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大津波の爪痕を旅して その1 荒浜

気がつけば11月も終盤。秋も深まり、山々は美しく紅葉しています。
今年はずっと忙しくて、旅に出ることもほとんどありませんでした。
大津波の被災地がどうなっているのか、ずっと気になっていました。
三連休がフリーになったので、今回はボランティアではなく、クルマで現地を旅してきました。
大震災に関するニュースが一気に減少し、国民の関心が低下しつつある今、現地の「今」をこの目で見てみたい、と思ったのです。

荒浜、石巻、鮎川、女川、大船渡、陸前高田、気仙沼を回ってきました。
2日間の強行軍だったので、釜石、南三陸は行けませんでした。
やはり、自分の目で見て確かめなければわからないこと、新聞やテレビで報道されないことがたくさんあるんだな、と感じました。

以下、順番にUPしていきます。

早朝の新幹線「はやて」で朝8時に仙台に着き(速い!)、小さいレンタカーを借りて旅を始めます。

最初に向かったのは、荒浜です。
海岸から100~200mのところに家屋が並び、付近に高台がなく、広範囲にわたって被害を受け、多数の犠牲者が出たのは皆さんご記憶の通りです。
震災当日、私は東京の「ビッグサイト」の展示会の会場にいたのですが、交通機関がすべて止まり、偶然出食わした旧知の知人と一緒に近くのホテルのエントランスで一夜を明かしました。その日に限って携帯電話を充電してなかったため携帯から情報が得られず、館内放送やラジオなど何も情報がなく、夜になって周囲の方から宮城県の荒浜に数百人の遺体が横たわっているというニュースを伝え聞き、とにかく驚いたことを覚えています。
荒浜という地名はそれまで知りませんでしたが、脳裡に深く刻まれました。

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昨年、なんちゃってボランティアで数回とはいえ現地に行っていたので、それなりに心の準備はできていたつもりですが、あまりのすごさに言葉を失います。一面、原野です。鉄筋コンクリート製の住宅の基礎だけが、そこに建物があったことを示していますが、その光景がどうにも頭の中に思い浮かびません。あらゆるものをなぎ倒してしまう津波の破壊力、人間の力ではどうにもすることができません。
地図によると、このあたりにお寺があったようなのですが。。。

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砂浜の松並木。これだけの津波の直撃を受け、激しく傾きながらもかろうじて立っています。塩水をかぶったし、高田松原の一本松のように、いずれ枯れてしまうのでしょうか。

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荒浜小学校。子供たちが学び、遊んでいる気配はまったくありません。体育館も激しく破損しています。校庭は赤茶色に錆びたバイクの置き場と化していました。小学校の校舎を解体するかどうかで住民と行政が話し合いをしているようです。

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海沿いを走る県道10号(塩釜亘理線)沿いに立つ3階建ての建物。3階まで津波が来たことを物語っています。現地に立つと、このレベルまで海面が上がるということが、理屈はともかくとして、感覚としてまったく理解できないのです。正直、ありえないです。

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壊滅してしまった住宅街の中で、わずかにその姿をとどめているのは、鉄筋コンクリート造の住宅だけ。それも、激しく損傷しています。

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復興を誓う地元に皆さんのメッセージ。
故郷を再生したい気持ちは痛いほどわかります。
だけど、建物の3階にまで海面がせりあがって襲ってくる体験をしたら、そのトラウマたるや一生ものではないでしょうか。何度もフラッシュバックしてくるだろうし。といって、三陸のように、近くに移転できる高台があるわけではない。いったいどうすればいいのか。。。
地域によっては、自宅を再建したり仮設商店街を立ち上げるなど、少しずつ復興が始まっていますが、荒浜ではがれき処理が終わりつつあるものの、人の気配がまったく感じられません(おそらく地区全体を移転するという行政の意向なのでしょう)。この問題の難しさを物語っているようです。

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荒浜から県道10号線を北上し、石巻に向かいます。
途中、七北田川を渡り、仙台方面に左折したあたりの光景です。
近くには仙台港があり、このあたりにまで海水が流れてくるのでしょうか。
地盤がかなり沈下していることがわかります。

以下、石巻編につづく。
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テーマ : 旅先での風景
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大津波の爪痕を旅して その2 石巻

仙台市の市街地から国道45号線に入り、石巻に向かいます。
途中、渋滞でじりじり。
日本三景のひとつ、松島を通るルートですから、仕方ありません。
昨年、ボラで来たとき、宿舎は松島駅近くの旅館でした。
帰り際に食べさせていただいた牛タン定食の味、今でも覚えてます。それくらい、おいしかったな。
今回は時間もないし、松島は通過します。
矢本を過ぎ、石巻市内に入ると、北に向かう国道45号線から国道398号線に入り、いよいよ石巻市街です。

メインストリートである国道沿いは、津波被害を受けた痕跡はほとんどありません。しかし、海沿いを走る県道241号線に入ると、次第に様相が変わってきます。

石巻日日新聞がありました。

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震災当時、壁新聞の話題で有名になりましたね。
テレビでドラマ化されたりもしました。
同紙のホームページでは、当時の状況を知ることができます。

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そして、日本製紙石巻工場です。
個人的にも直接間接にお世話になっている会社です。
昨年、ボラバスが工場前を通った時、構内は激しく荒れていましたが、いまは綺麗になっています。

そして、門脇町に入ると、状況が一変します。
海に近いこのあたりでは、一面、廃墟となってしまっています。
昨年来た時と、ほとんど変わっていないようです。

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目に飛び込んでくるのが、門脇小学校です。
焼けただれた姿が痛々しいです。
校庭には初老の外国人の夫妻がカメラを持ってたたずんでいました。
私のところに来て、「この学校でいったい何があったのか、ご存じなら、その物語を聞かせてください」
残念ながら、私もあなたと同じ旅人なので、詳しいことは何も知りません、と答えるしかありませんでした。
幸い、近くにいた地元のおじさんが、詳しい解説をしてくれたようです。でも、もろ日本語だったみたいし、果たしてわかってくれたのかどうか。。。

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小学校に隣接する墓地。
残念ながら、ほとんどの墓石は倒れたままです。
ブロックを建てただけのお墓に目が留まりました。

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旧北上川の河口近くの南浜町。
遠くに日和大橋が見えます。
このあたりも地盤沈下が激しいようで、防潮板と大型土のうが延々と続きます。
川の対岸には、巨大ながれき処理場があります。

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石巻市民病院。建物は大丈夫でしたが、営業しているようではありませんでした。
近くの建物は激しく損傷しています。地盤が沈下したため、溜まった水が排水されず、池みたいになっています。

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日和大橋のたもとは、クルマの処分場になっています。
いったいどれほどのクルマの残骸でしょうか。
クルマの原型をほとんどとどめていないもの、パーツだけになってしまったもの。
ナンバープレートが付いたままのクルマも見られました。

日和大橋を渡った際、ほんの瞬間ですが、被災状況を上から俯瞰することができました。
大変な状況でした。

ただ、石巻の場合、住宅の新設や仮設店舗などがあちこちに見られ、復興が進んでいるなという感触がありました。
それと、少し不思議だったのが、コンビニです。大変な被害を受けた地域なのに、そのすぐ横でコンビニが普通に営業していて、中に入れば都心と変わらぬ品が揃い、店員さんたちが元気な声を出しています。ここが本当に被災地なのかと一瞬、疑ってしまうほどです。コンビニ業界はインフラが破壊された震災当時にも大きな力を発揮したし、何よりコンビニが普通に営業しているだけで、かつての日常を取り戻したような感じになります。コンビニはまさに復興の旗頭ですね。

これから、昨年ボラで行った鮎川に向かいます(以下、鮎川浜編に続く)。

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大津波の爪痕を旅して その3 鮎川浜

石巻を後にし、牡鹿半島の先端にある鮎川に向かいます。県道2号線に入り、美しいリアス式海岸の山並みを縫うように走ります。急カーブ・急こう配の連続で、昔バイク小僧だったころに走ってたら、さぞ気持ちよかっただろうな、とふと思ったり。
リアス式海岸なので゛平地が少なく、わずかな平地に漁村が散在していますが、いずれも大変な状況です。
ただ、小さな漁港であっても、それなりに桟橋などの復旧工事が少しずつとはいえ着々と進んでいて、少し安心しました。

途中、大原浜でクルマを止めました。

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このへんも地盤がことごとく沈下してして、大型土のうを積み上げています。堤防も損傷していて、これでは台風の高潮を防ぐことはできないでしょう。

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地図によると大原浜郵便局があった場所。今は何も残されていません。

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唯一残っていたのが、こちらの土蔵。屋根などに若干の損傷がありますが、構造はほぼ無傷です。驚異的と言うしかありません。ほかの地域でも、鉄骨造の建物が根元から破壊されているというのに、土蔵が残っているというシーンをいくつか見かけました。昔の棟梁の知恵には感服するしかありません。母屋は流されても、土蔵さえ残れば、大事なものも流されずに済むし、何より避難場所にもなります。系図や家宝といったものは、そうやって先祖代々守られてきたのかもしれません。

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鮎川が近づいてきました。
昨年ボラでがれきを拾ったのが、鮎川の少し手前にある、十八成浜というところです。
くぐなりはま、と読みます。
ご多分に漏れず、ここも地盤沈下が激しいようです。

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十八成浜の海岸です。
ちょっとした公園になっているのですが、状況は昨年とほとんど変わっていないようです。
倒れた並木の伐採木が海岸に放置されたままになっています。
違いと言えば、新しくて綺麗な公衆トイレが液状化で激しく傾いていたのですが、撤去されていたことくらいでしょうか。また、近くには1階がピロティみたいになったお宅がいくつかあったのですが、なくなっていました。

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昨年がれきを拾ったエリアです。
雑草が生い茂っています。
いずれ、ここで農業を再開する日が来ることを期待してやみません。

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気温30℃越えの暑さの中で作業しました。
暑い中、みんながんばってました。
(私はそんなにがんばらなかったかな。。。)
皆さんと一緒に、作業しては休憩を取り、お昼のお弁当を食べたりした建物です。
かつてとまったく変わっていません。
まだ新築みたいなので、きちんと補修すれば十分使えそうに見えますが、住む人がいなければ始まりません。
このまま廃墟みたいになってしまうのはしのびない気がします。

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鮎川の市街地です。ボラバスはこ先のENEOSのガソリンスタンドのあたりに駐車しました。

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地域の復旧本部になっていた公民館。今はひっそりとしています。

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公民館の前には仮設の商店街ができていました。
地元の方たちでにぎわっていました。
私が写真を撮っていたら、「おーい、そこの写真の人、おらたちも撮ってくれや、がはははは」
お酒が入ってたんだろうけど、それにしても元気いいっすね。
さすが、漁師さんの街です。

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石巻や大船渡、気仙沼のような都市部と違い、地元の人以外ほとんど来ないであろう鮎川地区の仮設商店街。
通りすがりの旅人としても、なんとなくほっとする一瞬ではあります。

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捕鯨基地としても名の知られた鮎川。
クジラを求めて遠洋漁業に出る大型漁船が停泊しています。
漁港の整備は急ピッチで進められています。
仮設店舗でもクジラ製品が売られていました。

北国の日没は早いです。
まだ4時を回ったくらいですが、早くも日が傾いてきました。
これから女川まで行こうと思うのですが、果たして写真が撮れるかどうか。。。

いったん大原浜まで戻り、県道41号線で女川を目指します。
途中、コバルトラインとの分岐がありますが、あえて海沿いを走る県道41号線を進みます。

女川原発PRセンターを過ぎてからは、ずっと海沿いを走ります。
このあたりは道路の補修工事のまっただ中で、あちこちで未舗装の砂利道に出くわします。
険しい崖の上を通る道ですが、途中通った小さな漁村は、どこも同じような状況でした。

もう暗くなり、写真は諦めざるを得ませんでした。
コンテナを使った仮設住宅など、見たかったのですが、つるべ落としですから仕方ありません。

さて、今夜の宿はどうするか。
何も考えずに、カメラだけ持って出てきたようなものなので。
明日の行程を考えると、今晩のうちに東北道を北に向かい、明日は朝から海岸線を南下するのがいいかな、と考えました。まず、女川から万石浦を通って石巻に向かいます。万石浦にはカキの筏が浮かび、日が沈んだ後の余韻と相まって、幻想的で美しい光景でした。

石巻に戻ったころは漆黒の闇に。国道108号線(石巻別街道)で古川に向かい、古川ICで東北自動車道に上がり、ずんずん走って水沢ICで下り、水沢駅近くのホテルに泊まりました。

水沢と言えば、あの小沢一郎さんの地元です。
ホテルのすぐそばには、例の「国民の生活が第一」とやらの選対事務所が立ち上げられていました。
ホテルがやけに混んでたのは、選対の関係者が止まってたせいでもあるのかな。

しかし、水沢駅前は、6年前に来た時と同じで、夜は人通りも途絶え、結婚式の二次会帰りの若者グループ以外はほとんど人の姿も見られず。一日クルマで走りっぱなしで腰が痛かったので、すぐ寝てしまいました。

翌日は、水沢から大船渡に出て、陸前高田、気仙沼と南下してきました(以下、大船渡編に続く)。

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大津波の爪痕を旅して その4 大船渡

翌日は、水沢から国道397号線(盛街道)大船渡に向かいます。
水沢は、今では奥州市水沢区になっています。江刺は奥州市江刺区です。
ちょっと、いや、かなりピンとこないですね。
まあ、「さいたま市」なるものが定着するまで(まだ定着していない?)時間がかかったし、こればかりは仕方がありません。

江刺付近を走行中、美しい民家を見つけました。

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実に美しいですね。デザインバランスといいプロポーションといい完璧です。
これぞ様式美と言うのか、昔の棟梁のハイレベルな美意識を感じます。
江刺には重厚で美しい民家が点在しています。
日本の原風景ともいうべきところです。
大切に保存していってほしいと切に思いますね。

さて、盛街道をひたすら大船渡に向かいます。
途中、大トラに行く手を阻まれてジリジリしつつも、快調に飛ばし、10時には大船渡に到着。
大船渡に来るのは6年ぶりです。
あのときは気仙沼から釜石まで北上したのですが、今度は逆に南下します。
盛駅あたりまで来ましたが、まだ被害は見られません。しかし、海岸沿いに入ると、やはり大変な状況が待っていました。

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鉄骨造の倉庫や鉄筋コンクリート造の事務所ビルなど、残っている建物も大きな被害を受けています。

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ひどかったのが大船渡駅です。
駅舎は完全に流され、跡形もなくなっています。
わずかにプラットホームと線路が残されていて、そこが駅だったことがかろうじてわかります。
しばし、ホームに立ちつくします。ここに電車が走っていた光景がどうしても思い浮かびません。
6年前、駅に隣接した観光案内所で旅館を案内してもらったっけ。
わずかに残った頑丈な水飲み場が、そこに多くの人々が行きかったことを示唆しています。
駅の向こうには仮設が建てられています。
背景の山々は美しく紅葉していました。

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駅の方向を見たところ。何も残されていません。
また、地盤が沈下しているため、道路を冠水から守るべく大型土のうが並べられています。

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左はテレビに何度も出ていたスーパー「マイヤ」、右は大船渡プラザホテル。

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マイヤは昨年より、すでに仮店舗で営業を続けています。
被災した建物は痛みが激しいのか、解体工事中です。
この屋上に逃れて助かった人たち。
周囲を津波の濁流が渦巻き、本当に怖かっただろうと思います。

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「マイヤ」の隣は、このような状況です。
6年前このへんにあった民宿「海潮苑」に宿泊したのですが、今は跡形もありません。
お世話になった宿の方たち、マイヤの屋上に逃げて無事だったのでしょうか?

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早々と新社屋を建てて営業している企業もあります。
勇気づけられますね。

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大船渡では仮設店舗が次々と建てられています。
複数の商店が集まって横丁風の商店街を作ったり、また自力でプレハブ店舗を立てて営業したり。
かつてのにぎわいが少しずつ、戻ってきているようです。

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手作りの居酒屋もありました。がんばってほしいものです。

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高台を走る国道45号線沿いに立つガソリンスタンド。
その屋根を見て、驚きました。
津波到達ライン、とあります。ありえないです。海面からいったい何メートルあるんでしょう。

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その高台を走る国道45号線からは、大船渡港を見渡せるスポットがあります。
震災当時、you tubeに、大津波が町を呑み込んでいく様をここから映した動画が投稿されていました。
多くの方々が視聴なさったことと思います。
動画には「もう止めてくれ」というような、地元の方のうめきにも似た声が混じっていたことを思い出しました。
現在は、冷凍倉庫でしょうか、大きな建物が建設中で、仮設の建物もたくさんできているし、確実に復興に向かっていることを感じます。

これから陸前高田に向かいます(以下、陸前高田編に続く)

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大津波の爪痕を旅して その5 陸前高田

大船渡を後にし、国道45号線を陸前高田に向けて南下します。
もうすぐ海に出るかという時、突然、すごい光景が姿を現しました。

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橋梁の橋台だけを残して、すべて流されてしまっています。近くで見ると、あたかも巨大なオブジェのように見えます。どれほど巨大なパワーだったのでしょうか。思わずぞっとします。
橋脚自体はしっかりしているようなので、いずれまた橋梁を架ける予定になっているのかもしれません。
それとも、単に手が付けられずに放置されているのか。。。

海岸部に入ると、想像もできない光景が広がっていました。
私個人としては、陸前高田に走るのは初めてなのですが、ボラに行った方からは、陸前高田と南三陸は町全体が消失してしまって、とにかく大変な状況だと聞かされてはいました。まさに、その言葉の通りでした。

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海のすぐそばにあった高田松原球場です。地盤が激しく沈み、多くの海水が排水されずに残り、池のようになっています。照明塔やダグアウトなど、ここが野球場であった痕跡がわずかに残されていますが、もう壊滅状態です。かつてはここで社会人の草野球や子供たちの野球大会などが開かれていたのでしょう。
何とも痛ましい光景です。

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堤防が破壊されたのでしょう、大きな石を積み上げた仮設の堤防が建設され、クルマが通れるようにかさ上げされた道路が作られています。海側では構造物が海中にひっくりかえっています。

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海岸に立つ「キャピタルホテル1000」です。
おそらく陸前高田を代表するデラックスホテルだったはずですが、低層部は激しく損傷を受けています。
近く解体工事が始まるようです。今年8月、内陸部にホテルを再建する計画がまとまった模様です。

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ホテルのエントランス部分はめちゃくちゃに破壊されています。
ガレキだけは片づけたのでしょうが、内部は手つかずの状態です。

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見たこともない被害写真です。
鉄筋コンクリートの壁がはらむようにして変形しています。
この壁を抜けようとする津波の圧力に耐えて踏ん張った結果なのでしょうか。

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エントランスの円柱は仕上材がかぶりコンクリートもろともはがされ、鉄筋がむき出しになっています。
2段に積まれた大型土のうから、地盤の沈下が激しいことがわかります。

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岩手県立高田病院です。震災時は、この病院の4階まで津波が押し寄せ、多くの患者さんや医療関係者が亡くなりました。

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陸前高田駅です。大船渡駅と同じような状況ですが、大船渡駅ではまだ錆びたレールが残されていました。陸前高田駅ではレールが撤去され、まるで廃線跡のようです。ここ陸前高田駅のホームを舞台として、震災報道番組の中継がされたこともありました。今はひっそりと静まりかえっています。

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決して田んぼでも池でもありません。かつて建物が建っていたのです。遠くに見えるのがキャピタルホテルです。
ガレキが片付いたことで、あたかも原野のような光景が広がっています。

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スーパー「マイヤ」です。

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市民会館です。不自然な壊れ方をしているのは、解体作業中だからでしょうか。

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市役所です。
震災当時のままです。エントランスには祭壇が設けられ、多くの見学者が手を合わせ、線香を手向けていきます。
まだ手つかずの状態で、中にはクルマの残骸が震災当日そのままの形で残されています。

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陸前高田の市街を見渡せる国道45号線の跨線橋の上から撮ったものです。
遠くにかすかに見えているのが、わずかに残されたマイヤ、市役所、市民会館、高田病院などです。
その周囲は、本当に何もなくなってしまっています。
これには言葉を失いました。

「陸前高田は町全体がなくなってしまった」という言葉の意味を初めて思い知らされました。
街が平野部に広がっていたため、それだけ津波被害が大きかったということでしょう。

考えてみれば、あの震災から、まだ1年8か月しか経っていないのです。
思えば、これだけの短期間で、これだけの広大な面積に広がっていたガレキを、よくここまで撤去したものだと感嘆します。関係各位のご努力には本当に頭が下がります。
昨年は、「復興に向けて、まずはガレキ撤去だ」ということで、人々はガレキ撤去を当面の目標として掲げ、がんばってきました。
でも、ガレキ撤去の次にあるべき「復興」に向けた予兆が、この光景からは見えてきません。

大船渡ではすぐ近くに高台があり、高台の仮設住宅から出勤したり高台に代替地を求めたりが可能です。
しかし、陸前高田の場合、かなり奥まで入らないと仮設住宅の用地や代替地が見つからないのでしょう。

もちろん先を急ぐ必要はないし、数十年先を見越した都市計画のマスタープランを練って物事をマクロ的に進めていくという視点は重要です。ただ、地域に根ざした生活者の立場で、コンビニや仮設スーパーの一軒でもあれば、気持ちも多少は違うのではないか、とは思いました。
もっとも、何を言ったって、通りすがりの傍観者の戯れ言にすぎないのですが。

何とも複雑な思いを胸に、これから気仙沼に向かいます(以下、気仙沼編に続く)

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大津波の爪痕を旅して その6 気仙沼

陸前高田から気仙沼に向かいます。時間も押してきたし、今日中に南三陸まで行くのは難しいようです。2日間ではちょっと強行軍すぎたかもしれません。

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途中、美しい海岸線を通ります。三陸のリアス式海岸は本当に綺麗です。こんな美しく風光明美なところに、あの巨大な大津波ですから、好事魔多しとでも言うしかないのでしょうか。

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国道45号線で市内に入ると、大きな漁船が姿を現します。
被災地では、復興の妨げになるということで、取り残された漁船の撤去が進められてきましたが、この船は大きすぎるためか、まだ残されたままです。さすがに不安定なのか、数か所をつっかえ棒で支持されています。
道路が1m近く盛土されているのがわかるでしょうか。これほど激しく地盤が沈下していることにも改めて驚きを隠せません。

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近づいてみると、改めて、その巨大さに圧倒されます。
船のすぐ横では、コンビニが何気に営業しています。
コンビニという「日常性」と、漁船というありえない「非日常」が隣り合わせになっている、不思議な空間です。
そして、国道を走るドライバーが、船を見上げるようにしながら通り過ぎていきます。

ツアーバスが何台か立ち寄り、参加者が写真を撮りまくっていました。
どういうツアーか知らないけど、なんだか観光地みたいになっています。
複雑な気持ちです。
地元の方にすれば、できれば早く撤去してほしいでしょう。
南三陸の防災庁舎と同様、後世のために保存すべきという意見もあるでしょうし、賛否両論でしょうが、個人的には、残すべきではないかな、と思います。

国道沿いということもあるけれど、船があれば、観光客が見に来ます。
忘れ去られてしまうよりはまだましか、という気もしなくもないです。
どんなに著名なアーティストにお願いしても、これほど強烈なモニュメントは作れないです。

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船の近くには仮設商店街「復興マルシェ」があり、交通量が多いせいか、多くの人でにぎわっていました。
初めて、腹が減っていることに気づきました。

塩田さんのお店で、三色丼を食べました。
おいしかったです!
店内には、芸能人の人たちのサインや写真がたくさん飾られていました。

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気仙沼港にやってきました。
昨年、気仙沼大島にボラに来たときのことを、昨日のことのように思い出します。
もう1年たったなんて、信じられないです。

昨年、写真を撮ったところですが、まったく変わっていませんでした。

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イカ釣り漁船です。昨年も漁船はそこそこいましたが、今年は格段に増えています!
なんてったって、漁業あっての気仙沼ですから。

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大島行のフェリーが出発しようとしています。
時間的に無理ですが、つい、このまま乗船したくなってしまいました。

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昨年来たときは、広島の呉から来た船が運航していましたが、とてもきれいな新しい船が就航していました。
大島の皆さん、元気にがんばっているかな~

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市内を歩くと、昨年と変わらぬ惨状です。
ガレキは片付き、仮設商店街もあちこちにできていますが、やはりその先が。。。
自宅や商店があった場所にじっとたたずんでいる人、無心にカメラを向ける人、花を手向ける人、それぞれです。
地元の人たちにとっては神聖なる場所。
よそ者が勝手に入り込んでいいのだろうか、と一瞬ためらいを感じました。

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震災当日、多くの人々が逃げ込んで助かったという和風旅館「磯村」さん。
残念ながら、解体工事が進められていました。

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気仙沼は、海沿いの地区は大変な被害を受けましたが、高台のほうは被害を受けておらず、このようなレトロな建物を見ることもできます。陸前高田を見てきたばかりだけに、つい、ほっとする瞬間です。

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気仙沼魚市場です。

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激しく地盤沈下したのですが、コンクリートを50cm近く増打ちし、鋼板で仮設の桟橋を構築しています。

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災害復旧工事の真っ最中です。

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魚市場の上に上がると、大島から帰ってきたフェリーが。
今回はスケジュールの関係で行けなかったのですが、次は絶対に大島に行きます!
心の中でそう船に語りかけ、引きずられるようにして気仙沼を後にしました。

以上、ろくに食事もできない、あわただしい駆け足の旅でしたが、いくつもの被災地を通して見ることで、同じ被災地と言っても地域差が非常に大きいことがよくわかりました。

被災地に向き合うというのは簡単なことではないですが、やはり、現地に行くということが一番だと思います。
なんぼ写真や動画を見ても、現地に立ってみなければ、大事なことに気づかないのではないか。

そんな思いを新たにしました。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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