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中山道-小田井宿・塩名田宿

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中山道を軽井沢宿から追分宿へ進むと、やがて小田井宿へ。飯盛女で賑わった追分宿とはうってかわって、こじんまりとした宿です。文久元年に皇女和宮の御昼食休みに立ち寄るなど、多くの姫君の休泊に利用されたことから「姫の宿」と呼ばれていまして。なるほど、静かな佇まいは、いかにも姫君の休息に似つかわしい雰囲気をたたえています。8月16日の小田井祭りは、和宮より拝領の人形にちなんだもの。

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小田井宿には本陣跡、上・下問屋跡、旅籠などが残ります。宿場用水の清流も流れています(かつては道の両側に流れていましたが、今は片側のみ)。もともと宿泊よりはお伝馬が主の宿で、上下問屋がありました。この建物は、上問屋で旧本陣の安川家住宅。1756年の建築で、何度も改修を経て現在に至っています。道路に面した玄関、荷物置き場、帳場に、上問屋としての面影が見られます。

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出桁が張り出した典型的な信州の伝統民家のつくり。こうして深い軒の下に佇むと、なぜか不思議な安心感に包まれます。中と外の境にあいまいさを残す日本建築のよさなのでしょうか。

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旧中込学校。明治9年の竣工。おかかえ外国人ではなく、アメリカで建築を学んだ地元出身の日本人建築家が建てたもので、当時はギヤマン学校などと呼ばれていました。八角形の楼は、ここに吊るした鐘で時間を知らせたことから、「太鼓楼」と名づけられましたが、老朽化により現在は公開されていません。華麗な外観に比べて内部は拍子抜けするほど質素な作りです。

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中込から中山道に戻り、塩名田へ。塩名田宿は中山道が千曲川を渡る手前の川越しの宿として栄え、中宿・下宿・河原宿の三つに分かれていました。千曲川が増水して滞在が延長されるため、小さい宿の割には本陣が2つもあったそうです。今も、集落の中心には旧本陣跡の豪壮な建物が残されています。塩名田宿の本陣・問屋・名主の三役を務めた丸山家。妻入で傾斜のゆるい屋根、貫を露しにした妻壁は、信州型民家の特徴をよく現しています。棟瓦には「丸山」の屋号が彫られている。右側の安っぽい物置を何とかしてほしかったのですが。。。

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塩名田宿で最も古いといわれる佐藤家住宅。曲がり材をそのまま桁梁に使用しています。それから、このあたりの民家の特徴として、建物を通りと平行にしないで少しずらし、かつ建物の一部が1mくらい奥に引っ込んでいること。斜交い(はすかい)と言われるそうですが、なぜこんな手の込んだことをするのでしょうね。街並みに変化をつける効果はある、かもしれませんが。

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老舗の大和屋酒店。同様に斜交いになっています。この隣りが「えび屋豆腐店」。油揚げが美味しいらしいです。

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塩名田から対岸の八幡に向けて、急坂を下った川べりのあたりが、河原宿。河原には、渡し船が荒れた川に流されないよう繋ぎとめていた船止め石が残されています。悪天候の日など、この宿に泊まって天候の回復するのをのんびり待ったのでしょうか。今は真っ赤に塗装された鋼橋が架けられています。ちなみに、次の八幡宿との距離は中山道で最短とか。
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このあたりには木造3階建の民家が数軒、何気に立っています。この建物はもともと「嘉登や」という屋号の旅館だったようですが、今も営業しているのでしょうか。ここの3階から、日長、川面を見てすごすというのも、まあたまにはいいかもしれませんね。
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ジャンル : 旅行

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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