スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

再び、政権交代の風景?

pop02.jpg

2009年8月の衝撃的な政権交代から3年。

これほど、さらに輪をかけて衝撃的な「再交代」がやってくるとは想像もできなかった。

当時、自分がどんなことを書いていたか。

今、読み返すと、結局だまされた自分がアホだったのか、と思いたくもなる。

小選挙区制には根本的な問題がある、二大政党制は日本には向いていないのではないか、などなど。
いろいろなことが頭をよぎる。
が、そんなことを論じる前に、今回の事態はすべて民主党自身が招いた『身から出た錆』に他ならないという悲しい現実。

結果、大所帯となった民主党はいとももろくも崩壊し、雨後のタケノコのように変な政党がいくつもできた。
太陽の何とかみたいに、数日で消えた政党もあった。
離合集散も、ここまで来ると喜劇である。
演じている人たちは必死だったんだろうけど。

もう何が何だか、わけがわからない。

原発とかTPPとか、個別の政策単位で、意見が一致しないからってんで、いちいち政党を作っていたら、政党はいくつあっても足りなくなる。
有権者を右往左往させるだけである。

かくして、雨後のタケノコは、当然の結末として、ほとんど踏みつぶされてしまった。


ところで。

今回の選挙で、数年前のベストセラー本「選択の科学」を思い出した。
コロンビア大学ビジネススクールで教える盲目のインド人の女性科学者、シーナ・アイエンガー女史の熱血講義をまとめたものである。NHKでも放映されていたので、多くの方が感銘を受けたのではないかと思う。

うろ覚えで申し訳ないが、

●選択肢は多いほどいいとは限らない。むしろ少ないほうが適切な選択ができる。
●選択の自由は精神的、感情的な代償を伴うことが多い。時には、他人に選択を委ねたほうが幸せになれる時もある。
●人生は運と偶然と選択によって決まる。

簡単に言えば、このような内容だったと思う。


自由とは、選択する自由である、とも言える。

封建時代には職業も結婚相手も住む場所も、自ら選ぶことはできなかった。
現代だって、国家から軍隊に入れと命令されれば、国民は嫌とは言えない(アジアの東端の平和ボケ島国は例外として)。国民には、軍隊に行くか行かないかの選択の権利はない。

それから、学生時代に読んだ、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」も。
自由には、「~からの自由」と「~する自由」がある。
受動的立場から解放される自由と、能動的に何かをなしとげる自由、とでも言えばいいのだろうか。

何かにがんじがらめにされているときは、一刻も早く解放されたいと願う。
しかし、いざ解放されてみると、かえって心理的に不安定になり、落ち着かなくなる。
今までは命令に従うだけでよかったのに、今度はすべて自分で考えて決めなければいけない。
しかも、自分で考えた決定には、自分自身で責任を負わなければいけない。
かえって、何かにがんじがらめになっているほうが、自ら考えなくていいし、責任を負わなくていいし、楽でいいんじゃないか。
かくして、近代市民社会の最大の象徴ともいえる「自由」を自ら放棄し、長い物に巻かれろ的な感覚で、がんじがらめの藪の中に自ら戻っていく。。。

私たちは自分の人生にどれだけ自己決定感を持っているだろうか。

私は人生のすべてを自分で考えて決めてきたと言う人もいるかもしれないけど、実際、多くの選択は直接間接に、多かれ少なかれ(て言うか、おそらくほとんどの選択は)、周囲の環境に依存してなされているのではないだろうか。



さて、日本における民主主義とは、現実的には、自らの一票で、政党を選ぶ自由である。
今回の選挙では、5人に2人は、この自由を行使しなかった。

自らの意思で、責任を伴うべき自由を放棄したのだろうか。
それとも、単にどうでもよかったのだろうか。


『選択肢は多ければ多いほどよいとは限らない。むしろ、多すぎる選択肢は、正しい選択から逃避する行動を導きやすい』

結果だけ見れば、アイエンガー先生の言う通りになった、と言えないだろうか。

今回、自民党に投票した人たちは、どういう心理だったのだろう。
よ~く分析しなければいけない。

単純に、民主党の欠陥がすべて、自民党支持に裏返っただけなのかもしれない。

今回の結末に、「自分の1票が政治を変えた」という自己決定感がどれほど感じられただろう。
少なくとも2009年の政権交代のときには、そういう実感を多少なりとも感じられたと思う。
ま、それも今にして思えば、政権交代をあおるメディアに踊らされていただけだ、と総括できるかもしれないけれど。

安部ちゃん自ら言ってたように、敵失で票を余分にもらっただけにすぎない。自民党という政党に対する支持率は決して高くない。
不甲斐ない民主にも、よくわからない第三極にも抵抗感を持つ人は、消去法で、自民党に投票するか、白票を投じるしかなかった。

見た目の選択肢は多くても、実質的な選択肢は非常に狭かった。

かく言う私も、自由民主党に投票してきた一人である。

どうでもいい選択肢を増やすことは、かえって、本命とされる選択肢に人々の選択を集中させやすい

ということなのかもしれない。



ところで、自民党のホームページを見てみると、イメージカラーが赤一色である。
これでもかというくらい、赤一色なのである。

この赤には、いろいろな意味があろうが、おそらく日の丸の赤に違いない。

minnade.jpg

隣国の口うるさい連中が見たら何を言うか知らないが、日の丸は、個人的には好きである。

白地に赤丸。

こんなに純粋で飾り気のない国旗は、世界中どこを探してもないだろう。

日本という国のすべてが、ここに集約されていると感じる。


人々の選択の過程がどうだったにせよ、日本は新しい道を歩み始めることになった。

選択には責任が伴う

ということを、一人ひとりがかみしめなきゃいけない。

スポンサーサイト

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

ガンバ大阪がJ1から消える

Jリーグの西の雄、ガンバ大阪がまさかのJ2降格を喫した。
多少なりともサッカーに親しんでいる人にとっては、まさかのありえない事態である。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
監督人事のゴタゴタだの、得失点差プラスで降格だの,前田の伝説だの、とりあえず置いといて、自分なりに要因を考えずにはいられなかった。

sc-tn-121202-2-ns300.jpg
(写真:サンケイスポーツよりお借りしました)

今年は、11月7日(水)に日立柏サッカー場で行われた柏レイソル対ガンバ大阪の試合を見に行った。
これがJ1でガンバを見る最後になる(少なくとも来シーズンまでは)とは毛頭思わなかった。
戦力に差の少ないJ1では、18チームのうち下半分に降格の可能性がある。
J2から昇格したばかりのチームがいきなり優勝したかと思えば、
タイトルをとったチームがいともあっけなくJ2に落ちたりする。
昇格・降格のスリリングさに限れば、世界屈指のリーグと言ってもいいかもしれない。
それでも、ガンバだけは最後の最後で踏みとどまるだろう、とは思っていた。

試合は、レイソルがお家芸である電光石火のカウンターで、若きFW工藤が2発、GK藤ヶ谷のガードを破った。
いずれも豪快なゴールだった。
しかし、負けはしたが、ガンバも素晴らしかった。
パス回しは明らかに、ガンバのほうが数段上に思えた。

レイソルに1点先制された後、センターサークル付近にいたMF武井から前線のFWレアンドロに推定40m近いスーパースルーパスが通った。
レアンドロは寄せてきたDF2枚の間をくぐり抜け、華麗にゴール。
パスを回しながら、一瞬の隙を突いた、針の穴を通すようなパス。
それをきっちり決める決定力。
「この形は何度か練習はしていた」とはいえ、それをゲームで成功させてしまうところに、ガンバのすごさを感じた。
レイソルサポーターも、このワンプレーには度肝を抜かれたはずだ。

そのガンバが降格した。いったいなぜだろうか。

自分なりに、一番の原因は、闘将不在にあるのではないか、と考える。

かつて鹿島の黄金時代を支えた秋田、FWも「兼任」する名古屋の闘利王、代表でワールドカップに2度出場したマリノスの中澤、ボランチで周囲を怒鳴り散らしていたジュビロのドゥンガ。俊輔のいたセルティックにはニール(現監督)がいたし。
強いチームには、チームメイトさえ近寄りがたい雰囲気の「闘将」がいた。

ガンバには「闘将」の文化がない。
しいて言えば、Jリーグ初代監督のカマモトくらいだろうか。

長年、ガンバのDFラインを統率してきたDF山口(今シーズンからJ2千葉に移籍)にしても、闘将タイプではなかった。
考えてみれば、山口の前任のDF宮本は同志社だし、ガンバの頭脳と言われたMF橋本は確か大阪市大を出てるし。
司法試験に受かって弁護士になった元ガンバ選手もいるし。

チームメイトの誰かが言っていたが、みんな自立している『大人のチーム』。
「言わなくてもわかっているだろう」「わかっていることをいちい言わなくてもいいだろう」。
そんな「大人の関係」が、今回はすべて悪いほうに出てしまったような気がする。

個人的には、遠藤保仁は大好きである。
あのひょうひょうとしたたたずまい。
どんな状況でも冷静な判断力。
多くのチームメイトが信じてボールを預ける。
見ている側も、遠藤にボールが渡ると、とりあえずほっとする。

話は飛ぶが、彼のような存在は、サラリーマン社会でも、理想的なタイプではないだろうか。
人の悪口や陰口を言わない。
人にあれこれ指示する前に、自分から黙って率先して動く。
部下の持つ力を最大限に発揮させてくれる。
不思議な包容力がある。
何があっても感情的にならず、冷静に、事態を落ち着かせる手段を見い出せるような。
上からも下からも頼りにされる存在。
いつもカッカしてるだけの上司より、はるかに頼り甲斐を感じるのではないだろうか。

しかし、今季は遠藤が遠藤らしくないプレーが多かった印象がある。
パスミスが多かった。残留のかかった試合でも、「え?」、というパスミスが何度かあった。
パスミスは相手との呼吸だから、遠藤だけの問題ではないが、明らかに相手の意図と全然かみ合わないスペースにパスを出すことがあった。
プレッシャーを受けて苦し紛れの横パスをはたき、カウンターを食らうこともあった。

一方、11月7日のレイソルとの試合では、試合終盤、ガンバサポーターが陣取るレイソルのゴールに頭から突っ込み、ゴールポストに激突した。
試合は5分近く中断した。
最初は何が起きたか、よくわからなかった。
さすがに交代かと思ったが、なんと彼は頭全体を包帯で巻き、ピッチに戻ったのである。
痛いそぶりも見せず、変わらないプレーを続けていた。
翌日わかったことだが、彼はあごの下を9針縫っていたのである。
数日後には日本代表の試合で中東に旅立っていった。

いい意味でも悪い意味でも、らしくない姿をしばしば見せていた遠藤。

見た目には冷静なコメントをしていても、内心かなり焦っていたのではないだろうか。

だが、彼はそれを口に出すタイプではない。
不安を口にして周囲を心配させたり、逆に周囲を空元気(?)で鼓舞するタイプでもない。
MF明神も、DF今野も、MF二川も、どちらかというと口ではなくプレーで示すタイプ。

そんな「成熟した大人の関係」の蓄積で、「ガンバのサッカー」が形づくられてきた。

残留のかかった試合前、テレビ画面で見た限り、ガンバの選手には、あまり悲壮感は感じられなかった。見た目、いつものゲームと印象は変わらなかった。良く言えば「平常心」なのかもしれない。ただ、あまり言いたくはないが、笑いを浮かべている若手選手もいた。初めて感じる残留争いの独特の緊張を必死に打ち消していたのだろうか。

選手の一人がこんなコメントをしていた。
「あと一歩足を踏み出すべき部分で甘さがあった」
サッカーでよくいうところの「球際の強さ」なのだろうか。
泥くさいけど、ガツガツいかなきゃ。
それがなきゃ、いくら芸術的なスルーパスがあっても始まらない。
うまいだけじゃ、サッカーは勝てないってことである。

試合終盤の足がつりそうなギリギリの状態で、それでも「走れ」「脚を出せ」と徹底させるのは、やはり「闘将」の力なのかもしれない。

そんなことを感じた。

最終戦で素晴らしいゴールを決めた倉田は、いま売り時だし、移籍する可能性が高いと思う。
欲しがるチームは多いに違いない。

だけど、おそらく多くの主力とともに、遠藤もたぶんチームに残るだろう。
ガンバのサッカーはJ2ではきびしかろうが、それは逆に、ガンバのサッカーとは何かを見つめ直すことでもある。
J2に落ちたレイソルがそうだったように。

昇格して即優勝するくらいの地力をつけて、来年、必ずJ1に戻ってきてほしいと願う。

テーマ : Jリーグ
ジャンル : スポーツ

カテゴリー
プロフィール

fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

月別アーカイブ
ブログ検索
FC2カウンター
原発のない世の中へ!
【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
リンク
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。