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再び、政権交代の風景?

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2009年8月の衝撃的な政権交代から3年。

これほど、さらに輪をかけて衝撃的な「再交代」がやってくるとは想像もできなかった。

当時、自分がどんなことを書いていたか。

今、読み返すと、結局だまされた自分がアホだったのか、と思いたくもなる。

小選挙区制には根本的な問題がある、二大政党制は日本には向いていないのではないか、などなど。
いろいろなことが頭をよぎる。
が、そんなことを論じる前に、今回の事態はすべて民主党自身が招いた『身から出た錆』に他ならないという悲しい現実。

結果、大所帯となった民主党はいとももろくも崩壊し、雨後のタケノコのように変な政党がいくつもできた。
太陽の何とかみたいに、数日で消えた政党もあった。
離合集散も、ここまで来ると喜劇である。
演じている人たちは必死だったんだろうけど。

もう何が何だか、わけがわからない。

原発とかTPPとか、個別の政策単位で、意見が一致しないからってんで、いちいち政党を作っていたら、政党はいくつあっても足りなくなる。
有権者を右往左往させるだけである。

かくして、雨後のタケノコは、当然の結末として、ほとんど踏みつぶされてしまった。


ところで。

今回の選挙で、数年前のベストセラー本「選択の科学」を思い出した。
コロンビア大学ビジネススクールで教える盲目のインド人の女性科学者、シーナ・アイエンガー女史の熱血講義をまとめたものである。NHKでも放映されていたので、多くの方が感銘を受けたのではないかと思う。

うろ覚えで申し訳ないが、

●選択肢は多いほどいいとは限らない。むしろ少ないほうが適切な選択ができる。
●選択の自由は精神的、感情的な代償を伴うことが多い。時には、他人に選択を委ねたほうが幸せになれる時もある。
●人生は運と偶然と選択によって決まる。

簡単に言えば、このような内容だったと思う。


自由とは、選択する自由である、とも言える。

封建時代には職業も結婚相手も住む場所も、自ら選ぶことはできなかった。
現代だって、国家から軍隊に入れと命令されれば、国民は嫌とは言えない(アジアの東端の平和ボケ島国は例外として)。国民には、軍隊に行くか行かないかの選択の権利はない。

それから、学生時代に読んだ、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」も。
自由には、「~からの自由」と「~する自由」がある。
受動的立場から解放される自由と、能動的に何かをなしとげる自由、とでも言えばいいのだろうか。

何かにがんじがらめにされているときは、一刻も早く解放されたいと願う。
しかし、いざ解放されてみると、かえって心理的に不安定になり、落ち着かなくなる。
今までは命令に従うだけでよかったのに、今度はすべて自分で考えて決めなければいけない。
しかも、自分で考えた決定には、自分自身で責任を負わなければいけない。
かえって、何かにがんじがらめになっているほうが、自ら考えなくていいし、責任を負わなくていいし、楽でいいんじゃないか。
かくして、近代市民社会の最大の象徴ともいえる「自由」を自ら放棄し、長い物に巻かれろ的な感覚で、がんじがらめの藪の中に自ら戻っていく。。。

私たちは自分の人生にどれだけ自己決定感を持っているだろうか。

私は人生のすべてを自分で考えて決めてきたと言う人もいるかもしれないけど、実際、多くの選択は直接間接に、多かれ少なかれ(て言うか、おそらくほとんどの選択は)、周囲の環境に依存してなされているのではないだろうか。



さて、日本における民主主義とは、現実的には、自らの一票で、政党を選ぶ自由である。
今回の選挙では、5人に2人は、この自由を行使しなかった。

自らの意思で、責任を伴うべき自由を放棄したのだろうか。
それとも、単にどうでもよかったのだろうか。


『選択肢は多ければ多いほどよいとは限らない。むしろ、多すぎる選択肢は、正しい選択から逃避する行動を導きやすい』

結果だけ見れば、アイエンガー先生の言う通りになった、と言えないだろうか。

今回、自民党に投票した人たちは、どういう心理だったのだろう。
よ~く分析しなければいけない。

単純に、民主党の欠陥がすべて、自民党支持に裏返っただけなのかもしれない。

今回の結末に、「自分の1票が政治を変えた」という自己決定感がどれほど感じられただろう。
少なくとも2009年の政権交代のときには、そういう実感を多少なりとも感じられたと思う。
ま、それも今にして思えば、政権交代をあおるメディアに踊らされていただけだ、と総括できるかもしれないけれど。

安部ちゃん自ら言ってたように、敵失で票を余分にもらっただけにすぎない。自民党という政党に対する支持率は決して高くない。
不甲斐ない民主にも、よくわからない第三極にも抵抗感を持つ人は、消去法で、自民党に投票するか、白票を投じるしかなかった。

見た目の選択肢は多くても、実質的な選択肢は非常に狭かった。

かく言う私も、自由民主党に投票してきた一人である。

どうでもいい選択肢を増やすことは、かえって、本命とされる選択肢に人々の選択を集中させやすい

ということなのかもしれない。



ところで、自民党のホームページを見てみると、イメージカラーが赤一色である。
これでもかというくらい、赤一色なのである。

この赤には、いろいろな意味があろうが、おそらく日の丸の赤に違いない。

minnade.jpg

隣国の口うるさい連中が見たら何を言うか知らないが、日の丸は、個人的には好きである。

白地に赤丸。

こんなに純粋で飾り気のない国旗は、世界中どこを探してもないだろう。

日本という国のすべてが、ここに集約されていると感じる。


人々の選択の過程がどうだったにせよ、日本は新しい道を歩み始めることになった。

選択には責任が伴う

ということを、一人ひとりがかみしめなきゃいけない。

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