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大津波の爪痕を旅して その5 陸前高田

大船渡を後にし、国道45号線を陸前高田に向けて南下します。
もうすぐ海に出るかという時、突然、すごい光景が姿を現しました。

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橋梁の橋台だけを残して、すべて流されてしまっています。近くで見ると、あたかも巨大なオブジェのように見えます。どれほど巨大なパワーだったのでしょうか。思わずぞっとします。
橋脚自体はしっかりしているようなので、いずれまた橋梁を架ける予定になっているのかもしれません。
それとも、単に手が付けられずに放置されているのか。。。

海岸部に入ると、想像もできない光景が広がっていました。
私個人としては、陸前高田に走るのは初めてなのですが、ボラに行った方からは、陸前高田と南三陸は町全体が消失してしまって、とにかく大変な状況だと聞かされてはいました。まさに、その言葉の通りでした。

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海のすぐそばにあった高田松原球場です。地盤が激しく沈み、多くの海水が排水されずに残り、池のようになっています。照明塔やダグアウトなど、ここが野球場であった痕跡がわずかに残されていますが、もう壊滅状態です。かつてはここで社会人の草野球や子供たちの野球大会などが開かれていたのでしょう。
何とも痛ましい光景です。

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堤防が破壊されたのでしょう、大きな石を積み上げた仮設の堤防が建設され、クルマが通れるようにかさ上げされた道路が作られています。海側では構造物が海中にひっくりかえっています。

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海岸に立つ「キャピタルホテル1000」です。
おそらく陸前高田を代表するデラックスホテルだったはずですが、低層部は激しく損傷を受けています。
近く解体工事が始まるようです。今年8月、内陸部にホテルを再建する計画がまとまった模様です。

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ホテルのエントランス部分はめちゃくちゃに破壊されています。
ガレキだけは片づけたのでしょうが、内部は手つかずの状態です。

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見たこともない被害写真です。
鉄筋コンクリートの壁がはらむようにして変形しています。
この壁を抜けようとする津波の圧力に耐えて踏ん張った結果なのでしょうか。

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エントランスの円柱は仕上材がかぶりコンクリートもろともはがされ、鉄筋がむき出しになっています。
2段に積まれた大型土のうから、地盤の沈下が激しいことがわかります。

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岩手県立高田病院です。震災時は、この病院の4階まで津波が押し寄せ、多くの患者さんや医療関係者が亡くなりました。

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陸前高田駅です。大船渡駅と同じような状況ですが、大船渡駅ではまだ錆びたレールが残されていました。陸前高田駅ではレールが撤去され、まるで廃線跡のようです。ここ陸前高田駅のホームを舞台として、震災報道番組の中継がされたこともありました。今はひっそりと静まりかえっています。

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決して田んぼでも池でもありません。かつて建物が建っていたのです。遠くに見えるのがキャピタルホテルです。
ガレキが片付いたことで、あたかも原野のような光景が広がっています。

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スーパー「マイヤ」です。

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市民会館です。不自然な壊れ方をしているのは、解体作業中だからでしょうか。

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市役所です。
震災当時のままです。エントランスには祭壇が設けられ、多くの見学者が手を合わせ、線香を手向けていきます。
まだ手つかずの状態で、中にはクルマの残骸が震災当日そのままの形で残されています。

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陸前高田の市街を見渡せる国道45号線の跨線橋の上から撮ったものです。
遠くにかすかに見えているのが、わずかに残されたマイヤ、市役所、市民会館、高田病院などです。
その周囲は、本当に何もなくなってしまっています。
これには言葉を失いました。

「陸前高田は町全体がなくなってしまった」という言葉の意味を初めて思い知らされました。
街が平野部に広がっていたため、それだけ津波被害が大きかったということでしょう。

考えてみれば、あの震災から、まだ1年8か月しか経っていないのです。
思えば、これだけの短期間で、これだけの広大な面積に広がっていたガレキを、よくここまで撤去したものだと感嘆します。関係各位のご努力には本当に頭が下がります。
昨年は、「復興に向けて、まずはガレキ撤去だ」ということで、人々はガレキ撤去を当面の目標として掲げ、がんばってきました。
でも、ガレキ撤去の次にあるべき「復興」に向けた予兆が、この光景からは見えてきません。

大船渡ではすぐ近くに高台があり、高台の仮設住宅から出勤したり高台に代替地を求めたりが可能です。
しかし、陸前高田の場合、かなり奥まで入らないと仮設住宅の用地や代替地が見つからないのでしょう。

もちろん先を急ぐ必要はないし、数十年先を見越した都市計画のマスタープランを練って物事をマクロ的に進めていくという視点は重要です。ただ、地域に根ざした生活者の立場で、コンビニや仮設スーパーの一軒でもあれば、気持ちも多少は違うのではないか、とは思いました。
もっとも、何を言ったって、通りすがりの傍観者の戯れ言にすぎないのですが。

何とも複雑な思いを胸に、これから気仙沼に向かいます(以下、気仙沼編に続く)
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テーマ : 旅先での風景
ジャンル : 旅行

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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