていく。
いや、続けなくちゃいけない。
いつまでも。
どんなに時が経とうと、想像ラジオがある限り、記憶が風化することはない。
そうあってほしい。

自戒も含めて、そう思う。

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

福島第一原発の吉田元所長を悼んで

東京電力福島第一原子力発電所の吉田昌郎前所長が、ガンのため亡くなられた。
闘病中とはうかがっていたが、まさかこんなに早くお亡くなりになるとは。
大変悲しく、痛ましい。

日本という国を背負い、日本の国民を背負い、文字通り「盾」となって、未曽有の原発事故に立ち向かった吉田さん。
本店のお偉方の無理難題に正面から反論し、自らの決断を貫いた吉田さん。
かっこよくて、男らしかったですね。

そして、吉田さんがいたから、多くの原発作業員たちは決死の覚悟で、放射能が漏れ出した原子炉に向かっていった、と聞く。
吉田さんがいなかったら、原子炉に行けという命令を誰が下したかわからないけれど、作業員の方たちが、果たして、その危険な命令に従ったかどうか、疑わしい。
吉田さんがいたから、作業員の方たちには、俺たちが日本を守るんだ、という意識が芽生えたのではないか。

多くの方たちが、そういう想いを抱いているはず。
ツイッターには、国葬にすべきとの書き込みもあったとか。

私たちは、吉田さんを美化しすぎているだろうか?
彼は、与えられた職責を全力で果たす以上に、何かとても重要なものを心の中にもっていた。
それは、多くの日本人が、心の中に、漠然とした美学として抱いているもの。
それを体現したからこそ、多くの国民の共感が集まるのだろう。
一生懸命やってきたのは、何も吉田さんだけではない。いろいろな立場の皆さんが、与えられた立場で全力を尽くしてきた。
しかし、大多数の国民は、その過酷な現場に足を踏み入れることはできない。
固唾をのんで見守るしかない。
この埋めようがない距離感が、吉田さんをして、次第に象徴的な存在へと昇華させていったのかもしれない。

いずれにしても、あまりに早すぎる死であった。
早く元気になり、家族との当たり前の生活を取り戻してほしかったのだが。

そして。

中身はまったく違うが、同じような事が、つい最近もあった。

兵庫県尼崎市で、不可解な事件を引き起こした角田三枝子。
警察に逮捕され、これから事件の真相を解明すべき時に、こともあろうに留置場で自殺した。
数々の不可解な謎を秘めた事件の全容は、闇に葬られつつある。

今度の原発事故はどうだろう。
現場の最終責任者である元所長という立場でなければ知りえなかったこと、考えられなかったこと、決断の裏にあった科学的な根拠と確信などなど。
それらは、吉田さんの死で、うやむやになってしまうのだろうか。

原発事故の収束に向けて必死の作業が続く福島第一原発。
チェルノブイリと並んで人類史上最悪とも言われる原発事故を起こした以上、当事者である国や東電は、できる限り詳細かつ透明な報告書をまとめあげることが、国際社会に対する大きな責任である。
そして、吉田さんは、まさに、その最重要人物であった。
事故の経過を包み隠さずつ、まびらかにすることは、後世の世代に対する貢献でもある。
東電のメンツのために、脚色された報告書がまとめられたら、原発事故で苦しむ人たちは本当に浮かばれない。
悲惨な事故から得られた貴重なデータや経験をできる限りオープンにしなきゃいけない。

周囲にいた方たちが、何とか吉田さんの思い、考えを代弁してあげてほしい。
だけど、原発事故の数週間後に東京に一時帰省した際、どこかのデパートで値札を付け替えて万引きする事件を起こしたのは、当時の副所長だったっけ。
正直、耳を疑った。
東電の原発は、こんな人が幹部でまかり通っていたわけだ。
悲しいが、吉田さんがいかにまっとうな人だったか、これだけでも推察できる。
貴重な方を失ったという想いは、ますます募るばかり。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

大津波の爪痕を旅して その1 荒浜

気がつけば11月も終盤。秋も深まり、山々は美しく紅葉しています。
今年はずっと忙しくて、旅に出ることもほとんどありませんでした。
大津波の被災地がどうなっているのか、ずっと気になっていました。
三連休がフリーになったので、今回はボランティアではなく、クルマで現地を旅してきました。
大震災に関するニュースが一気に減少し、国民の関心が低下しつつある今、現地の「今」をこの目で見てみたい、と思ったのです。

荒浜、石巻、鮎川、女川、大船渡、陸前高田、気仙沼を回ってきました。
2日間の強行軍だったので、釜石、南三陸は行けませんでした。
やはり、自分の目で見て確かめなければわからないこと、新聞やテレビで報道されないことがたくさんあるんだな、と感じました。

以下、順番にUPしていきます。

早朝の新幹線「はやて」で朝8時に仙台に着き(速い!)、小さいレンタカーを借りて旅を始めます。

最初に向かったのは、荒浜です。
海岸から100~200mのところに家屋が並び、付近に高台がなく、広範囲にわたって被害を受け、多数の犠牲者が出たのは皆さんご記憶の通りです。
震災当日、私は東京の「ビッグサイト」の展示会の会場にいたのですが、交通機関がすべて止まり、偶然出食わした旧知の知人と一緒に近くのホテルのエントランスで一夜を明かしました。その日に限って携帯電話を充電してなかったため携帯から情報が得られず、館内放送やラジオなど何も情報がなく、夜になって周囲の方から宮城県の荒浜に数百人の遺体が横たわっているというニュースを伝え聞き、とにかく驚いたことを覚えています。
荒浜という地名はそれまで知りませんでしたが、脳裡に深く刻まれました。

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昨年、なんちゃってボランティアで数回とはいえ現地に行っていたので、それなりに心の準備はできていたつもりですが、あまりのすごさに言葉を失います。一面、原野です。鉄筋コンクリート製の住宅の基礎だけが、そこに建物があったことを示していますが、その光景がどうにも頭の中に思い浮かびません。あらゆるものをなぎ倒してしまう津波の破壊力、人間の力ではどうにもすることができません。
地図によると、このあたりにお寺があったようなのですが。。。

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砂浜の松並木。これだけの津波の直撃を受け、激しく傾きながらもかろうじて立っています。塩水をかぶったし、高田松原の一本松のように、いずれ枯れてしまうのでしょうか。

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荒浜小学校。子供たちが学び、遊んでいる気配はまったくありません。体育館も激しく破損しています。校庭は赤茶色に錆びたバイクの置き場と化していました。小学校の校舎を解体するかどうかで住民と行政が話し合いをしているようです。

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海沿いを走る県道10号(塩釜亘理線)沿いに立つ3階建ての建物。3階まで津波が来たことを物語っています。現地に立つと、このレベルまで海面が上がるということが、理屈はともかくとして、感覚としてまったく理解できないのです。正直、ありえないです。

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壊滅してしまった住宅街の中で、わずかにその姿をとどめているのは、鉄筋コンクリート造の住宅だけ。それも、激しく損傷しています。

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復興を誓う地元に皆さんのメッセージ。
故郷を再生したい気持ちは痛いほどわかります。
だけど、建物の3階にまで海面がせりあがって襲ってくる体験をしたら、そのトラウマたるや一生ものではないでしょうか。何度もフラッシュバックしてくるだろうし。といって、三陸のように、近くに移転できる高台があるわけではない。いったいどうすればいいのか。。。
地域によっては、自宅を再建したり仮設商店街を立ち上げるなど、少しずつ復興が始まっていますが、荒浜ではがれき処理が終わりつつあるものの、人の気配がまったく感じられません(おそらく地区全体を移転するという行政の意向なのでしょう)。この問題の難しさを物語っているようです。

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荒浜から県道10号線を北上し、石巻に向かいます。
途中、七北田川を渡り、仙台方面に左折したあたりの光景です。
近くには仙台港があり、このあたりにまで海水が流れてくるのでしょうか。
地盤がかなり沈下していることがわかります。

以下、石巻編につづく。

テーマ : 旅先での風景
ジャンル : 旅行

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Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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