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昔は陸軍施設があった柏市根戸

毎時57.5マイクロ・シーベルトの高い放射線量が検出された千葉県柏市根戸の市有地で、23日に行われた文部科学省などの現地調査。

 担当者は「壊れた側溝から雨水が地中に染み込み、局所的に高濃度になった可能性が高い」との見解を明らかにした。柏市を含む東葛地域では、比較的高い放射線量が測定されてきたが、新たに高濃度の放射線量が検出され、近隣住民は「子供も多い地域。なぜこんなところで検出されたのか」と不安そうだった。
 市によると、簡易測定器を持って散歩していた男性から18日、「高い放射線量を示す場所がある」との情報が寄せられたことが発端。県環境財団が21日に測定すると、地中30cmから採取した土1kgから、放射性セシウム134が最高124,000ベクレル、同137が同152,000ベクレルの計276,000ベクレルの高い値のセシウムが検出された。
 福島県災害対策本部によると、134と137の比率は、原子炉の稼働時間などによって変化し、東京電力によると、東京電力福島第一原発事故の後、原発近くの土壌で計測された134と137の比率はほぼ1対1。今回計測された比率とも近いことなどから、文科省の担当者は、「福島原発事故に由来する可能性が高い」とする。
 現場近くには保育園や中学校もあり、周辺を散歩する住民も多い。
 近くの主婦(33)は、子供に現場に近づかないように伝え、「ほかにも高い所があるのではと心配。引っ越すわけにはいかないし」と漏らした。近くの女性(80)は「近くに保育園もあり、子供も多い。早く除染して、ほかにないか調べてほしい」と話した。
 今後は環境省が除染計画を作り、市が除染を実施する予定だが、除去した土の保管場所がすぐに確保できない恐れもある。市は「住民の不安は強く、すぐに解決しなくてはならない課題」としている。
(2011年10月24日10時08分 読売新聞)


これには本当に驚きました。
だって,柏市根戸高野台といえば,

私が10年前まで住んでいた場所

だし!

高野台児童公園から歩いて数分のマンションでした。
中古で購入し,10年くらい住み,10年近く前に売却しました。
まさに,問題の地域そのものです。
売るときはだいぶ値下がりしてて大損したし,ほとんど寝に帰るだけだったから特別親しい人がいたわけでもないし。
なので,気にかけることも少なかったのですが,まさか,こんな形で問題になるとは本当にびっくりです。

当時の住人の方たちと連絡はとっていないのですが,皆さん本当に心配ではないでしょうか。
新しい市営住宅があって小さい子どもが多く,近くの高野台児童公園ではいつも親子連れが遊んでいたし。
保育園も,中学校もあるし。

側溝が壊れていて,セシウムに汚染された雨水がそこから地下に浸透した。
まっすぐ流れて行ってくれれば,下水処理場で下水汚泥に蓄積されていた。
壊れた側溝なんて,そこいら中にあるでしょう。
とてつもなくこわい話です。
地下水位が高ければ,汚染した雨水が地面に浸透し,じわじわと広がって地下水に混じり、地下水脈に乗って、あちこちに流れてしまっているってことにならないでしょうか? 
近くで井戸水を使用しているお宅はないのでしょうか?

福島は四方を山に囲まれていて,除染しても除染しても,汚染された水が次々と流れてきて,なかなか線量が下がらず,一度下がった線量が再び上昇するといったことがあるそうです。

福島第一原発では,汚染された冷却水が地下水となって拡散するのを防ぐため,当初,施設全体を地中壁で覆うという案も出されていました。この話はその後,どうなっているのでしょうか?

水には国境がありません。
地下水,海水含めて,水の汚染というのは本当にやっかいですね。

ところで,柏市根戸高野台は,その昔,陸軍の大きな施設があったところです。

上記の高野台児童公園には,当時の門がそのまま使われています。
また,近くの消防署の施設も当時のもので,建物にはクレーンの遺構が残っています。
(幹事の時,夏の盆踊りの準備で,この建物の2階の倉庫に上がったことがあります)

でも,セシウムの半減期を考えたら,陸軍の存在と線量の高さには直接の関係はなさそうですし。


除染作業は,テレビなどで見ていると,主に放射性物質が付着した「表土」を掻いて除去しているように見えます。表土だけ除去すれば,線量は下がるようですし。
でも,放射性物質が地下に浸透してしまうと,表土だけの除染では済まなくなります。
土を地下深く掘り返さなければならず,その分,保管すべき汚染土も増えることになります。
やっかいですね。
それでなくても,除染作業は天文学的な数字になると言われています。
このまま除染が必要な地域が増えていったら,どうなってしまうのだろう。

原発から200km以上も離れた柏で,こんなことになるとは。。。
つくづく,原発というものの「とんでもなさ」を感じます。
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日産スタジアムに行ってきました

久しぶりにJリーグの試合を見に,日産スタジアムに出かけてきました。

横浜Fマリノス versus 浦和レッズ 横浜Fマリノスのホームゲームです。

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今年は開幕直後に東日本大震災が発生して,大混乱になってしまい,5月になってやっと再開できました。
プロ野球では,とにかく早く開幕したい球団側と,開幕強行に慎重な選手会でドンパチやってましたね。

サッカー界は,リーグ戦もカップ戦も,そして代表戦もあって,特に代表は今年は南米選手権,ワールドカップアジア第三次予選,オリンピック予選もあったりして,スケジュール調整は本当に難しかったと思います。
チームによってはスタジアムが破損したり,いわきのJビレッジが原発対応で使用不能になってしまったり。
あんな状況で,よくここまで落ち着いてやってこられましたよね。
関係者の努力には頭が下がります。

そんな今期も,気がつけば早くも第30節。優勝争い,降格争いの佳境になってきました。

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お目当ては俊輔です。まだ俊輔を生で見たことがなかったんです。
かつてのサッカー小僧も,はや32歳。現役でいられるのはあと3年くらいかもしれない。
いつ,怪我するかわからない。
元気にプレーしているうちに,その姿を瞼に焼き付けておこうと。。。

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試合開始直前,ゴール裏のマリノスサポの応援が盛り上がってきます。
緊張感と高揚に包まれた瞬間。この時間がいちばん好きですね~

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私はレッズサポでもマリノスサポでもありません。
長らく地元の柏レイソルサポでした。
このたび熊谷に引っ越しましたが,レッズサポは強烈すぎて引いてしまうし,家から最も近いのがアルディージャですが,個人的に応援したい選手がいなくて,サポになろうという気持ちが沸いてきません。
それに,今年はレイソルが首位争いをしているというのに,わざわざ降格争いをしているレッズ,アルディージャのサポにならなくてもね。。。
とはいえ,メイン席に座ったので,マリノスのマフラーを買い,にわかマリサポで応援に参加します。

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両チームの選手が入場してきます。
今回は2階席でした。日産スタジアムの2階席は,やはり遠くて,きびしいなあ。
柏レイソルのホーム,日立台では,プレーする選手をすぐ目の前に見ることができます。
最前列にいたら,汗が飛んできそうだし。

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前半,マリノスの大黒くんが密集から幸先よく先制点をゲットします。
レッズは,ゲーム開始直後はかなり硬かったし,気合が空回りしていたのですが,だんだんパスが回るようになってきて,ポスト直撃のシュートもあったりと,マリサポは肝を冷やしました。

前半は1-0でマリノスがリード。

後半はレッズがいっそう盛り返し,マリノスはなかなかボールを保持できません。
後半開始早々,元柏の小林くんがレッズのFWを倒してしまい,PKに。
山田くんがPKを外したところに原口くんが詰め,ついに同点に。
マリサポのため息がスタジアムにこだまします。

これで一気に元気づいたレッズがマリノスを押し込み,ファウルのリスタートから梅崎くんが追加点をゲットし,ついにアウェイのレッズが逆転してしまいます。またもスタジアムに響くため息。
ちょっと勢いが違う感じです。マリノスどうしちゃったかな。
J2降格目前のレッズが,突然の監督交代で,なんだか別のチームになったみたいです。

もともと強いレッズは,これで「勝者のメンタリティ」に覚醒したのか,磐石の試合運びに。
マリノスの木村監督は,らしくもないパワープレイに切り替え,ひたすらゴール前に放り込みますが,なかなかシュートにつなげられず,あっという間に後半の45分はタイムアップ。
ちっとも「ちゃぶれ」なかった。

で,お目当ての俊輔は,がんばってはいたけれど,今日は運がなかったという感じです。
フリーキックも何度かありましたが,入りそうな予感がなかったし。
キラーパスも数回,通せたけれど,得点につながるシーンはなかった。

それにしても俊輔,走ってはいるんだけど,やっぱり守備しないなあ。
レッズがガツガツ来てるんだから,もっとガツガツやり返さないとなあ。
俊輔の直接フリーキックをこの目で見られるまで,これからもスタジアムに行かなくちゃ。

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試合終了後,レッズサポはいつまでも盛り上がってました。
マリサポはちょっとさびしいブーイング。あいさつ待たずに帰っちゃう人も多かったし。
負けたからかもしれないけど,レッズサポに比べてマリサポは紳士的というかおとなしいというか,やっぱりチームによって違うんだなあと感じました。ユニフォーム着て応援に来る人も,アウェーのレッズサポのほうが多かったし,レッズサポはアウェーでもユニフォーム姿で電車に平気で乗れるんですね。あの結束力(?)はすごいです。
ちなみに,個人的には,レイソルの黄色いユニフォームを着て電車に乗るのはちょっと恥ずかしいなあ。

それと,感じたのは,観客の少なさです。
日産スタジアムは70,000人近く収容できるのに,今日の観客は27,000人ちょっと。
写真を見ても,だいぶスカスカです。
雨が降っていたので敬遠した人もいたのかもだけど,優勝争いと降格争いをしている名門チーム同士の一戦にしては,ちと少ないなあ。日産スタジアムが満員になったら,歓声がそれこそ地響きのように聞こえるだろうし。選手がどんどん海外に出てしまうのも一因かもしれないけど。

というか,いくらビッグ倶楽部とはいえ,スタジアムがデカすぎるのかもしれません。
柏レイソルや大宮アルディージャのホームは,15,000人程度です。
これくらいのほうが,臨場感とか,選手との一体感を味わえていいですね。

テーマ : Jリーグ
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ここより下に家を建ててはならない

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神社や寺に行くと,よく石碑が立っています。
そこに何が書いてあるか,見ようとするのは,古文書や郷土史などに関心がある「物好き」さんくらいか。
私も含め,大多数の人たちは無関心に通り過ぎていきます。

そこで,想像力の出番です。

当時,石に碑を刻んだ人の心にタイムスリップしてみよう。
紙と筆くらいはあっただろうに,なぜ,紙ではなく石を選んだのか。
大きい石を切り出して運び,石に文字を彫り,建てるという根気と忍耐のいる作業を通して,彼は何を訴えたかったのか。。。

明治時代の三陸の人たちは,大津波で街が根こそぎ破壊され,集落のほとんどの人が亡くなってしまうような,今回の大震災以上の悲惨な経験をして,津波の恐ろしさを身体の底から,いやというほど思い知らされた。
こんな思いは,誰にも二度としてほしくない。
生き残ったわずかな人たちは,亡くなった方たちを思い,泣きながら,指先に思いを込め,懸命に石碑を彫った。


カメラもビデオもネットもyoutubeもなかった時代です。
大津波の凄まじさをどう表現すればわかってもらえるか。

「とにかくすごかったんだ。すさまじかったんだ」
「海が壁のようになって上から襲ってきたんだ」
「あれに襲われたら絶対に生きては帰れない」

どれだけ形容詞を並べたって、あの大津波の本当の恐ろしさは、たぶん体験した本人にしか分からない。
現代に生きる私たちであればなおのこと、映像なしに理解できるはずがない。

つまり、大津波のすごさを言葉で伝えることの限界を、すでに見抜いていたのでしょう。

だから、いかに大津波がすさまじかったか、回りくどい説明はせず、ただ一言

「此処より下に家を建てるな」

とだけ書き遺した。

「この一言さえ伝わってくれれば、悲劇は避けられる」

おそらくそう思ったのでしょう。


彼が訴えたかった相手は誰か。
50年後? 100年後? 1000年後?
自らが死んでからも世代を重ね延々と続いていく,気の遠くなるような先に生きる人のことまで,彼は見越していたのでしょうか。

いまや,スマホの話題で持ち切りの今日この頃。
いずれ携帯電話市場の7割はスマホになる,と言われています。
生活そのものがスマホを中心に回り始め,非スマホ=時代遅れとして,社会の流れから弾き飛ばされていく。
そんなことにもなりかねません。
社会の流れに遅れないように必死にしがみついていなきゃいけない日本人。
不謹慎かもしれないけど,津波に流されまいと必死に何かにつかまっている姿と一瞬だぶります。

スマホだって石碑だって,「情報を伝える媒体」には違いない。それなのに,これほどまでに違和感さを感じるのは,なぜなのか?

もしスマホ時代に生きる私たちが,未来の世代に何かメッセージを残すとしたら?
もし石碑を建てるとしたら,私たちは未来の世代にどんなメッセージを彫るだろう?

ちょっとペシミスティックかもしれないけれど,そんな時空を超えるメッセージなんて,たぶん何も出てこないと思います(ずいぶんさみしい話だ)。

よく,小学校とかでタイムカプセルを校庭に埋めたりします。でも,それってせいぜい10年とか20年,「未来の自分たち」に対するものなんですね。
本や映画を通して,100年前,500年前,1000年前に生きていた人のことをイメージすることはできます。
それでは,100年,500年,1000年先に生きる人のことをイメージできるか?
絶対できないでしょう。
いや,10年先,20年先のことだってイメージできないかもしれない。

社会の変化のタイムスパンがあまりにも短すぎます。

インターネットの誕生で社会のありようがガラッと変わったように,これからどんな技術が開発され,社会がどのように変わるのか。
私たち40代以上は,ほんのつい最近まで,パソコンも携帯もネットもなかった時代に生きていたわけだし。そして,70代以上は,ろくに電話もFAXもコピーもなかった時代に生きていたわけだし。
100年後,500年後,1000年後がどんな社会になっていて,人々がどんな生活を送っているのか,想像すらできません。

だから,何を伝えればいいのか,わからない。
未来の世代にとって,何が重要な情報なのかがわからない。

それに,100年前の言葉が「古文」と言われるように,100年後の人たちにしたら,今の日本語は「古文」でしかないでしょう。仮に私たちが何かメッセージを刻んだところで,彼らが読んでも意味すらわかってもらえないかもしれません(これまたさみしい話だ)。

かくして,私たちは心の中で,未来の世代との間に決定的な溝,断絶を作ってしまっています。

その日その日が勝負の資本主義には,未来の世代を見越す余裕はありません。
資本主義の渦の中で生きる私たちも,またしかり。
自分の残された人生を無事に生きるだけでせいいっぱい。
気にするとしても,せいぜい孫の代まででしょう。

だから,900兆円もの途方もない国債を垂れ流しても,危険すぎる高レベル核廃棄物の山を後世に残しても,別に恥ずかしくもないし,何とも思わない。


デジタルデータの平均的な寿命が何年かわからないけど,下手したら10年ないかもしれません。
ほんの20年ほど前の5インチフロッピー(!)なんて,中身を見ることすらできません。
それに,電気がなければ,読むことも見ることも聞くことも伝えることも何もできない。

紙だって,いずれは消えて自然に還ってしまう。
鉄は錆びて朽ちてしまう。
コンクリートもボロボロになってしまう。

結局,最後に残るのは石碑

なんですね。
100年後,500年後,1000年後,そして,人類が滅亡しても,石碑と高レベル核廃棄物だけは,土の中に埋もれて生き続けるでしょう。

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壊れた核と暮らす日々

3.11以後,これだけ原子力の闇が明らかにされて,一部の原発ムラの連中を除けば,日本国民の大多数の皆さんは原子力発電に反対だろう(なはず),と何となく思っていました。

しかし,それが
意外にそうでもなさそうなんですね。
そんなことを感じたことは,ありませんか?

原発業界と何の関係もなく,特に原発業界から具体的な恩恵を受けているわけでもない,自分の身の回りの「ごく普通の人」が何気に原発に賛成だったりします。面と向かって議論するわけじゃないけど,ちょっとした会話の切れ端から,そういうものが見えてくると,親しい人でもぞっとしたものを感じることがある。
なぜ賛成なわけ? と面と向かって聞けるわけでもないし,聞かれたほうも特に具体的な理由を挙げることはできないでしょう,たぶん。

京都大学の小出先生が,3.11後の初期の頃,「これほどの事態になっているのに,原発反対に向けた行動を起こさない日本人には,本当にがっかりした」とおっしゃってました。

ちなみに、全国民にアンケートをとってみたら,どんな結果になるだろう。

何となく,だけど,
賛成半分反対半分
な気がします。
55年体制当時のように,全国民が「右」と「左」に分かれて対立しているみたいな。
イデオロギー、みたいなもんなんでしょうか。

ただ,当時も「右」の人が本心から「右」を支持していたわけじゃないでしょう。
自分の生活や立場から,何となく支持していた人も多かったのではないかと思います。

それと同じで,原発に賛成する人だって,別に,前向きに賛成しているわけではないのだろうと思います。
じゃあ,なぜ原発に賛成なのでしょうか?

原発に反対する理由(?)は、今更あげる必要ない自明のことだろうし(特に小さい子供さんを抱える方々),それに敢えて背を向けて賛成に回るほうが「より強い動機」を必要とするだろうと思うので,ディベートするような気分で,いっちょ「原発に賛成する理由」というのを敢えて考えてみたいと思うのです。

・原子力がなければ経済成長が損なわれる
・エネルギーの安定供給には原子力が必要
・地球温暖化に歯止めをかける

といった「正攻法?」的なもの,

・原子力からの撤退は国際政治における核のパワーゲームにおいて自殺を意味するものであり,特に●国という超軍事大国を隣に控えるわが国にとって,軍事にも転用可能な核を日本各地に配置しておくことは,国土防衛上,また国際戦略上,欠くべからざるものである
・原発を輸出することで相手国(たとえばベトナム)との経済・政治関係を強化できる

といった「外交的?」ものもあるでしょう。

一方で,

・電気を気兼ねなく使える生活がしたい
・オール電化住宅を建ててしまったから
・節電するのが面倒くさい
・電気料金が上がらないでほしい
・計画停電とかで電車の間引きとか便利な生活に影響が出るのがいやだ

といった「生活が第一?」的なものもあるかもしれません。

あるいは,

・あれこれ考えるのが面倒くさい
・長いものに巻かれているほうが楽でいい

といった「思考停止型?」もあるのかないのか。。。

他にも理由があるのかもしれないけど,私の貧弱な頭には思い浮かばないです。賛成の方がいたら,教えてください。


民主主義の世の中ですから,賛成しようが反対しようが自由なわけです。
賛成したい人は賛成すればいいし,反対したい人は反対すればいい.
それで,何が言いたいかというと,じゃあ,賛成する人の理由と,反対する人の理由を比べてみて,何か気づくことはないか?ということです。

何となく,ですけど,反対する人は「倫理的」な動機が強いのに対して,賛成する人は「実利的」な動機が強いように思います。さっき言った,「反対するより賛成するほうが,より強い動機を必要とする」ように思われる動機が,これほど実利的なものなのか? 少なくとも,原発反対に見られる倫理的な要素は,賛成派の動機の中には見られない,ように思います。違っていたら,ゴメンナサイ,ですが。


はたまた,アンケートしてみた結果,「賛成反対のどちらでもない」が過半数を超えてしまうかもしれません。
これはこれで,また日本人的というのか,事なかれ主義というのか,わからないけど。

賛成反対どちらかにしろ,と言われれば,少なくとも私自身としては,原発に反対するよりは賛成するほうが,ストレスがかかると思います(もちろん逆の人もおられると思いますが)。

原発に賛成するには何が必要か。

●想像力の封印(もし原発が爆発したら,とか,「ありもしないこと」は考えない)
●刹那主義(先のことはなるだけ考えない)
●市場原理の崇拝(物事は倫理ではなく市場の原理で決まる)
●社会的コストの容認(大多数の幸福のためにごく一部が不幸を甘受しなければならないのは仕方がない)

少なくともこの4つがないと,原発賛成に回ることは出来ないような気がします。

最近,池澤夏樹さんの「核と暮らす日々」を再読しました。
起きないと信じたいがいずれ起きるに違いない「カタストロフィ」が,こともあろうに日本で起きてしまった。
ありえない現実としてのカタストロフィと日常的に共存している,わがニッポン。

池澤さんには,続編として,「壊れた核と暮らす日々」を書いていただきたいんだけどなあ。

東北のハワイ! 気仙沼大島の絶景

9月末,気仙沼大島へのボラバスツアーに参加したときのこと。

「大島の美空ひばり」を自認する宿のおかみさんはとても情熱的な方で,ボランティアの参加者に,大島を好きになって,またいつの日か大島に来てほしいという願いを何度も口にされていました。そして,

「大島は東北のハワイと呼ばれているところです。島で一番高い亀山(標高200mちょっと)に皆さんをご案内しますので,ぜひ,その美しさを目で見て味わってください」

ということで,みんなを2回に分けて,亀山の頂上へと案内してくれました。
災害ボランティアのツアーでこんなサプライズがあるなんて!

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すごい絶景です。
私は二番目の組でしたが,最初の組に参加した方から,「東北のハワイと聞いて??と思ったけど,本当にハワイみたいだったよ。絶対に見に行ったほうがいいよ」といわれました。私も最初は??でしたが,本当にハワイみたいでした! 皆さん声を上げて,本当に感動してました。

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私が住む関東地方には,このような景色はどこにもないので,いつまで見ても見飽きなかったです。

ただし,私は朝一番の組だったので,出掛けに寝ぼけてデジカメもケータイも忘れ,写真を撮ることができませんでした。この写真は,同室で仲良くなった,元山ヤで現在はサイクリストのKさんにいただいた,貴重な映像です。
Kさん,ありがとうございました。

関東で大島というと,伊豆大島ですよね。
私も今回の震災があるまで,気仙沼大島を知りませんでした。
この真珠のような美しい景色を,ぜひ多くの方々に知っていただきたいですし,多くの方々が大島を訪れるようになってくれれば,私たちツアーに参加した人間も嬉しく思います。これだけ美しい景色があるなら、少し時間はかかるかもしれないけど、島はきっと復興することでしょう。

今回のツアーで一緒になった方たちは,みな大島に愛着を持ってて,二度目のツアー参加を検討中の方や,早くもすでに行ってきちゃった方もいます。私も年内,また現地に行くつもりです。

ただし。

私たちが作業したエリアの隣に、背の丈ほどの草がぼーぼーに生え、大物のガレキが転がってて、かなり冠水している手つかずの田んぼがありました。「ここ大変そうだねえ」と皆で話していました。

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 ↑
元 田んぼです。

添乗員さん情報によると、現在ここにチャレンジ中、とのこと。

がんばらなきゃ!





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タジキスタンの風景

9月11日にブラジル・ワールドカップ(W杯)アジア3次予選の第3戦が行われ、日本はホームでタジキスタンと対戦し、8-0で歴史的な大勝を収めました。
で、タジキスタンってどんなところかというと。。。

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ワハーン回廊というところですが、実に美しい風景です。思わず見とれてしまいます。
こんな美しいところで過ごす人生って、どんなものなんでしょう。

ところで、大敗を喫したタジキスタンのアリムジョン・ラフィコフ監督のコメントを記事で読みました。
なかなか味なことをいう監督だなあと思っていたのですが、やっぱり、ウェブ上で「謙虚すぎる」などと話題になっているそうです。

「昨日の前日記者会見で言ったとおり、今日は守りに徹する。そのつもりでプレーしたが、完全な守備というのは芸術に等しい。我々はその域には達することができなかった。見事な勝利をした日本を心から祝福したい。これは実力の差、当然の結果と言えるだろう。日本はビッグなチームだった」

「昨日の会見では、なぜそんなに控えめなのかとも言われた。今日の結果で、どうして昨日のような言葉が出たかお分かりいただけたと思う。冷静な自己分析によるものだ。ただし、我々の選手たちは最後まであきらめずに走った。日本を抑えることはできなかったが、あきらめなかった選手たちに心から感謝したい」

「日本はウズベキスタン、北朝鮮とは比べ物にならないほど強かった。今日、日本がほぼベストメンバーで戦ってくれたことに感謝している。私たちは勉強しにきた身分だ。苦い経験ではあるが、私も選手も、今日の結果を受け止めて将来に活かしていきたい。何よりも日本に感心したのは、無駄な動きが一切なかったことだ。最後の3分間も全力で走っていた。これには感銘を受けた」

「我々のホームで戦った場合、このような立派なスタジアム、芝生ではなくて、環境はもっと劣悪になる。ピッチの条件によって、日本のサッカーがどう変わるか。そこに関しては多少期待している。ただ、日本とタジキスタンは残念ながら同レベルではない。芝生の状態いかんで縮まる差ではない。これは冷静な判断。ただし、ホームの観客が喜ぶようなサッカーを見せたいと思っている」

「(最後までクリーンなプレーを続けたが?)ラフプレーには走らない、クリーンなプレーを心がけるというのを選手たちは理解している。私たちは日本の選手をけがさせるために来たわけではない。日本はもっと高い目標を置いているチームなので、こんなところでけがをさせては申し訳ない。それに、偶発的に手や足が出ることはあるが、日本の動きが速くてそれもできなかったのもある」


普通、負けたチームの監督は何かと言い訳がましいことを言いたがります。
ジャッジの不公平を嘆いたり、相手の戦術やピッチの状態にケチをつけたり。
でも、この監督はそういうことは一切言わず、相手との力の差を具体的かつ客観的に分析し、圧倒的な力の差を潔く認めつつ、それを軽妙なウィットと言い回しで表現することで「大敗したチームのみじめな監督」という立場、イメージを払しょくして見せました。普通なら、もっと卑屈になるか、あるいは会見そのものをやらずに黙って帰国してしまうでしょう。

こんな監督、なかなかいないと思います。ただもんじゃないような気がします。
一例ですが、マラドーナさんと比べれば一目瞭然ですね(爆)

また、テツガクシャぶって記者たちをけむに巻くモウリーニョ(←大嫌い)とも大違い。

顔つきも日本人に似てるし、親近感が持てます。

こういう人が上司(監督)だと、部下(選手)も自然とそうなるのでしょう。
最後のほうだけ少し見ましたが、何点差がついても、ひたむきにボールを追い続けていました。

カンフーチックなラフプレーを連発するどこかの国のチームとはわけが違います。

皆さんもそうでしょうが、憎たらしい上司と普段から日常的に接していると、
こんな上司がいたらいいなあ
と思いますよね!
というわけで、まだ残業中なのですが、記事をアップしてみました。

コンテナ型仮設住宅について

今晩のNHKのニュースで、宮城県女川町でコンテナを利用した多層の仮設住宅が完成し、入居が始まったというニュースを見ました。

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 仮設住宅の建設用地の不足に悩んでいた宮城県女川町が、貨物用コンテナを活用した2階または3階建ての仮設住宅を造ることを決めた。建築家の坂茂(ばん・しげる)さんの設計で、戸数確保に加え、コンテナを市松模様のように一つ置きに重ねることで明るく住み心地が良くなるという。100戸以上造ることになりそうだ。
 坂さんは、仏北東部のポンピドーセンター分館などの設計を手掛ける一方、世界各地の被災地で、仮設建築を造ってきた。コンテナを重ねた展示施設を設計したこともある。
 坂さんの提案は、幅約2.4m×奥行約6mの貨物用コンテナを利用。複数のコンテナを、間に幅約2.4mの鉄骨造りの空間をとりながら並べてゆく。その上の階では置き方を逆にし、全体として、市松模様のようにくみ上げる。
 「コンテナは強度が高く建設期間も短縮できる。現状のコストは一般的な仮設より少し高めだが、工夫して抑制したい」と坂さん。コンテナ内は寝室や浴室に使う一方、その間の部屋は窓を大きくとって居間などにする計画だ。


以上は、朝日新聞の記事からです。

仮設住宅にコンテナを使用する発想があることは、東日本大震災の直後、若手建築家の吉村靖孝さんが提案した、海運コンテナの規格を応用した新しい発想の仮設住宅「エクスコンテナ・プロジェクト」で知りました。

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吉村さんは、ベイサイドマリーナホテル横浜を設計したとき、このコンテナ型の客室棟を設計した実績があり、このときのノウハウをもとに安全で快適な住宅を被災地に届けたいという思いで始められたそうです。

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なるほど、仮設住宅にコンテナかあ、と思いました。

坂さんの提案は、コンテナを市松模様に組み立て、構造体として利用するというものですが、吉村さんの提案が坂さんの提案と異なるのは、コンテナに住生活機能を組み込み、機能的に完結したユニットとして利用する点にあります。

コンテナなので鉄道やトラックで運搬できるし、トラックから降ろして据え付け、電気とガスと水道をつなげば即使用できます。
黒川紀章さんが中銀カプセルビルで提案したカプセルの大きなものをイメージすればいいでしょうか。
ちなみに、吉村さんは、仮設住宅サプライヤーとして実績を誇る大和リースのこんな提案にも関わっています。
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EDV-01」 

また、世界各地で仮設住宅に携わり、阪神・淡路大震災でも段ボール製の教会を建てるなど、機動力にこだわって来られた坂さん、今回も政治がもたつく中、震災から半年ちょっとで国内初めてとなる多層型の仮設住宅を実現されたことは、まさに賞賛に値することだと思います。



ところで。
現物を見ていないのでわかりませんが、普通に考えて、コンテナは鉄の塊なわけですから、いろいろ疑問もわいてきます。
夏の猛暑、卵焼きができるくらい、触れば火傷する熱さでしょう。酷寒の冬は、雪がカチカチに凍り付いてしまうでしょう。
その分、断熱材を相当に厚くしないといけないし、その分、居住スペースは小さくなりそう。
大事な商品を運ぶコンテナだから防水はしっかりしていると思いますが、いずれにしても、室内環境はかなりの負荷になります。
それをエアコンだけで制御できるのか。
それに、通常の住宅とモジュールが違うし、サッシの納まりなどはどうするのだろう。
もちろん、そんなことはプロの建築家がとっくの昔に対策済なのだろうけれど。

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翌日、朝日新聞の記事で見た写真です。きちんと外装が施され、外廊下には大きい屋根が設けられています。すごい奇麗に仕上がっていますね。市松模様もおしゃれだし、完成しちゃえば、とてもコンテナを使ったとは思えないでしょう。さすがです。

3.11以後、ずっと避難所で過ごしてきた女川の人たちが、笑顔で入居する姿を見て、ああ本当に良かったなと思いました。


吉村さんは、「これほどの大規模な災害になると、仮設と本設の明確な区別はつけられない」と言います。
まったく同感です。
本来の家を流され、仮設住宅に入居した方たちは、2年後には仮設住宅を出なければなりません。
もしその後、自宅再建のめどがたたずに、アパートを転々とするのであれば、彼らにとってアパートは仮設住宅に他なりません。
二重ローンを抱え、いったいどれだけの方が、自宅を再建できるのか。。。
地域経済も復興していないのに、2年で生活のめどをつけろというのは、いかにも無茶な話です。

したがって、仮設と本設の間の「準仮設」もしくは「準本設」のような中間的な位置づけの住まいが、今後、検討すべき課題になってくるのではないでしょうか。

2年の間、公園や学校などに間借りして、その間に用地さえ確保できれば、そこにコンテナを移動して、あと数年間、居住することも可能になるとか。
この不況ですから、民間企業で塩漬けになっている土地を数年間提供するくらい、やればできますよね。

「安くて快適で運搬が可能なコンテナハウス」が標準化されれば、これからの災害対策で、いろいろな動きが出てくるかもしれません。

いずれにしても、コンテナ仮設は、大学や学会などでじっくり検討する価値があるのではないでしょうか。
そんなことを思いました。

気仙沼大島までボラバスツアーに行ってきました

9月最後の週末、東北まで災害ボランティアに行ってきました。今回は気仙沼の大島です。

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気仙沼は、マグロ漁など遠洋漁業の基地として知られてますが、震災ではタンクが倒れたりして大規模な火災が発生し、甚大な被害が生じたことは周知のとおりです。

金曜日、ボランティアスタイルで出勤し、会社で着替えてシゴトした後、再びボランティアスタイルに戻り、集合場所である東京駅の八重洲口のバスターミナルに行くと,たくさんの高速バスが停車していて,中には陸前高田行きのボラバスもありました。

今回は石巻より遠いので、休憩もほどほどに東北道を一ノ関ICまで突っ走り、一般道を通って、朝の7時くらいに気仙沼に着きました。
車窓から見る気仙沼の市街は、思わず息を飲むような光景でした。

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地盤が1m近くも沈下し、建物が流された後に海水が溜まり、池みたいになっています。かろうじて残った建物が水面に映り,逆さ富士みたいなありえない光景を呈しています。

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盛土でかさ上げして応急復旧した道路は凸凹だらけ。比較的新しい建物は残っていますが,古い建物は跡形もなく流されています。
添乗員のHさんの話では,夜は街灯もなく,まさに真っ暗で,あるプリウスがカーナビの指示に沿って角を曲がったら,その先に道がなく,海に転落してしまったということです。

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港に着いてバスを降り、フェリーに乗り換えます。港では,小さな桟橋がひっくり返った状態になっていました。全体に沈下しているため,海水面が地表すれすれで,高潮になれば間違いなく浸水してしまう状態です。

大島に渡るフェリーは津波で陸地に打ち上げられてしまい、つい最近撤去されたばかりだそうです。私たちが乗船した船は、はるばる広島の江田島からやってきた船でした。

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港には漁船が並び、かつての活気が戻りつつあるように感じます。大型の漁船がずらりと並ぶ姿は,遠洋漁業の街,気仙沼らしさを彷彿とさせます。

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出航してしばらくすると、気仙沼港の大きな魚市場が見えてきます。建物自体は持ちこたえたようですが、ここも激しく地盤沈下しています。かさ上げ工事をしたとのことですが,それでも海水面すれすれで,浸水のリスクを背負っての営業です。

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魚市場を過ぎると,津波と火災で壊滅的な打撃を受けた海岸部が目に飛び込んできます。このあたりはガレキの処理も進んでいないようです。建物が沈下して,1階部分が海に漬かっています。

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こちらは庁舎らしき建物ですが,その周囲がクルマ置き場になっていて,被災してメチャクチャになったクルマの残骸が幾重にも積み上げられています。


フェリーで気仙沼港を出航して20分くらいで、大島に着きました。その名のとおり,かなり大きな島です。震災後,アメリカ軍がトモダチ作戦を展開したことでも有名ですね。大島でも森林火災が起きたのですが,その原因は,気仙沼港で倒れたタンクから海に漏れ出した油が引火して炎上し,燃えさかる油が潮流で大島まで流れ着き,島の木々に引火したようです。島は表向き緑が生い茂っていて,ここで森林火災があったとは、にわかには信じられませんが,よく見るとマツの根元が黒く変色して,触ると炭化してボロボロになっていたりします。島の半分くらいが火災にやられたとのことでした。

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島に上陸すると,あたりは気仙沼の市街地と同じく,津波で壊滅的な被害を受けていました。

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美しいはずの浜辺には,ガレキやゴミ,家電製品などが山のように積み上げられています。
道の両側に積み上げられたガレキの山の高さに圧倒されます。

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港は広範囲に沈下していて,かつての船着場は海面の下に隠れかけています。大型土のうがなければ満潮でさらに冠水してしまうでしょう。

作業の前に,まず大島の災害対策本部に行き,本部長の白幡さんのお話を30分ほどうかがいました。
白幡さんは,港のすぐそばで食堂と土産物屋を経営しておられるのですが,津波でほとんど流されてしまったそうです。
白幡さんのお話は,津波災害のすさまじさ,震災直後一週間くらい完全に孤立していたときにいかにして住民同士が助け合ってきたか,そして大島の復興に賭ける思いなどがぎっしり詰まっていました。そして,いやがおうにも,これからの作業がんばるぞ~と闘志が沸いてきます。

(以下,続く)

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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