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五箇山-山あいの合掌造りの集落

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ついに世界遺産に登録されてしまった、五箇山(相倉)の合掌造り集落。5年ぶりの再訪となりましたが、何も変わっていませんでした(観光客の数は倍増していましたが)。
白川郷と比べるとひとまわりダウンサイジングされていますが、60°の屋根勾配はほぼ同じ。正三角形を構成するこの角度が、雪を最も落としやすいそうです。相倉の合掌造りは20戸、多くは100~200年のものですが、古いものでは400年前に建てられたものもあるとか。400年前といえば、天下分け目の関が原の戦いが行われていた頃ですから、これはもう驚き。
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斜面には石を積んで築いた棚田が広がり、その上には集落全体を見渡すことができるスポットがありました。合掌造りの背後に、遠く立山連峰まで望むことが出来る絶景。
合掌造りは、世界有数の豪雪地帯にあって、大家族が身を寄せ合って暮らすために必然的に生み出されたフォルムであって、凝った意匠などは何もありません。でも、それが自然と調和して美しい風景を生み出し、ユネスコのお歴々によって世界遺産として認めてもらえたことは、日本人として大いに誇らしく思ってよいのではないでしょうか。

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富山(水橋)-売薬で栄えた港町の街並み

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昭和40年に富山市に編入された水橋。富山市から東へ10kmほど、常願寺川を超えるとやがて、白石川にぶつかります。水橋地区は、白石川の両側、東西に分かれて広がっています。古くから越中の売薬の中心地として、また北前船(バイ船)の寄港地として大いに栄えてきました。富山の東岩瀬と異なり、特に観光地としての街並み保存も行われておらず、外部の人が訪れることも少ないためか、昔ながらの家々が自然に残されています。

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石金家住宅(西水橋)大正元年築。国登録有形文化財。

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石黒家住宅(東水橋)

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小松家住宅(東水橋) 

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1階の軒下には雨よけか付けられています(小松家住宅)。海に近く、風雪が激しいことのあらわれでしょう。

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ただ、それらの家々も都会化しつつある街並みの中に点在していて、板張りが剥がれたりなど、現住民家であっても十分な維持保全がなされているとはいえません。無人らしい荒れた民家もありました。

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富山(岩瀬)-バイ船で栄えた浜街道の街並み

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富山市東岩瀬。神通川河口にほど近く、日本海に面した「浜街道」には、昔ながらの街並みが保存されています。重厚な民家は宮城家住宅。土蔵造りの珍しいお寺がありました。

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重厚な土蔵と繊細な千本格子の調和が美しい。

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北前船で栄えた森家の住宅。日本海と瀬戸内海に沿って、米、魚肥、原綿、昆布、藍玉、生薬などを仕入れ、海運と販売を一貫経営していました。森家の裏はすぐ岩瀬港で、船から何上げされた品物はすぐ、敷地内の蔵に運び込まれました。この地方では、北前船は「バイ船」と呼ばれています。

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吹抜天井は、クロマツの梁桁が重層的に組み合わされ、天窓からやわらかい光が差し込みます。冬の間、雪に閉ざされる北陸に住む人たちの光への渇望みたいなものを感じますね。

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森家には蔵が2つ残されており、そのいずれも、観音扉の扉裏に鏝絵が描かれています。描かれているというより、3次元のそれは、まさに彫刻といってもよいのでは? 何ともいえない躍動感に満ち溢れていて、今まで見た鏝絵の中ではいちばん凄かったです。思わず見入ってしまいました。

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高岡(金屋町・伏木)

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高岡は鋳物産業の町。ここ金屋町は高岡の鋳物産業の屋台骨を支えた職人町で、京風の千本格子の連なりは、およそ鋳物師の街とは思えない風情を漂わせています。
前田家2代目の前田利長が、河内の流れを汲む砺波郡西保金屋から鋳物師を呼び寄せたのが最初とか。中世以来、全国の鋳物業界を掌握していたのが大阪の河内で、河内の真継家の「免許」を与えられて初めて、たたらを稼動することができたそうです。
江戸中期以後は鋼から銅へ、そして近代化の過程でアルミへと比重を移していきますが、現在も全国のお寺で吊り下げられている梵鐘はほとんどが高岡製とか。金屋町には「高岡市鋳物博物館」があり、当時の鋳物職人たちが使っていた道具なども展示されています。

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街を歩くと、鋳物の「型」をとるための型板が保管されていたり。きっと建築家もずいぶん世話になっていることでしょう。

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高岡市街から海よりの伏木地区には、旧秋元家住宅(現 伏木北前船資料館)があります。明治20年の大火で焼失したあとに建て替えられました。伏木は昔から天然の良港で、秋元家は海運を家業とし、廻船問屋として富を築いていました。北陸特有の黒い瓦と板壁が印象的。蔵の上には、可愛い望楼が付いていて、今でも上がることができます。

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大人一人やっとという狭い階段を登ると、そこには1畳ほどの小さな空間がありました。昔は港へ船の出入りを見張るために設けられたといい、実に風通しがよく、居心地のよい空間。ここにずっといたら、見張りなど忘れてしまうのではないでしょうか。
「上がれるのは大人4人まで」という制限つき。でも、4人一緒は無理っぽい。

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伏木には、日本初の民間測候所であった旧伏木測候所がありました。現在は、高岡市伏木気象資料館になっています。明治42年建築で、当時は寄棟屋根の上に望楼のような観測塔が設けられていましたが(写真で見る限り、実に味わい深い)、残念ながらRC造3階建の観測塔が出来たときに取り壊されてしまったようです。

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高岡(木舟町)-黒塗壁と防火壁による重厚な街並み

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高岡は、明治33年、大火により市街地の6割を焼失してしまい、以後、ぶ厚い土蔵造りとして壁を黒塗りとし、かつ、れんが造のごつい防火隔壁を作るようになりました。
黒塗りの住宅は、筏井家住宅(県指定有形文化財)。実に堂々としています。明治36年の建築で、代々、綿糸などを商っていました。
2階窓の観音扉は、すべての窓を開けたとき、隣り合う扉が一体化して納まるように設計されています。このあたり(木舟町)は山町筋と呼ばれ、重伝建に指定されています。

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明治35年築の菅野家住宅(国指定重要文化財)。北海道との通商で富を築き、高岡紡績や高岡電灯などを興し、高岡の政財界の中心的な人物だったとか。
防火隔壁は、まるで門のようにも見えます。そして、隣家の隔壁との間には、細い路地が設けられています。

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雪のためか、雁木のようになっていますが、隔壁が行く手をふさいでいます。明治の大火以前は、高田のように雁木が延々続く街並みだったのかもしれません。下屋の支柱の柱頭に施された装飾に注目。

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明治42年築の塩崎家住宅。今でも計量器の販売を行っています。角地に立ち、一方が洋風、片方が和風という和洋折衷は、昭和9年の道路拡幅により本来の建物が間口2間分を削り取られた結果。現在も、はかり・計量・計測機器総合商社「塩崎商衡」として営業しています。

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ちょっと不思議な印象の建物。その名は「井波家仏壇店」。もともとお茶の卸商を営んでいたのを、仏壇商の井波家が買い取ったもの。店の土間部分は2階が吹抜で、四周に回廊がついているます。古い土蔵造りの家を、防火も兼ねて思いっきりリニューアルしたのでしょうか。国登録有形文化財。

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さすがに仏壇王国(?)、北陸だけのことはあるりますこれだけ立派な仏壇屋さん、関東圏ではなかなか見られるものではありません。中を覗くと、金箔で鮮やかに彩られた数百万円の豪華仏壇の数々に、ため息が出ます。それだけ、先祖を大切にしてきたということなのでしょうか。

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富山銀行本店。大正3年に高岡共立銀行として設立されました。辰野金吾大先生の監修を受けて清水組(現在の清水建設)の田辺淳吉が担当したもので、横浜や神戸から切り抜いてきたかと思う、立派な洋風建築です。

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金沢(ひがし茶屋街)

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ひがし茶屋街の二番丁の通り。文政3年(1820年)、当時の加賀藩は、この近辺に点在していた茶屋を集め、町割りしました。今で言う再開発ですね。天保3年(1832年)に一時廃止されましたが、慶応3年(1867年)に再開され、東新地として再興された、とあります。慶応3年といえば、明治維新の年ではないですか。政治的に不安定だった幕末にあって、薩摩や長州の動きは、百万石の加賀にも伝わっていたでしょう。茶屋を当局の監視下に置いたのは、それと無関係ではなかったような気もします。今では重伝建に指定され、美しい街並みが整備されていますが、ほとんど観光客向けなのがちょっと寂しくもあって。。。

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ひがし茶屋街にある「志摩」。文政3年(1820年)に建てられた遊郭で、今も当時とほとんどかわらない姿をとどめています、大変貴重な建築物。国重要文化財でもあります。
当時、イチゲンの客は、なかなか座敷に上げてもらえませんでした。何度も通っててやっと座敷に通された客は、床の間を背にして座ります。客から見て正面の控えの間は演舞の場となり、やがて襖が開くと着飾った芸妓さんが優美な舞や三弦などを披露します。べんがらで飾られた壁は色鮮やかで、障子を通して差し込むやわらかい光と調和して、いやしの空間を演出します。当時の人たちは、こんな最高の贅沢を味わえたのですね。

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こうして見ると、花街という中に閉じた世界ゆえ、中と外のコントラストが興味深いです。この空間で芸妓や客は、どんな会話を交わしていたのでしょう。

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ひがし茶屋街から浅野川寄りの小路で見つけた三味線屋さん。ショーウィンドーの中身に引きつけられ、しばらくぼーっと見ていました。

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金沢(尾張町)-城下町金沢に残る町人街

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金沢の町の骨格は、天正11年(1583年)に前田利家が豊臣秀吉から石川・河北の2郡を与えられ、所口(七尾)より金沢に入城し、この尾張町を始めとする町作りに着手した当時までさかのぼります。尾張町という名前は、「前田利家入城の時、尾張の荒子(現在の名古屋市中川区荒子町)で用命を承っていた町人を召し寄せて居住せしめた処」であったことに由来するとか。
空襲を受けなかった金沢の町はあちこちにレトロな佇まいの風景が見られますが、中でもこの尾張町は、重厚で歴史を感じさせる建物が多く残されています。泉鏡花の生家跡が近くに残されています。

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三田商店。帝国劇場をモデルに昭和5年に建築されたとか(設計・施工:大林組)。外装のスクラッチタイルがレトロで美しいですね。玄関にはステンドグラスが飾られ、1階は画廊喫茶になっています。当時の尾張町にこういう建物を依頼したオーナーって、やはり先取の気概に富んでいたのでしょうか。正面の彫刻はかなり傷んでいるようで、ちょっと心配。

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城内の大手堀で見かけた洋館。さりげなく素敵です。

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浅野川から見た主計町の街並み。いかにも金沢らしいです。

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ガウディの伝言

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 京都の美大を卒業し、アルバイトで美術講師をしながら彫刻家への道を漠然と探っていた著者は、20代のある日、ヨーロッパへ向かうことを思い立ちます。最初にフランスを訪れた彼の足は、次に向かうはずだったドイツでなく、スペインに向かいました。マドリッドではなく、バルセロナに向かったのも、半分は成り行きだったらしく。。。
 しかし、なかば何者かに導かれるようにして引き付けられたバルセロナには、ピカソやダリとならび賞されるカタルーニャの生んだ天才、ガウディの遺した建築物が光を放っていました。その光の虜になった著者は、いまだ建設中の「サグラダ・ファミリア」の現場に自然と出入りするようになり、いつしか専属彫刻家として、その修復に携わるようになっていきます。それはまさに運命的な出会いだったに違いありません(偶然の出会いというより、何かを探し求めていた若者を美の神様がバルセロナに呼び寄せた、のかもしれませんね)。

 本書は、天才ガウディの「伝言」を読み解きながら、志なかばにして世を去ったガウディが後進に託した「サグラダ・ファミリア」の完成に向けて、来る日も来る日も石を彫り続けてきた濃密な28年間に見たこと考えたことを、やわらかいタッチでつづったもの。

 ガウディの建築は、そのあまりの奇抜な構造と過剰な装飾とで、見る者を圧倒し、冷静な思考を奪い取ってしまうように感じます。特に建築のデザイナーであれば、なおさらです。でも、著者によると、ガウディの建築は、たとえば、
○空間を立体的に考えるには二次元の図面は邪魔になる
○すべての部材は機能と象徴とを兼ね備えている
○三次元の曲面は一本の直線の集積に過ぎない(双曲線)
といった原理原則に基づいた、きわめて合理的で幾何学的なもの。石という自由の効かない材料だけで高層建築を作り出すために、鎖を逆さ吊りにしてカメラで撮影し、それを上下反転させ、重力と調和する理想的な構造を生み出すに至ったという話は、驚きを超えて感動的ですらあります。過剰とも思える彫刻も、すべてキリスト教への深い理解からごく自然に生み出されたそうです。

 一見複雑でも、思考の拠り所となる規準さえ知ってしまえば、あとはそこからの類推でものが出来上がっていく仕掛け。没して以後も、天の上から地上の人間たちを導いているかのよう。著者は、まさに天国のガウディとの対話を通して、彼の分身となって、生前に果たしえなかった夢の実現に向けて精魂込めて石を彫り続けて来たのです。

 読み終わった後、深い満足感に包まれました。何ともいえない感動。心地よい余韻。きっと、ガウディの建築って、訪れる者、その空間に身を置く者をこういうすがすがしい気持ちにさせるに違いありません。いい空間は人の意識を浄化させる。きっと、ガウディはそんな考えを持っていたのではないでしょうか。

 著者は彫刻家であり、職人です。職人は一般に寡黙で多くを語りません(最近はテレビに出たりプレゼンまで行う職人もいるけれど)。彼らにとっては目の前に作り出される「かたち」がすべての価値であって、その点で言葉は何の意味もないから、なのでしょうか。すべての思いやメッセージを作品に込めれば、それが彼の手を離れてどこに、誰の元に流れ着こうと、彼の作品を手にした者にメッセージは伝わるはずです。逆に、作品が不完全であれば、半端な言葉で補わざるをえなくなります。作品にすべてが込められる、それが職人の世界なのだろうと思います。素敵ですね。

 ガウディは職人の家庭に生まれ、職人たちの仕事を見ながら育ちました。一見「職人泣かせ」に見える奇抜なデザインも、実は職人の作業性を最大限に考慮したデザインなのだそうです。それも、実際に石を彫るという作業を続けてきたからこそ、気がついたことですね。

 日本は世界に誇るものづくりの技能を持っています。日本の精緻な伝統美術工芸は多くの西洋人の目を釘付けにしました。ガウディに負けないだけのものを持っているわけです。でも、日本という国は、あまりに経済発展を急いだせいで、職人という国の誇る宝をあまりにも粗末にしてきたのではないでしょうか。何百年にわたる伝統の蓄積に支えられた職人の技能をコンピュータに代行させるというのは、自殺行為ではないでしょうか。それが生産性の向上というなら、この国は一体どこに向かおうとしているのでしょうか。ドッグイヤーなどという言葉を考え出したのは誰なのでしょうか。いまだに建築中で完成のメドもたたない「サグラダ・ファミリア」と、あまりに対照的ではないでしょうか。

 バルセロナで彼が石を彫っているところを見てみたいと思います。少し離れたところから、覗くようにして。きっと、いい目をしているに違いありません。


外尾悦郎 著
光文社新書
950円


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パレオマニア-大英博物館からの13の旅

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 一週間以上かけてちびちび読んできた。どちらかというと速読派の自分にとって、これほどの遅読は珍しいのではないかなと思う。読み終わりたくなかった、この本の主人公である「男」の感傷世界にどっぷりと浸かっていたかった。。。読み終わった時、不思議な満足感に包まれた。で、出てきた結論。

「もし、旅に快楽があるとしたら、こういう旅を言うのだろうな」

 世界中の名品を集めた大英博物館。古代の土の中から出てきた収蔵品の数々と対面し、魅せられ、その発するメッセージにじっと耳を傾ける。

(ここでは仮に、「男」が魅惑された収蔵物を「彼」と呼ぶことにしてみよう)。

感じるものがあれば、「男」は地球の反対側だろうが砂漠の中だろうが、万難を排してどこへでも足を運んでいく。エジプト、メソポタミア、ギリシャ、イラク、トルコ、カナダ、メキシコ、カンボジア、オーストラリア、韓国、そして本家本元のイギリス。そして、目の前に広がる光景に見入りながら、歴史のはるか彼方、「彼」が生まれ、躍動し、埋められ、そして静かに眠りについてからの、気の遠くなるような時間に思いを馳せる。

 本書のタイトルの「パレオマニア」は「古代妄想狂」と訳されているが、どうやら「誇大妄想狂」にもひっかけているらしく、「男」は持てる知識と感覚を駆使して、妄想を駆け巡らせる。

「彼」が自分から言葉を発しない以上、「彼」とのコミュニケーションは、「男」が想像力を駆使するしかない。「男」は「彼」をあたかも仲の良い友達のように、あたたかいまなざしで見つめ、そして問いかける。

本書は、「男」と「彼」との間の、時空を超えた対話の記録である。「彼」の生の声を聞くには、「彼」のいた土地にまで行くしかないではないか。。。それは決して、美しい写真やグーグルアースのような便利なツールで代用できるものではない。

 「男」は言うまでもなく著者の一人称を三人称的に設定したもので、著者はギリシャ、沖縄などいろいろなところに住み、今はフランス住まい。旅の天才なのかな、とも思う。

日本人は概して旅行好きだと思うけれど、でも、いったいどれだけの人が「男」のような「快楽の旅」をしているだろうか。でも、「男」が提示した旅のかたちは、決して時間とお金に恵まれた人だけでなく、身のまわりの小さな旅からだって実践できることかもしれない。
私たちが住んでいるすぐ近くにだって、私たちを古代へといざなうタイムカプセルの入口がそっと空いていて、私たちを待っているのかもしれない。気づくか気づかないかは人それぞれ。

 思うがままに想像力を働かせ、感覚を研ぎ澄まし、土地が発するメッセージに耳を傾け、思考を組み立てていく。その結果、見えてくるものは何だろう。科学としての歴史学は、古代の出来事を実証的に分析して「史実」を明らかにできるかもしれない。でも、人間が築き上げてきた文明とは、いったい何だったのかという根源的な問いには、たぶん答えてくれないような気がしてくる。

そして、「男」がいろいろな文明のルーツを訪れて感じたこと。
「たとえ大陸が違い、他の文明の影響を受けなかったにしても、人間が築く文明のかたちはそんなに違わない」
「何千年前の人間も今の人間も、美的感覚という面では大して違わない」

進歩って、一体何なんだろう。
ますますわからなくなってきた。


池澤夏樹 著
集英社インターナショナル

月刊「PLAYBOY」での連載を単行本化したもの。
2004年3月初版 現在第5刷
やはり売れているのです。

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帝都東京-隠された地下網の秘密

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 地下鉄の車内で、窓の外のトンネルにじっと見入って、何やらノートに片っ端からメモっているおじさん。傍から見たら、ちょっと「行っちゃってる」ように見えたかも。カンボジアPKOや湾岸戦争の突撃取材をしてきた元朝日新聞外報部記者、記者を辞めて始めたのは、国際情勢の分析とはかけ離れた(ように見える)地下鉄の取材でした。意外といえば意外ですが、地下鉄は国家機密と深く関っていたという、歴史の裏をあぶり出してくれます。

 彼が真っ暗な窓の向こうに見ていたのは、地下鉄のトンネルの構造です。一般的に、戦前に開通した地下鉄は銀座線だけで、丸の内線以後は戦後に構築されたと言われていますが、これがとんでもない虚偽だとわかります。彼は、その虚偽を暴くべく、トンネルを凝視していたのです。東西線や日比谷線には、どう見ても、銀座線と同時代か、もしくはそれより古いと思えるようなトンネルが残されていますね。いくら軍部が歴史を隠蔽しても、トンネルは嘘をつきません。数年にもわたる取材を続けた根気には頭が下がる思い(これで名を売って食っていくんだ、という意地みたいなものもあったのかもしれないけど)。

 結論はというと、大東亜戦争中、いや戦争に突入する前から、国家は首都防衛のため、東京中に秘密の地下ネットワークをはりめぐらすことを計画し、実行していました。第一次大戦以後、空軍力が急速に進化し、空の脅威が倍増したためです。それは単なる防空壕ではなく、軍部の指揮統制機能を地下で遂行できるような、壮大なものでした。しかし、機密中の機密ですから、「地下防衛施設建設予算」などと大っぴらに予算申請するわけにはいきません。それで地下鉄や下水道が利用されました。表向き、地下鉄を敷く形で、実は地下トンネルをつくり続けていたのです。それらは、国民の知らないところで、政府要人の移動などに使われていて、一部のトンネルには、実際に政府専用の地下鉄が敷かれていたことも明らかにされています。

 地下鉄丸の内線、日比谷線、東西線などは、戦前からあったトンネルをかなり再利用しています。首都高速の環状線と新宿線が分岐し、魔の急カーブと言われる三宅坂ジャンクションは、幻の地下鉄新宿線用に作られていた戦前のトンネルを再利用したものだったんですね。まだ10年くらいしか経っていない南北線の溜池山王駅だって、戦前からありました。何しろ国会議事堂という国家機能の中枢部です。図面でそれを証明されると、もう納得せざるを得ません。地下鉄大江戸線にいたっては、驚きの連続。確かに、なぜあのような変な路線になったか、いったい誰が乗るのか、なぜ広軌なのか、不自然に小さい車体は何を意味するのか、利用する誰もが不思議に思っていたことです。地下鉄の不自然な急カーブは、交差点に沿って曲がる、既存の地下埋設物を避けるといった理由に加え、すでに出来上がっていた地下トンネルに接続する、という途方もない要素があったなんて。

 筆者によれば、これらはすべて、戦後処理の一環としての「地下処理」なのだそうです。多くの地下空間は、地下駐車場に転用されましたが(日比谷公園や首都高速の地下駐車場などが一例)、今でも軍が建設した無数のトンネルが処理しきれずに眠っています。10数年前、御徒町でおきた陥没事故も、表向きは新幹線工事を請け負ったゼネコンのせいにされましたが、トンネルが原因でした。政府が建設し、民間にプレゼント:譲渡された線を「P線」というらしいですが、大江戸線などは採算を度外視したP線だったことは疑いの余地がありません。

 そういえば、都庁の新宿移転の際、有楽町と新宿をつなぐ弾丸道路の建設が提案されたことがあります。結局実現しませんでしたが、本当はそんなものはとっくに建設済みなのかもしれません。私たちが何も知らされていないだけで。
 もうひとつ、10年くらい前、地下鉄日比谷線の中目黒駅でおきた痛ましい事件。車両が脱線して壁に衝突し、ボクシングに熱中する優秀な高校生の命が奪われました。現場は、車輪が悲鳴を上げながら上り下りする急カーブです。この不自然な急カープも、もしかしたら。。。。とつい考えてしまいます(筆者は、日比谷線のトンネルの古さを強調しています)。もし本当にそうだとしたら、大事な息子を失った親御さんは、どこに怒りの矛先をぶつけたらよいのでしょう。

 最後に、元新聞記者なのだから、もう少し読者がわかりやすい文体で書いてほしかったです。地下鉄の立体構造を感覚的にわかりやすく表現するのは難しいと思うけど(3Dによる模式図があるとよかった)。東京に通勤している人間にも読みづらい。地下鉄のない都市に住んでいる読者もいるのですから。。。。。
続編もあるようですが、わたし的にはもうおなかいっぱい、かな。

著者 秋庭 俊
新潮文庫 (ISBN:4-10-126351-5)

生野-1300年の歴史を持つ銀山の麓の産業城下町

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生野銀山は807年に開山して昭和48年に閉山されるまで、実に1300年あまりの歴史をもっています。国家的に重要な産業基盤として、信長、家康をはじめとした時の権力者たちに重要視され、奉行所も設置されていました。明治維新で鉱山は閉鎖され、直後に焼き討ち事件が発生して全焼してしまいますが、フランス人技師の手によって近代的な設備を備えた鉱山に生まれ変わり、明治29年には三菱資本の傘下に入りました。
生野の町は、平野部に広がる口銀谷(くちがなや)と、銀山の採鉱口の手前に広がる奥銀谷(おくがなや)から構成されています。写真は、口銀谷にある史料館「生野書院」。

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口銀谷の落ち着いた静かな街並み。方形で寄棟屋根の珍しい建物は、旧松一醤油店で、国登録文化財。この道の奥には、やはり国登録文化財の旧海崎医院がありますが、残念ながら瓦の葺替え工事中でした。

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郷宿だった旧吉川家建物をリニューアルした、生野まちづくり工房「井筒屋」。江戸時代、生野は旅人の宿泊が禁止されていました。今で言えば原子力施設みたいなもので、最高レベルの国家機密地区だったのでしょう。それで公事人のために設けられた6軒の郷宿のうちの1軒。天保3年築。

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旧地役人邸宅で、国登録文化財。所有者の方が今も住んでおられ、美しく維持管理されていますが、裏側には洋風建築が建て増しされていました。

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江戸時代に郷宿と掛屋を掛け持ちしていたという町屋。こちらはすでに誰も住んでいないように見受けられました。これも国登録文化財。

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旧銀山官舎。銀山に勤務する日本人官吏向けに、明治8年に建てられたもので、いわゆる炭鉱労働者が住む炭鉱住宅ではありません。同じようなつくりの寄棟の平屋建が一定ピッチで並んでいます。黒澤明監督の映画「生きる」「七人の侍」などで有名な俳優の志村喬が明治38年にここで生まれたことを知り、とても驚きました(生家はもう残されていないが、裏手に生家跡があります)。「生きる」の最後で、自分で手がけたちっぽけな公園で一人ブランコに乗る姿が、とても印象的だったなー。

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生野カトリック教会は、瓦葺の重厚な和風住宅の横に洋風建築が増築されていて、門の表札を見なければ、ここがカトリック教会とは誰にもわからないでしょう。普通の民家を使っている教会はずいぶん見てきたけど、カトリック教会では初めてだったような気もします。

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口銀谷の洋風建築、実は元警察署だった建物。明治19年築の旧和田山警察署生野分署。地元の大工さんがみようみまねで作った擬似洋風とありますが、なかなかよくできているのでは。。。

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プロフィール

【プロフィール】

●名前
 fabio777
●住まい
 千葉県
●職業
 普通の会社員(編集系)
●年齢
 40代
●カメラ
・CANON EOS30D
・OLYMPUS CAMEDIA C-755ULTRAZOOM
・CANON EOS5
・CANON A-1
●PC
・PANASONIC CF-W2
●趣味
・旅 ・山登り ・森林浴 ・古本屋めぐり ・ジョギングなど 
●サイト開設のきっかけ
 20~30代は土日も出勤の仕事漬けの生活でしたが、ふとしたことで5年前に転職してから、時間に余裕が出来、好きだった旅をするようになりました。風景や街並みへの漠然とした憧れは以前からありましたが、奥会津を旅した時、満開のサクラの下で、赤い屋根に白い壁の民家が佇む集落の美しさに、思わず息を飲むほど感動してしまった。以来、日本各地の印象的な風景を求めて、旅をするようになったわけで、私にとっては原点のような一枚です。



●近況
3年ほど前から、学生時代に少しやっていた山歩きを再開しました。比較的危険の少ない尾根歩きが中心です。気に入った山に何度も登るクセがあって、百名山や二百名山をを制覇しようとか、そういうことは全然思いません。下山して、山のいで湯に浸かり、地元の街並みを散策するような旅がお気に入りです。
なお、2009年に入って、足を怪我してしまい、登山は中断しています。復活は2009年秋口になりそうです。それまでは完治目指してじっと我慢の子なのです。

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最近は、人為的な街並みよりも、こういう風景に癒されます。

●タイトル変更
2006年2月にオープンした後、放置していたのですが、2008年12月、「NIPPON街並み紀行」から、現在のタイトルに変更し、リニューアルオープン(?)しました。
変わり映えしないかもしれませんが、よろしくです。

リンクしたい方はご自由に(連絡だけはお願いしますね)

美山-京と若狭の影響を受けた山里の美しい茅葺集落

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京都府南丹市美山町知井の北村の集落には、32軒の茅葺住宅が点在し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。地理的には京と若狭浜のちょうど中間に当たり、京文化を軸に周辺地域の影響を受けています。入母屋屋根に板張りの北山型の美しい民家が並ぶ様はまさに圧巻。最も古い住宅は1796年築、多くは19世紀中頃に建てられたというから驚きです。春の花に彩られた茅葺民家のたずまいは、メルヘンのよう。

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山の斜面と山裾にひな壇状に住宅が配置され、集落内には細い路地が通っています。北山型民家は、入母屋、土間が上げ庭で狭い、中央の棟木の筋で室を分ける、板壁に板戸などが特徴のようです。

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集落内にある美山民俗資料館。200年前の中農民家の形をよく残していますが、平成12年に火災で焼失し、再建したものだとか。囲炉裏端に座って管理人のおばさんと話していると、開放的で素朴なつくりと相まって、心が和みます。

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かつて富士山麓には「根場」という茅葺集落が美しい姿を見せていましたが、今からもう40年以上前の昭和41年9月、台風26号による地すべりに飲み込まれ、一晩で集落すべてが消滅してしまうという悪夢のような出来事があったことを思い出しました。ここ美山を見て、写真でしか見たことのない根場集落にとても似ているような印象を抱きました。

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小浜-海に面した奈良と称される北前船の寄港地

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小浜は北前船の寄港地であり、江戸時代中期まで日本海側で最大の港町として栄えました。丹後街道は若狭街道とも呼ばれ、小浜湊で陸揚げされた物資は、熊川を経て琵琶湖に面した今津に送られ、船で大津から京へと運ばれていました。
小浜の街並みは、若狭の国の藩主だった京極高次が丹後街道に沿って寺町、町人町、郭町を配したという計画都市。「物資が動けば、人も文化も動く」ということで、小浜には130もの寺院があり、さながら「日本海に面した奈良」といった趣き。

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郭街であった三丁町。べんがら塗りの美しい千本格子が街並みを彩つています。当時、これらの家々の千本格子はすべて紅で艶やかに染められていたのでしょうか。それにしても、伝統和風建築の色彩に、べんがらは本当によく似合いますね。

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玄関まわりのしつらえは上品で、それぞれの家ごとに、和の趣向が凝らされています。建具のデザインが実にバラエティに富んでいて、一軒一軒見て歩く楽しみに浸かっていると時間のたつのを忘れてしまいそう。

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東小浜駅の界隈にも町並みが残されています。小浜の三丁町とは異なり、町人街だったのでしょう。

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比較的最近できた家と思われますが、袖壁には見事な鏝絵が描かれ、階段の蹴込には釉薬が美しい焼き物が張られています。こういう家を作る大工さんが地元にいれば、小浜の街並みは今後もずっと維持されることでしょう。重要伝統的建造物群保存地区への指定も大詰めを迎えていると聞きました。

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ぜひとも見ておきたい洋風建築「小浜聖ルカ教会」。明治30年、れんが造瓦葺き平屋の教会堂が完成し、昭和6年に教会堂の屋根を撤去し、れんが造の上部に木造で2階部分を増築したものです。登録文化財。
入母屋造の屋根の上に小さな塔をのせ、川に面して切妻屋根の玄関を張り出しています。なんともユニークで可愛い形をしていますね。小浜湾に注ぐ南川の河口近くの左岸にありますが、時間の制約もあって見逃してしまいました。写真は、日本聖教会ウェブサイトの教会紹介記事から。

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伊根-船屋が連続する漁村の風景

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伊根は、日本海に丸く突き出した丹後半島の東側にあり、 浦島や徐福の伝説を今に伝える港町。宮津から国道178号線を海岸線に沿って走り、やがて、伊根湾の入江にさしかかります。遊覧船の乗船場のある小さい岬をやり過ごし、伊根湾の対岸が目に入ったとき、誰でも感動の声を上げるに違いないでしょう。230戸もの舟屋が湾を囲むように、海岸線にずらりと並んでいるのです。
湾の奥に漁協があり、その手前(西側)と向こう(東側)に延々と続いています。写真(上)は、高台にある道の駅の展望台からの西側の全景、(下)は海岸線まで下りてのビュー。

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漁協のバースの先端に立って、船屋と対峙します。テレビや映画、写真でしか見たことがなかった光景が目の前に広がっているのは、夢でも見ているような不思議な気分。ほとんどの家が妻入の船屋だ。木造住宅の1階分に収納できる船ですから、必然的に小型の船舶に限られ、やや中型の船舶は湾内のバースに停泊していますが、ほとんどは船屋向けの小型船舶。伊根にこれだけの船小屋が残ったのは、小型漁船を中心とした漁業形態が続いていたこと、天然の入り江で外海の荒波から守られていたこと、などが考えられるでしょうか。海を覗くと急激に深くなっていて、天然の良港ということがわかります。

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船屋の家々はみな妻入で、同じような大きさとプロポーションで、無駄なく並んでいます。船を収納できる安定した木造住宅をつくるのに最適な規模だった、ということでしょうか。1階は船の収納だけで手一杯で、住居は2階部分。2階は、かつては縄や綱などの漁具を置き、網の干場でもあったため、階下から網や縄を引き上げやすいように、歩み板を渡すだけの床組だったそうです。自宅に専用バースを構築している家もあり、全体的に足元はしっかりしている感じ。

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海岸線に沿って続く一本道の街並み。海に面した向こう側が船屋になっているとはまったく気づかないくらい、漁村の雰囲気を感じさせない対照的な光景に思われないでしょうか。表と裏でこれだけ異なる街並みってあるだろうか、と不思議な気分に包まれます。風化した板張りの外壁が、かろうじて、ここが海に面していることを示しています。海側の船屋と道側の蔵が連続している家も多いです。

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伊根の風景は、船屋だけではなく、実は街並みも実に素晴らしいく、漁師の家々に混じって、京風の端正な和風住宅も残されています。

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大きな造り酒屋「蔵元むかい」。

遊覧船で湾内を一周するだけでなく、ぜひ、この道を歩いていただきたいと思います。伊根の西側の集落を通る国道178号線は海岸線に沿った一本道で道幅は狭く、クルマのすれ違いがやっと。遊覧船に乗船する観光客は集落の手前で駐車しますが、道の駅はこの先の高台の上にあり、観光客のクルマがどんどん入ってきてしまうのは仕方がないのかも。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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