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永遠なる昭和の風景



1963年当時の東京の日常風景を記録したフィルムをyoutubeで見つけました。

1963年と言えば、私が1歳のときの風景です。
思わず引き込まれるように見ました。

当時、カラーフィルムはまだ珍しかったはずです。
実家のアルバムに残されている写真も、当時はモノクロばかり。
父が祖父から譲ってもらった二眼レフのハッセルブラッドで撮った大判の写真。
当時若かった両親や親戚の人たちが、生き生きと映っています。

カラーが出てきたのは、小学校にあがったあと。
しかも、今ほど美しい画質ではなく、大きさも小さくて。

もちろん、赤ん坊のころの記憶は何も残っていないけれど、印象に残っているのは、やはりあの大判写真。
色彩という要素を捨てているのに、あのダイナミックな質感はなんだろう。
モノクロ写真には、カラー写真にはない不可思議な魔力がある、としか言いようがないですね。

でも、まあ、それはそれ。

この動画を見ると、やはり、カラーでなければ感じられない部分がある。

それは、モノクロゆえに、過剰にイマジネーションが働いてしまう部分を修正してくれること。

今の若い人はわからないけど、ぼくたちの年代は、過去の記憶がモノクローム的に存在している。
それは、当時の写真がモノクロームだったことと無縁ではない。
過去の記憶はどんどん薄れていくけど、薄れてはいっても、骨格として残る部分はある。
ディテールの部分が次第にぼやけてはいくけど、全体の構成は崩れない。
印象に残る記憶とは、そういうもの。
逆に、色彩という要素を捨て去ることで、記憶の骨格がより強化されるのかもしれない。

だから、過去の情景を思い起こすとき、記憶の中で骨格に色を付けてディテールを再現していく。
それがイマジネーションというわけで。

要するに、モノクロ写真は、見る側がイマジネーションを掻き立てることを前提としている。
イマジネーションをあまりに駆使してしまうと、本来とは違った、過剰な情景をつくりだしてしまうリスクもある。

だけど、この動画を見ると、
「なんだ、意外に普通だったんだな」
と、妙に納得させられる部分もある。

昭和の時代の、ごく普通の家族の日常生活。

なぜか、ほっとする。

それにしても。
敗戦からまだ20年もたっていないのに、これだけの社会を築いていた日本人。
すごすぎます。
彼らの後輩の一人として、純粋に、彼らを尊敬します。

これから何があろうと、この国は大丈夫さ、きっと。
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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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