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想像ラジオ

radio-in-souzou.jpg

あの大震災から早いもので2年半弱が経とうとしている。
人々の記憶は移ろいやすい。
あれほどの衝撃をもって受け止められた大震災の記憶も、自分も含めて、否応なく、次第に脇へと追いやられようとしているのを感じる。
これではいけないと記憶をもう一度呼び覚まそうとする人。時の流れに身を任せるように自然に忘れていく人。
皆いろいろだろう。
じゃ、自分はどうなんだろう。
そんなとき、この本に出会うことになった。

津波で亡くなった方は、どんな思いを抱いてこの世から去って行ったのだろう。
言いたいこと、やり残したことがたくさんあるだろう。
とりわけ。大切な家族を残してきた方は、今すぐにでも、この世に戻ってきたいだろう。
でも、こちら側にいる者たちは、残念ながら、彼らの姿を見ることも、その思いを聞くこともできない。
これほど、お互いにもどかしいことはないだろう。
なんてことだ。
何とかならないのだろうか。

確かに、見ることも聞くことも話すこともできない。
でも、感じることはできるのではないか。
「見る」とか「聞く」とか「話す」は物理的に限定的だけど、「感じる」は無限の広がりを有してはいないだろうか。

だけど、どうすれば、彼らをより感じることができるだろう。
感じるためには、何か、よりどころのようなものがほしい。
もっと言えば、突破口というか、仕掛けのようなもの。


実は私と同い年である、いとうせいこうさんの作品「想像ラジオ」。
津波で流され、木の上に引っかかったままの主人公が、想像上のラジオのDJとして、自らの思いをしゃべり始める。同じように津波に流されて海に沈んだ人、同僚を探してさまよう人から便りが届く。亡くなった方と生き残った方が交錯しつつ、ラジオがさまざまな人たちの思いをつなげていく。

彼らの声を聴きたい、その思いに触れたいと願い、想像ラジオをチューニングすれば、彼らの声が聞こえてくる。
もちろん、誰にでも聞こえてくるわけではない。
実際に電波を流しているわけでもない。FMでもAMでもない(著者はIMだと言っているが)。
でも、然るべき資格を備えた者には、ちゃんと聞こえてくるのである。

震災による死者に思いを馳せる手段として、著者が考え出した想像ラジオ。
着想にはとても共感が持てる。
もちろん、読んでいて違和感を感じる部分もないわけじゃない。
それも、人それぞれ。
各自がこの本を読んで、自分なりの想像ラジオをチューニングし、話を聞こう、はがきを書いて投稿しよう、リクエストしよう、などと思うようになれば、著者の願いは半分達せられたと言えるのかもしれない。

それにしても。

死者が言葉を発することができない以上、言葉で死者を語るというのは、どこかに無理がある。
死者は言葉を超越した、というより、言葉のない世界にいってしまわれたわけだから。
本来は、死者がDJで語りかけるというのは、生きている者の意識の延長で死者をとらえているのだろう。
もちろん、そんなこと、著者は百も承知なわけで。
書いている最中、さまざまな疑問にぶつかって、立ち往生したことも二度三度ではなかったと思う。
ある意味、誰もがしり込みしていたテーマではないか。
勇気をもって挑戦し、まとまった作品に仕上げた著者を尊敬するし、すごいと思う。
あれこれケチをつける評論家など、スルーすればよいだろう。


誰だって、死にたくはないと思う。
立派に死んでいく人なんて、いないだろう。
誰だって、この世に大いなる未練をたらたら残しながら、仕方なく旅立っていく。
まして、大津波で一瞬にして生を奪われてしまった方たちは、何をかいわんやである。
こんなのってありかよ、オレが何したっていうんだよ、冗談じゃねーよってのが本音だろう。
死者の側にも、生者の側にも、言いたいことは山のようにある。
それが、一瞬にしてすべてが閉ざされてしまう。
それが、死というもの。
結局、受け入れるしかない。

読み終わった感想はいろいろあるが、長くなるのでこのへんで。

ひとつ、この想像ラジオの放送は、いつまで続くのだろう。
それが気になった。
リスナーや投稿者がいる限り、続けてほしいと思うのは、私だけではないだろう。
でも、木の上に一人残され、寒さに震えている彼にそれを求めるのは、酷というものだろう。
であれば、彼に代わって、こちら側から想像ラジオを放送するしかない。

リスナーや投稿者がいる限り、想像ラジオは続いていく。
いや、続けなくちゃいけない。
いつまでも。
どんなに時が経とうと、想像ラジオがある限り、記憶が風化することはない。
そうあってほしい。

自戒も含めて、そう思う。
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テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

福島第一原発の吉田元所長を悼んで

東京電力福島第一原子力発電所の吉田昌郎前所長が、ガンのため亡くなられた。
闘病中とはうかがっていたが、まさかこんなに早くお亡くなりになるとは。
大変悲しく、痛ましい。

日本という国を背負い、日本の国民を背負い、文字通り「盾」となって、未曽有の原発事故に立ち向かった吉田さん。
本店のお偉方の無理難題に正面から反論し、自らの決断を貫いた吉田さん。
かっこよくて、男らしかったですね。

そして、吉田さんがいたから、多くの原発作業員たちは決死の覚悟で、放射能が漏れ出した原子炉に向かっていった、と聞く。
吉田さんがいなかったら、原子炉に行けという命令を誰が下したかわからないけれど、作業員の方たちが、果たして、その危険な命令に従ったかどうか、疑わしい。
吉田さんがいたから、作業員の方たちには、俺たちが日本を守るんだ、という意識が芽生えたのではないか。

多くの方たちが、そういう想いを抱いているはず。
ツイッターには、国葬にすべきとの書き込みもあったとか。

私たちは、吉田さんを美化しすぎているだろうか?
彼は、与えられた職責を全力で果たす以上に、何かとても重要なものを心の中にもっていた。
それは、多くの日本人が、心の中に、漠然とした美学として抱いているもの。
それを体現したからこそ、多くの国民の共感が集まるのだろう。
一生懸命やってきたのは、何も吉田さんだけではない。いろいろな立場の皆さんが、与えられた立場で全力を尽くしてきた。
しかし、大多数の国民は、その過酷な現場に足を踏み入れることはできない。
固唾をのんで見守るしかない。
この埋めようがない距離感が、吉田さんをして、次第に象徴的な存在へと昇華させていったのかもしれない。

いずれにしても、あまりに早すぎる死であった。
早く元気になり、家族との当たり前の生活を取り戻してほしかったのだが。

そして。

中身はまったく違うが、同じような事が、つい最近もあった。

兵庫県尼崎市で、不可解な事件を引き起こした角田三枝子。
警察に逮捕され、これから事件の真相を解明すべき時に、こともあろうに留置場で自殺した。
数々の不可解な謎を秘めた事件の全容は、闇に葬られつつある。

今度の原発事故はどうだろう。
現場の最終責任者である元所長という立場でなければ知りえなかったこと、考えられなかったこと、決断の裏にあった科学的な根拠と確信などなど。
それらは、吉田さんの死で、うやむやになってしまうのだろうか。

原発事故の収束に向けて必死の作業が続く福島第一原発。
チェルノブイリと並んで人類史上最悪とも言われる原発事故を起こした以上、当事者である国や東電は、できる限り詳細かつ透明な報告書をまとめあげることが、国際社会に対する大きな責任である。
そして、吉田さんは、まさに、その最重要人物であった。
事故の経過を包み隠さずつ、まびらかにすることは、後世の世代に対する貢献でもある。
東電のメンツのために、脚色された報告書がまとめられたら、原発事故で苦しむ人たちは本当に浮かばれない。
悲惨な事故から得られた貴重なデータや経験をできる限りオープンにしなきゃいけない。

周囲にいた方たちが、何とか吉田さんの思い、考えを代弁してあげてほしい。
だけど、原発事故の数週間後に東京に一時帰省した際、どこかのデパートで値札を付け替えて万引きする事件を起こしたのは、当時の副所長だったっけ。
正直、耳を疑った。
東電の原発は、こんな人が幹部でまかり通っていたわけだ。
悲しいが、吉田さんがいかにまっとうな人だったか、これだけでも推察できる。
貴重な方を失ったという想いは、ますます募るばかり。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

遊びの文化を映像にすると?







パラッツォ東京のCMです。
業種(パチンコ業)うんぬんは関係なく、文句なしに素晴らしい出来栄え。
格調が高いし、大人のCMという感じですね。
iichikoとか二階堂とか、焼酎のCMにも通じるものがありますね。
こんなCMが増えてくれたら、と願うのは私だけではないはず。
バカCMはいい加減にやめてくれ。



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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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