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御茶ノ水から神保町をちい散歩

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明治大学の皆さんには見慣れた光景です。なんせ、学校の真ん前にあるのだから。
バブル華やかなりし1987年、かの磯崎新センセイの設計により姿を現したこの建物、一種のセンセーションでした。新建築など建築雑誌に豪華なカラーグラビアで出ていたのを覚えています。まだ明治大学の建物がボロっちかった頃、この建物のデザインは周囲で際立っていましたね。

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ウィリアム・メリル・ヴォーリズ設計による旧主婦の友社ビルを取り壊し、主婦の友社が「御茶ノ水スクエア」として再開発したもので、この建物は「A館」にあたります。このA館には、日本初の室内楽専用ホールとして、バッハの伝統を受け継いだ「カザルスホール」が作られました。「カザルス」の名は、20世紀を代表するチェロ奏者の1人であるパブロ・カザルスの名にちなんでいるとか。低層部でヴォーリズの名作の歴史的建築物の意匠を再現し、ラスタータイル張りの高層部との組合せというのは、当時のポストモダンとかいう時代のお決まりのパターンだったような。。。

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しかし、この建物は、日本大学に買い取られ、日本大学キャンパスの一環として「整備」が進められています。B館、C館はすでに取り壊され、カザルスホールも2010年3月31日限りで使用中止になりました。
今、この建物には「日本大学法科大学院」の看板が掲げられてます。

このカザルスホールには、ドイツ・ユルゲン・アーレントのバロック様式オルガンが設置されていて、「バッハ以来の伝統を、ここまで忠実に残すオルガンは世界的にも珍しい」というほど貴重なホールだそうです。それが、なぜ法科大学院の模擬法廷になるのでしょうか。さっぱり理解できません。声の通りがいいから法廷に向いているのでしょうか??? 2000年に主婦の友社から日本大学に売却されてから、解体されるのではないかという噂がずーっとあるみたいです。

カザルスホールのホームページには、下記のような日本大学のお知らせが出ていました。

日本大学カザルスホールの使用停止について (平成21年2月4日)
 本学は、このたび懸案事項でありましたお茶の水キャンパス再開発計画の策定に着手するに当たり、同キャンパスに所在する日本大学カザルスホールの貸し出しを含む使用を、平成22年3月31日をもちまして停止することといたしました。平成14年に本学が同ホールを教学上の施策として取得以来,学外の皆様にもコンサート専用ホールとしてご利用いただいてまいりました。同ホールへのご愛顧に対し、衷心より感謝申し上げます。また、同ホールの使用停止に伴い、平成22年4月以降のご利用をご検討いただいておりました皆様には、ご迷惑をおかけすることとなりますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。


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参考記事:asahi.com
カザルスホール、来年3月に幕 室内楽の殿堂
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200902030389.html

 日本を代表する室内楽の殿堂、東京・お茶の水の日本大学カザルスホールが来年3月で閉館することが分かった。日大キャンパスの再開発計画に伴うもの。風情のある建物や文化財級のパイプオルガンがどうなるのかは未定だが、音楽ホールとしての歴史は事実上幕を閉じることになる。
 同ホールは87年、チェロの巨匠パブロ・カザルスの名を冠し、日本初の本格的な室内楽ホールとして主婦の友社によって建設された。当時は華やかな大ホールが注目を集めたバブル期だったが、511席という親密な空間と優れた音響で、ロストロポービチや内田光子ら内外の一流アーティストにも愛された。
 02年、経営難に陥った主婦の友社が日大に売却。大学の施設として使われる一方、一般向け貸しホールとしても運用されてきた。日大総務部によると、来年4月以降の公演申し込みは断るといい、「建物自体を残すかどうかは未定だが、敷地は大学の施設として使う予定」としている。
 同ホールは、ビオラの祭典「ヴィオラスペース」などユニークな自主公演を相次いで企画し、全国各地のホールのモデルケースとなってきた。アコーディオン奏者の御喜(みき)美江さんは「ホールというより『工房』という印象。ハードとソフトが一体となり、人の血の通った空間で演奏家を育ててきたホールは他にない」と、閉館を残念がる。
 同ホールの顔だったパイプオルガンの行く末を憂う声も少なくない。ドイツの名匠ユルゲン・アーレント作。開館10周年の97年に設置され、マリー・クレール・アランや鈴木雅明ら、世界的なオルガニストに演奏されてきた。
 廣野嗣雄・東京芸大名誉教授は「バッハ以来の伝統を、ここまで忠実に残すオルガンは世界的にも珍しい。移築も不可能ではないが、オルガンはホールと一体の楽器。日本の宝として鳴り響き続けてくれるのを祈りたい」と語っている。(吉田純子)


わたしはホールでの演奏を聴いたことは一度もなかったので、その素晴らしさはまったくもってわからないけれど、建物だけは残してほしいんだなあ。何に使ってもいいから、とりあえず残してくれ、日本大学さん!

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そんな複雑な思いで駿河台下に下り、すずらん通りの裏に回ると、ありました!
何の変哲もない街並みの中に突如、こんなものすごい建物が姿を現します。
建物というより、造形、アートそのものといった感じですね。
神保町シアターです。

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なぜこんなデザインでなければならなかったのか、施主がよほど酔狂だったか、はたまた設計者(日本を代表するN設計事務所)の冒険か、よくわからないけれど、見れば見るほど頭の中が混乱する建物です。

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こちらがエントランスですね。

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それにしても、ゼネコン(これまた日本を代表するK建設)の担当は大変だったろうなあ。
どんな図面だったのか、どうやって作ったのか、ぜひ話を聞かせてほしいものです。

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再開発でだいぶつぶされてしまいましたが、神保町の路地には、まだこんな20世紀の名残が。
「ミロンガ」と「ラドリオ」が路地の対面で向き合っています。
どちらも味のあるレトロなお店です。

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神保町シアターの印象が強烈だっただけに、なんかほっとする感じです。
気に入った古本を買って、こういう店でのんびり過ごすのって、和風の温泉宿で何もせずに過ごすのと同じぜいたくな気分になります。
それにしても、路地って、いいもんですね。

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古書店街の一角に、ひっそりとたたずむ小さい眼鏡屋さんがあります。
古びたショーウィンドをよく見ると、そこにはジョン・レノンのプロマイドが。
ジョン・レノン愛用の眼鏡が展示されています。
神保町の小さい眼鏡屋さんとジョン・レノンにどういうつながりがあるか、興味のある方はお店に入って聞いてみてください。ただし、ご商売の邪魔にならないように。


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東京拘置所の風景

東京都足立区小菅。
今や北東京の一大ターミナルとなった北千住駅から荒川を越えると、その建物は見えてきます。
屋上にヘリポートがある近代的な建物は、ぱっと見、病院のようにも見えます。
この建物、しかし、病院ではありません。
何をかくそう、あの東京拘置所なのです。
もとはといえば、もっとポロっちかったのですが、8年くらい前でしょうか、全面的に建て替えられました。冷暖房完備で快適な反面、「個室」からは外がまったく見えず、屋上にある運動場からは空しか見えません。外界から遮断され、無機的で、精神的におかしくなる人もいるんだとか。

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東武伊勢崎線で北千住駅の次の小菅駅のホームに立つと、日常的に電車が行き来する目と鼻の先に、その「異界」は存在します。
気づかない人にとっては、また興味のない人にとっては、あってもなくても関係ない建物。
日々の暮らしとは隔絶された世界。
下車しても、駅の案内表示に「東京拘置所」の表示は見当たりません。
なんとも不思議です
あるべきではない建物がひっそりと存在している、というべきなのか。。。

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悪いことをして法律に違反すれば、手錠をかけられ、おまわりさんにしょっぴかれて、ここにぶちこまれます。
裁判が確定し、実刑判決になれば、ここから全国各地の刑務所に移送されます。
裁判が確定するまでは、保釈にならない限り、ここから出ることはできません。
あとは、死刑囚も、刑務所ではなく、拘置所に「住んで」います。
先日、第一次菅内閣の千葉法務大臣によって公開された処刑室は、ここ小菅の一角にあります。
なぜ唐突に公開したのか、いまだに深い謎ですね。
何の意味もなかったような。。。


ところが、最近は、何も悪いことをしていなくても、こういう施設に入れられてしまうことがあります。
とてつもなく恐ろしいことです。
厚労省幹部の村木さん、彼女は大阪地検特捜の手により極悪人に仕立て上げられ、半年以上にわたり、大阪拘置所に拘留されていました。

無罪判決が出た直後、大阪地検特捜部によるFD改ざんが発覚し、主任検事が逮捕されるという、わけのわからないことになってしまいました。
一体全体、どうなっているのでしょうか。

そもそも、村木さんのこの事件、当初から無理っぽい雰囲気がありましたね。
検察が筋書きを見立て、そのストーリーに当てはめるように容疑者をしょっぴき、密室でグリグリ締め上げて、都合のよい供述を誘導し、調書を作文してしまう。
同じような体質は、警察にもあるのかもしれないけど、特捜の場合はそれに輪をかけてひどい。
事件を作っちゃうわけだし。
そう、例の「国策捜査」ってやつですね。

この「国策捜査」という言葉を広く世に知らしめたのは、佐藤優さんの功績でしょう。
「国家の罠」をまた、読んで見たくなり、さらっと再読してみました。

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数年前、この本を読んだときにはとにかくショックで、しばらく興奮してたことを覚えています。
佐藤さんと対峙し、本書によっておそらく日本一名の知られた検事さんになったかもしれない、西村検事。
西村さんの言葉が、リアルに再現されていて、特捜という組織の性格がよくわかります。

「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それで断罪していくんです。(佐藤さんは)運が悪かったとしか言えない」

「国策捜査は冤罪じゃない。だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車が違っただけで塀の中に落ちただけで、歯車がきちんとかみ合っていれば、社会的成功者として称賛されていたんだ。そういう人たちは世間一般の基準からすると、どこかで無理をしている。だから揺さぶれば必ず何か出てくる。そこに引っ掛けていくのが僕たちの仕事なんだ。だから、捕まえれば必ず事件を仕上げる自信はある」

「万一無罪になっても、こっちは組織の面子をかけて上にあげる(=上訴する)。10年裁判になる。最終的に無罪になっても、失うものが大きすぎる。国策捜査で捕まる人は頭がいいから、みんなそれを読み取って呑み込んでしまうんだ」

「調べ室の中で、僕たちは絶大な権力を持っている。この権力を使って何でもできると勘違いする奴も出てくる。怒鳴りあげて調書を取れば、だいたいの場合はうまくいく。しかし、それは筋読みがしっかりしているときだけにいえる話だ。上からこの流れで調書をとれ、という話が来る。それを「ワン」と言ってとってくる奴ばかりが大切にされる。僕は「ワン」という必ず形で仕事をできないんだ」


裁判官はともかく、検察官の「本音」ともとれる考え方を、しかも取調室での真剣勝負の中で展開された話が、こうして活字になっていること自体、考えてみれば、すごいことだなあと思います。言論の自由が保障された日本ならでは、なのかなと思います。普通の国なら、圧力がかかるのが当然だろうし。
そして、特捜という組織に身を置きつつ、その体質に染まらずに自分のやり方を通す西村さんも、すごいと思う。


こうした西村検事とのやり取りを経て、佐藤さんは、国策捜査の性格を次のようにまとめています。

「国策捜査とは、国家がいわば『自己保存の本能』に基づいて、検察を道具にして、政治事件を作り出していくことだ。冤罪事件と違って、初めから特定の人物を断罪することを想定したうえで捜査が始まるのである」
「だから、国策捜査のターゲットになり、検察に『蟻地獄』を掘られたら、そこに落ちた蟻は助からないのである」


今回の村木さん事件の報道を見ていると、やっぱり国策捜査だったんだな、という印象が強いですね。
ただ、佐藤さんが見立てていたほど「水準の高い」国策捜査じゃなかった。
FDを改ざんしたり、改ざんしたFDをそのまま返却したり、お粗末というよりは、なんか変ですね。
検察ってこんなに軽かったの? って思われちゃいますね。
この際、徹底的に解明してほしいと思います。


村木さんは無事、無罪になったけど、鈴木宗男代議士は塀の中の人になってしまった。
これでもし、鈴木代議士が無罪になっていたら、検察の権威は地に落ちていたでしょう。
だから、村木さんの無罪判決の前に、鈴木代議士の異議申し立てを棄却した、という見方もあるみたいです。
鈴木代議士は、「政治的な判決だ」とおっしゃっていましたが、真実は闇の中。

雨に煙る東京拘置所を遠くから眺めつつ、ここに蟻地獄に落ちた人がいないことを祈りたくなりました。

最後に、鈴木宗男代議士がこういう結末になった原因は、彼の「周囲の嫉妬心に無頓着な性格」が災いしたと、本書には書かれています。これは、佐藤さんと西村検事の一致した見立てです。鈴木代議士は、日ロ友好と北方領土返還という目標に向けて、あまりにもがんばりすぎて、その結果、鈴木氏に権限が集中していくのに周囲がやっかんでいるのを気付かず、無防備な状態で足をすくわれてしまった、ということのようです。こういうのを「脇が甘かった」というのかもしれませんが、鈴木代議士は、テレビや週刊誌が面白おかしく書き立てるような政治家ではなく、とにかく真面目な人だと思うし、日本外交にとって大きな損失だと思います。
鈴木代議士の実刑確定を聞いた政治家たちの多く(日本共産党を除く)は、テレビインタビューで、鈴木氏の実績をあげ、残念だと答えていました。
今となっては仕方のないことですが。。。




トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

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2009年7月13日から17日までの予定で組まれた、アミューズトラベル社主催のツアー登山で、真夏だというのに8人もの方が低体温症でなくなられた、衝撃の事件から1年。いまだに多くの「?」に包まれているこの事故(事故というより、事件といったほうがいいかも)、科学の視点も踏まえて客観的に分析した、待望の書が出版されました。

低体温症と疲労凍死の区別がつくか、と聞かれて、明確な違いを説明できる人は、医者を除いていないに違いありません。いや、医者だってきちんと説明できないかもしれない。一般登山者向けに、低体温症とはどういう症状をいうのか、何が原因でどのようにして発症するのか、応急措置の方法や治療法はあるのか、といった疑問に答えてくれます。山に行く人間は誰もが一読しておくべき本じゃないのかな、と強く思いました。

山岳遭難ライターの第一人者である羽根田治さんが、第一章で遭難の全貌を詳細なヒアリングから再現し、最後の第六章でツアー登山の問題点と今後のあり方についてまとめています。第二章では、ツアーに参加して命からがら生還し、1年の沈黙を経て重い口を開いたガイドの生々しい証言をインタビュー形式でまとめています。
ここだけ読めば、このツアーの生々しい実態を知ることができます。

第三章は気象遭難、第四章は低体温症、第五章は運動生理学の話。ちょっと固めのタイトルですが、わかりやすく書かれていて、データにしても自分の山行に当てはめて実感できるように書かれているので、ちゃんと読めば、とても参考になるのは間違いありません。

いろいろ書いてしまうとネタバレになるのですが、第一印象は、低体温症って思っていた以上に恐ろしいんだな、そして、人間ていとも簡単に死んでしまうんだな、ということでした。重ね着をする、衣服を濡らさない、行動食を摂取する、風雨の強い場所に長時間立ち止まらない、そして何より、悪天候下では行動を慎むこと。。。考えてみれば、いずれも基本中の基本なのですが、「諸般の事情」により、これらの基本が守られないと、悪条件が重なって低体温症になってしまう。トムラウシのような環境で、ひとたび低体温症になってしまったら最後、自分で自分を救う方法はないといっていいみたいです。意識が朦朧としてきて、足がふらついて転ぶようになり、ろれつが回らなくなり、どうでもいいや、と感じ始めたら、もう立派な低体温症。元気な人に支えられて暖かいテントや避難小屋にでも入らない限り、あとは死ぬしかありません。
なんだか睡眠薬自殺みたいだ、と思いました。

事故当日の気象は台風とほとんど同じ、そして、北海道の2000m級は北アルプスの3000m級と同じ。真夏とはいえ、台風の中、北アルプスの3000mの稜線を歩いたとしたら。。。
今回の事故は、それくらいの「無茶」を強行した結果なわけです。

本書を買うときは、このツアーの実態を知りたいという気持ちが強かったのですが、低体温症の怖さのほうがずっと印象に残りました。

ツアーの実態については、新聞や雑誌で書かれていた内容の延長線上で、バラバラだった生存者の証言をつなぎ合わせ、不運にも亡くなられた参加者がまだ生きていた時の様子を再現し、時系列で整理されています。そして、三人のガイドのうち、添乗員でもあった西原ガイド(日本山岳会公認ツアー)は低体温症で亡くなり、一番若い山崎ガイド(自称ポーター)はハイマツの上で意識を失っていたところを翌日に発見され、今回のインタビューで口を開くことになりました。もう一人のカギを握る人物、瀬戸ガイドは本書のインタビューには応じていません。

旅行会社の法的義務については詳しく知らないのですが、今回のツアーで真っ先に法的責任を追及されるのは、当然のことながら、主催者であるアミューズトラベルだとばかり思っていました。しかし、警察が立件を進めているのはガイドだそうです。西原ガイドは死亡し、山崎ガイドはあくまでサブガイドで参加したわけなので、瀬戸ガイドが立件されることになるのでしょうか。彼がインタビューに応じなかったのは、もしかすると、そういう事情があるのかもしれません。しかし、ガイドだけが立件されるというのが本当だとしたら、ちょっと腑に落ちない部分もありますね。

今回の事故の後、アミューズトラベルは、入院中の山崎ガイドを訪ね、「無謀なことはしないでください」というようなことを言ったのだとか。なんだかまるで他人事みたいな口ぶりで、ちょっと唖然としました。
本当だとしたら、おいおい、という感じですね。
責任をすべてガイドにかぶせる気か、と思いました。

ちょっとの悪天候でいちいち停滞にしていたら、飛行機やホテルのキャンセル・再予約などに追われ、旅行会社の利益はそがれてしまうから、旅行会社としては、できるだけ予定通り進めてほしいと思っているし、ガイドにも常々そういうようなことを暗に「におわせて」いるはずです。
普通のパーティなら、リーダーの判断がすべて。でも、ツアー登山におけるガイドは、会社の命令で、クライアントである登山者の命を預かり、山に登らせ、無事に下ろすまでの全責任を負う。普通のパーティのリーダーとは性格がまるで違います。しかも、驚くほどの低賃金。会社に足元を見られてるわけです。こんな低賃金でここまで責任を負わされちゃ、やってられねーよ、というのが本音でしょう。

ガイドの頭には、もし停滞と判断し、天気が劇的に回復した場合、「十分行けたにもかかわらず判断を誤り、会社の利益を損ねた、役に立たねえガイド」みたいなレッテルをはられてしまい、仕事を回してもらいにくくなるのではないか。。。担当者の顔が頭に浮かんだに違いないと思うのです。

今回、新千歳空港で参加者が集合した時のこと。山崎ガイドはこんな証言をしています。亡くなった西原ガイドは「いやなもの引き受けちまったな。受けるんじゃなかったな」とつぶやいていたそうです。それから、ヒサゴ沼避難小屋に泊まったときにも、「こんな山には二度と来たくない」とつぶやいていたそうです。

これは何を意味するのでしょうか。

海外も含め、今まで多くの山岳ツアーでガイドをしてきた西原氏の言葉です。おそらく、主催する旅行会社の姿勢、コースの全容、参加者の経験度や技術レベル、天候、その他いろいろな要因が積み重なった結果、今回のような事態が起きる可能性を予見し、「行きたくない」という感情を最初から持っていたわけです。
なぜ、彼は行きたくないと思ったのか。そこに、今回の事故を解明するカギが隠されているように思います。

裁判でガイドの刑事責任を立証したところで、問題の解決にはつながらないと思います。
いろいろ感じるところはありますが、もうこのへんにしておきましょう。

改めて犠牲者のご冥福をお祈りします。

合掌

2010年8月 槍ヶ岳

実に、半年ぶりの更新となります。まことに申し訳ありません。。。ペコリ
というわけで、2010年8月19日(木)~22日(日)、槍ヶ岳に行ってきました。
【日程】
前夜  新島々駅で野宿 
1日目 上高地-横尾-ババ平でテント泊
2日目 ババ平-槍ヶ岳-氷河公園-ババ平でテント泊
3日目 ババ平-横尾-上高地

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平日の金曜日の朝。いつもの週末と違って静かな河童橋です。
背後の山々にはうっすらとガスが。。。
前夜、新島々駅のベンチで、雨音を聴きながらウトウトしただけなので、あくびが出ます。
でも、今日は平たんな道をひたすら歩き、ババ平でテントを設営するだけなので、気楽なものです。

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前日は、テン場のちょい前あたりを除けば登りらしい登りもなく、今日がやっと本番という感じです。朝4時に起床し、簡単な食事を済ませた後、朝5時、テントを出発します。
アタックザックだけの荷物はほとんど背負っている感じがしないくらい軽く、槍ヶ岳山荘までテントを担いで上がっている重装備の皆さんに申し訳ないと思いつつ、どんどん高度を稼いでいきます。5時半には水俣乗越、6時12分には天狗原分岐に着きました。槍の穂先から下山した後、氷河公園を通り、ここで合流するわけです。
雪渓の脇を通り、もう少しで槍ヶ岳が見えてくる頃です。

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槍ヶ岳の全容がやっとのことで姿を現しました!
ご対面の瞬間は感動そのものです。
槍の手前に殺生小屋、さらに上に槍ヶ岳山荘が小さ~く見えています。
あともうちょっとです。
ガイド本には、ここからが長い、と書いてあるのですが。

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荷物の軽い私は、9時前に槍ヶ岳山荘に着いてしまいました。途中、お手洗いを借りに殺生小屋に寄ったり写真を撮ったりしていたのですが。
これから登る人たち、降りてきた人たちでにぎわっています。
空いていれば30分で登れますが、朝はご来光で、登りは1時間半だったとか。
ガスが出ないうちに早速、穂先を往復してきます。

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左が登り、右が下りの一方通行です。が、徹底されてなくて。
登りコースは途中から小槍方面に曲がるのですが、まっすぐ下りコースに進んでしまった人たちもいました。梯子でぶつかっちゃうなあ。

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頂上直下で2本連続する梯子です。でも、別に大したことはありません。
梯子がなかったら登れない垂直の壁ですが、梯子があるおかげでノーザイルでシャカシャカ登れてしまう。この梯子という代物、単純だけどこれほどありがたいものはないですね。
登った後で覗き込んでも、それほどの高度感はなかったですが、ぼくが鈍感なのかな。
いとも簡単に登れてしまった。
岩場というものは、実際には写真で見たほど困難ではなかった、と感じることもままありますね。もちろん、逆のケースもありますが(見た目易しそうだけど逆層で滑りまくる、など)
穂先も、ガスで濡れれば、結構危ないかもしれない
いずれにしても油断は禁物です。

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さすがに槍ヶ岳山頂からは360度の大展望!
さきほどの槍ヶ岳山荘がけっこう下に見えます。

それにしても、標高3000mの稜線に、よくぞこんな山小屋を作った(作れた)ものです。
その努力にはひたすら頭が下がります。
それから、登山道の整備についても。
多くの人たちの目に見えない努力で、安心して登れる環境が維持されているんですね。

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大キレット、滝谷を経て穂高連峰へと続く稜線。いつの日か、ここを西穂高岳まで歩き通すことはできるだろうか。

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表銀座コースに続く東鎌尾根。手前に殺生小屋の赤い屋根が小さく見えます。

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裏銀座コースに続く西鎌尾根。関東の私には、どうしてもなじみが薄くなりがち。休みが取れず長い行程が難しいので、仕方ないです。

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この日は土曜の午前中で、荷揚げのヘリがひっきりなしに飛んでました。山頂にたたずんでいたら、轟音と共にヘリが飛来! 最大650人も宿泊可能なマンモス山小屋ゆえ、下界から幾度となく物資を運んできます。

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下界に下す荷物を受け取ると、一気に飛び去っていきます。荷揚げのヘリを上から見れるというのは感激ですね~
と同時に、奥秩父のブドウ沢で山岳救助隊のヘリが落ちた悲しい事故を思い出してしまった。

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槍ヶ岳山荘のテン場から見た穂先。まさに目と鼻の先です。

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指導標にはハングルも併記されています。
韓国には高い山がないせいか、槍ヶ岳は大人気だと聞きます。
中国人には富士山が人気みたい。このへんは民族性でしょうか。
ざっくり、韓国人はスリル、中国人は征服心(?)
道中、韓国人パーティ(ていうか、ツアー登山)と何度もすれ違いました。
たいてい、20人くらいの集団です。
「こんにちわ」
「アンニョンハシムニカ」
「。。。」
下山中にすれ違ったパーティは、けっこう遅い時間にのんびり歩いてたけど、無事に小屋に入れたのかなあ。

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あいにく雲が出てきてしまったので、氷河公園行はやめにしました。写真を撮ったりメシを食べたり衛星電話で夢中で話してたりして、時間を食ってしまったから、仕方ないです。天狗池に槍が映るあの絶景は、よほどの条件でないと期待できないし。事実、下山途中に、穂先はガスにすっぽりおおわれてしまっていました。でも、ピストン下山は芸がなさすぎなので、少しだけ東鎌尾根を歩いてから、槍沢ルートに降りることにしました。
東鎌を少し歩いて振り返ると、槍沢側とはちがった雄姿が。
見る位置でまったく違った姿を見せるのも、槍の素晴らしさ、なんですかね。

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これが本日のベストショットかな。
ピラミダルでシンメトリーな姿は、いつまで見てても飽きません。

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東鎌尾根から見た、バリエーションルートの北鎌尾根。
一般登山者は立ち入ることができない聖域です。
ここから登ってきたクライマーは、梯子を使わずに、槍の穂先に直登します。
槍の頂上で待ち構える登山者たちから、拍手と歓声が上がるそうです。
この気分、一度味わってみたい。。。でも、無理に決まっている。
殺生小屋には、今年の7月、単独で北鎌尾根に登り、不運にも行方不明になったクライマーの情報提供を呼びかけるポスターが貼られていました。

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この少し先にヒュッテ大槍があります。
ヒュッテ大槍からの眺めは絶景です。
やはり、槍ヶ岳が最も美しく見えるのは、この東鎌尾根なのかな、という気がします。
殺生小屋分岐に戻り、急なガレ場を槍沢へと下りていきます。
北鎌尾根に登った人には、東鎌尾根は舗装道路のように思えるそうです。

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ババ平に帰ってきました。
今日もここで一夜を明かします。
昨日と今日、女子高の登山部が合宿をしていて、とても賑やかでした。

下山中、重装備の登山者と何人もすれ違いましたが、槍ヶ岳山荘のテン場は広くないし、きちんとテント晴れたのかな。殺生小屋まで下ってテント張らなきゃいけなかった人もいたかも。それと、小屋では、翌日の天気予報は曇りのち雨と表示されていました。ちょっと気の毒なような。。。

明日は上高地から東京に帰る、うんざりするような長い行程が待っています。
でも、とにかく天気がよくて、よかった。

テーマ : 登山・ハイキング
ジャンル : 旅行

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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