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平福-宮本武蔵が13歳にして初決闘を行った地

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土蔵の連なりを橋から眺めるこのアングルは、もっとも平福らしさを味わえます。因幡街道は佐用川に沿っていて、船運も盛んで、家々の石積み擁壁には船から荷物を引き上げる階段がくりぬかれ、玄関よろしく戸が設けられています。
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因幡街道沿いに静かに転がる平福宿の街並み。白塗壁と板張りが続く街並みは、昔のままの姿をよく維持しています。川側から見た土蔵の街並みと対照的なのが面白いですね。いわば、2つの顔を持つ街並み、といったところ。敷地が街道と川の双方に面していて、どちらからでも出入りできたのでしょう。訪れたのが平日だったせいか、とにかく静かで、ほとんど人に出会いませんでした。
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街角に吊り下げられた大きな提灯が、旅人を迎え入れてくれます。
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近畿の駅100選にも名を連ねている、智頭急行平福駅。実にどっしりとした佇まい。単線のため平福駅で上り電車と下り電車の通過待合せがあります。駅舎にカメラを向けたら、停車中の車内の人が手を振ってくれました。のどか~。
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宮本武蔵の郷。いわば、武蔵のテーマパークのようなもの。「宮本武蔵の生家」は、火災により焼失し、昭和17年に建て帰られたものですが、大黒柱の位置は当時と変わらないとか。
「兵学の指南役として新免家に仕えていた父、無二斎が、その新免という姓を主家から許された、盛りの時代に立てた屋敷で、英田川の河原を下にした石築き土塀まわしの家構えは、郷土には過ぎたものであった」という吉川英治『宮本武蔵』の一節が掲げられています。屋敷の中には道場があり、ここで剣道の指南をしていたそうです。

以下、武蔵のことを資料からちょっと引用。
武蔵は天正12年(1584年)、父・平田無仁斎(むにさい)、母・於政(おまさ)の間に生まれましたが、間もなく生母と死別、無仁斎は利神(りかん)城城主の別所林政の娘、率子(よしこ)を後妻に迎えます。この義母に育てられた武蔵は、7歳のとき父と死別、母・率子は平福に帰り、田住政久の後妻となりました。幼少の武蔵は母恋しさのあまり、しばしば義母のいる平福を訪ねます。9歳のとき正蓮庵の僧・道林坊に預けられ、その訓育を受けます。道林坊の弟・長九郎により剣を習うや、その力は著しく伸張します。
武蔵13歳のとき、運命的な初決闘が、ここ平福のはずれ金倉橋のたもとで行われました。新当流の達人・有馬喜兵衛なる兵法者の、決闘を誘う挑発的な高札に応じて、木刀で対峙するや、一刀のもとに喜兵衛を打ち倒し、いずこともなく去っていきました。出奔の一説には、佐用郡一の古社・佐用都比ツメ神社に参篭、武運を祈願の後、諸国修行に旅立ったとされています。

■兵庫県佐用郡佐用町平福■
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兵庫県赤穂市から、国道373号線をひたすら北上する。途中、中国自動車道の佐用I.C.を通り、並行して、佐用川が流れ、智頭鉄道が走っている。智頭急行は、東海道線の上郡駅から、因美線の智頭までを結ぶ第三セクター路線で、京都から倉吉まで特急「スーパーはくと」が走っているここ平福は幼少の宮本武蔵が初めて決闘を行った地で、宿の外れには、その石碑も建っている。平福から北上すると宮本武蔵の郷があり、生家が残されており、智頭鉄道の宮本武蔵駅があり、武蔵ファンにとっての聖地
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