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坂越-秦河勝が静かに眠る播州赤穂の港町

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坂越は室津と同様、廻船が寄港する海の要所でしたが、室津と違うのは、千種川を行きかう高瀬舟の発着所と接続していた点にあります。つまり、千種川の高瀬舟ネットワークと、瀬戸内海の大型廻船ネットワークをつなぐ役割をしていたのが坂越というわけです。坂越港と千種川の発着所までの約2kmほどの坂道は、坂越大坂と呼ばれ、内陸から海へ人と資材が移動する物流の大動脈でした。今は美しく保存された町並みを眺めるのみ。
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奥藤酒造は、西国大名のための本陣で、築300年。酒蔵は寛文(1661~1673)年間に建てられた、高さ2mの石造による半地下形式です。
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坂越大坂。ゆるやかな坂道を上ると、今度は下って、川沿いに出ます。ちょっとした峠です。川沿いには、高瀬舟の発着所跡が残されています。
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かつて銀行として使われていた建物。今は坂越町まち並み館になっており、中には銀行だった頃をしのばせる骨董品級の金庫が当時のまま残されています。資料によれば、大正末期に奥藤銀行坂越支店として使用が開始され、その後、兵和銀行、神戸銀行、赤佐信用金庫、はりま信用金庫(現在の兵庫信用金庫)と名前を変えてきたとのことで、平成6年まで現役の銀行だったことがにわかには信じられません。
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坂越港の表示が見えるポールの左側に、旧坂越浦会所があります。天保2-3年(1831-1832年)に建築され、行政や商業の事務をとるための会所として、また赤穂藩の茶屋として、使われていました。2階には藩主専用の部屋(観海楼)が設けられ、専用の寝室(落之間)があります。
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港に面した坂越の家は、津波に備えて1.5m位の高さに土盛りしており、町家特有の大ぶりな切妻が印象的。この先には、秦河勝を祭神とし、坂越のシンボル的な存在である「大避神社」があります。

■兵庫県赤穂市坂越■
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国道250号線を相生から播州赤穂に向かい、高取峠を越え、千種川に沿って走ると、じきに坂越方面への分岐がある。千種川を渡り、坂越トンネルをくぐると、そこはもう坂越港である。港には造成中の広い土地があり、駐車スペースには事欠かない。歴史的な町並みは坂越大坂沿いと海沿いに分布している。
大避神社の秋の祭礼は『坂越の船祭り』と呼ばれ、祭神である秦河勝が皇極天皇3年(644年)、生島に漂着したという伝説にちなんで行われる。坂越の対岸の生島には、住民により手厚く葬られた秦河勝の墓がある。大避神社の祭礼以外は立ち入ることができない聖域なのだ。秦河勝は聖徳太子の時代に大陸から大量に渡来した渡来人の頭で、土木技術、酒造、織物、雅楽などさまざまな技術を伝えたとされる。秦氏のルーツはユダヤ人という(珍)説もあり、日本古代史の壮大なミステリーを静かに伝えている。
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