スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三柱鳥居の話その2 蚕ノ社へ

木嶋神社(蚕ノ社)へ
三柱鳥居を見に(というわけではありませんが)、久しぶりに京都まで行ってきました。話は向島から京都へと、大きく展開します。京都の四条大宮駅から京福電鉄嵐山線に乗ります。レトロでかわいい電車です。しばらくトコトコ走り、映画村で有名な太秦のひとつ手前の「蚕ノ社」駅で下りましょう。

kaiko01.jpg

kaiko02.jpg

kaiko03.jpg

下車すると、駅前がすぐ参道の入口になっていて、鳥居が出迎えてくれます。その鳥居を見上げると、「蚕養社」と書かれています。

kaiko04.jpg

鳥居をくぐり、今は住宅街となっている参道をまっすぐ歩くと、やがてこんもりした林が見えてきます。周囲が住宅密集地であるだけに、この林は島みたいに見えます。
ここが、木嶋神社(通称、蚕ノ社)です。

kaiko05.jpg

人々の信仰を集めていると聞いていましたが、実際、通りを行く人たちが深々と頭を下げていきます。愛犬の若いシバイヌを連れた初老のおじさんは、15分ほどずっと手を合わせ続けていました。主人が手を合わせている間、愛犬はそばでじっとしていて、主人が離していたリードを手にした瞬間、はしゃぎながら主人を引っ張っていきました。
鳥居をくぐり、右手に蚕養神社を見て、小ぶりな本殿を参拝した後、その左側に、目指す三柱鳥居はありました。

kaiko06.jpg

kaiko07.jpg

林に囲まれた池の奥に建つ三本鳥居。向島の三囲神社よりも、ミステリアスに見えます。
ここで、境内に書かれている木嶋神社の由緒書きを読んでみましょう(ちょっと長いですが)。まず京都市教育委員会が立てたプレートから。

由緒
木嶋座天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社(かいこのやしろ)
 この神社は、通称「木嶋神社」または「蚕ノ社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命、大国魂神、穂々出見神、鵜茅不合命を祀っている。
『続日本紀』大宝元年(701年)4月3日の条に、神社名が書かれているから、それ以前に祭祀されたことがわかる古社である。
 この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶、養蚕、機織などすぐれた技術を持っていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社(東本殿)があり、「蚕ノ社」もそれにちなんだ名前である。
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが、平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」などの文献からうかがい知ることができる。
 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取り囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には、四季湧水する「元糾の池」という神池があり、天保2年(1831年)に再興された京都三鳥居のひとつとされる石製三柱鳥居が建つ。
 例祭は毎年10月10日に行われるが、夏の土曜丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
 市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧きも巨樹が繁茂して、古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものである。

なるほど。
それから、神社が立てた古い由緒書きを見てみましょう。
養蚕神社(蚕ノ社)本殿右側の社殿
雄略天皇の御代(1500年前)、秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織、呉織を召し秦氏の諸族とともに数多くの絹・綾を織り出し、「ウヅマサ」の姓を賜る。この地を太秦と称し、推古天皇の御代に至りその報恩と繁栄を祈るため、養蚕・織物・染色の祖神を勧請したのがこの社である。
元糾の池
境内に「元糾の池」と称する神池がある。嵯峨天皇の御代に下鴨(下賀茂)に遷してより「元糾」と言う。
糾すは「正しくなす」「誤りをなおす」の意味で、この神池は身滌(身に罪や穢のあるときに心身を浄める)の行場である。
三柱鳥居
全国唯一の鳥居である。鳥居を三つ組み合わせた形体で、中央の組石は本殿ご祭神の神座であり、宇宙の中心を表し、四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが、現在の鳥居は享保年間(約三百年前)に修復されたものである。
一説には景教(キリスト教の一派ネストル教、1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと言われている。

kaiko08.jpg

これが元糾の池です。かつては滾々と水が湧きだしていたに違いないですが、今は枯れ気味のようです。地元の人たちは何とか池の水を回復しようと試みているようですが、うまくいかないとか。

以下、「その3」に続く

スポンサーサイト

テーマ : 史跡巡り
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

で。。。?

 で、「その3」はどうなったのよ、ということですが、これが実に奥が深くて。。。
 大陸から渡来した秦氏の集団が日本の古代史において決定的な役割を果たしたことは間違いなく、その全容はとてもつかめないことでしょう。平安以後、歴史の最前線から消えた(ように見える)秦氏。その末裔は、のちに越後屋を興し、豪商に成り上がり、幕末以後の日本の資本主義化、近代化において決定的な役割を果たした。京都と江戸に伝わる三柱鳥居は、その時空を超えたメッセージが込められているのでしょうか。どんなメッセージが?。。。
 いずれにしろ、三柱鳥居についてはネット上でいろいろな方が自説を展開していますので、当面そちらをごらんいただくのがよろしいかと。

カテゴリー
プロフィール

fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

月別アーカイブ
ブログ検索
FC2カウンター
原発のない世の中へ!
【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
リンク
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。