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舟を編む

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以前、このブログで「森崎書店の日々」という映画を紹介したことがあります。
神保町の古本屋を舞台にした、地味なマイナー映画だったれど、実に濃密な時間と空間が描かれていました。

たとえば、こんな記述。

~この町は、本と同じ。
開く前は静かだけど、ページを開いた瞬間、そこにはとてつもない世界が広がっている。
そして、読み終わえれば、もとの静けさに戻ってしまう。~

「書物」を題材にした映画は、おのずと、書物ならではの濃密さが自然と醸し出されてくるのかもしれません。

さて、この「舟を編む」という映画、気になっていたのですが、なかなか見る機会に恵まれず、このお盆休みにツタヤで借りて、やっと見ることができました。

大きな出版社の中にあって、陽の当たらない「辞書編集部」を舞台にした映画です。
「大渡海」という新しい辞書の編集にすべてを注ぐ人たちの物語が、静かに展開していきます。。
最初は変人の集まりだった編集部員が、次第に気持ちをひとつにしていく。

最初からぐいぐい引き込まれて、あっという間に終わってしまいました。
実によくできた映画だと思います。
演技派の俳優さんを揃えた配役も的確で、個性あふれる登場人物それぞれに明確な役割があり、みな存分に存在感を発揮しています。
三浦しをんさんの原作を読んでみたくなりました。

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ところで、映画で描かれているように、辞書の編集は半端な気持ちではつとまりません。
企画されてから世に出るまで10年20年は当たり前、この映画でも、発案者の「先生」は辞書がやっとのことで出来上がる少し前に、ガンで他界してしまいます。

辞書には「間違い」は許されません。辞書が間違えれば、誤った言葉を世に広めてしまいます。
当然、辞書の原稿は、何度でも何度でも読み返し、この映画でも「五校」まで行っています。
ちなみに、五校というのは、「校正を初校に始まり二校、三校、四校、五校と、計5回出す」ということです。
1000ページを超える辞書ですから、本当に大変な作業です。

私は学生時代、出版社でバイトしてたことがありますが、その出版社の辞書編集担当の方が、自殺してしまったことがあります。
何度修正しても、また修正、また修正、また修正、の繰り返し。
そのたびにレイアウトは崩れ、延々と組版作業の変更が必要になります。
しかも、当時はまだオフセット印刷で、現在のDTPのようにパパっと簡単にはできない時代でした。今の若い人はオフセット印刷なんて知らないと思いますが、「版下」を切り張りする、実に面倒くさい作業でした。少し古めの本で、1行だけ微妙に曲がってたりとか、1文字だけ違うフォントが入ってたりとか、たまにありますよね。

それに、世に出たら出たで、「この言葉の解釈は誤っている」とか「こんな用例は正しくない」とか「今すぐ改訂版を出して修正しろ」とか、いろいろな批判が寄せられて、本当に報われない仕事だと思いますね。批判されることはあっても、「いい仕事をしましたね」とほめられることはほとんどないに等しいのではないでしょうか。

そんなわけで、この映画、辞書作りの現場をどのように描いているのか、見るまではちょっと怖い気もしていました。
でも、そういう辞書の怖さをきちんと描きつつ、それに正面から立ち向かう姿を見せてくれて、いやあ胸がスカッとした気持ちです。
読者に対して「批判があるならどんどん言って来い」みたいな、強い自信が感じられました。
ひとつの仕事を「やり切る」とは、こういうことなのかもしれません。

主人公の口下手な変人「馬締くん」が少しずつだけど男らしく、かっこよくなっていき、しかも、最後の最後まで変人のままだったのが印象的でした。

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それと、いまさらながら、コミュニケーションとは何か、を考えさせられる映画でした。
言葉がなければコミュニケーションは成立しません。
しかし、この言葉ってやつが実に不正確でいい加減で。
映画でもキーワードみたいに出てきますが、「右」とは何か、を説明できるか、と問われて、きちんと説明できる人はいません。
でも、辞書では「右」の説明をしなければなりません。
悩んだ末に、「10という数字の0の部分、という説明はどうでしょう」という先生の意見にうなづくスタッフたち。
言葉を説明するには別の言葉で、そしてその言葉も別の言葉で…ということで、堂々巡りになってしまいます。
でも、私たちはその言葉を使って日々コミュニケーションをするしかありません。

では、仮に、「100%完璧な言語」があったと仮定して、それならコミュニケーションは100%になるか、といえば、決してそうではないですね。
言葉はコミュニケーションの補完手段に過ぎない、ということなのでしょう。

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言葉では決して伝えられないもの、それが一番大切。
その「一番大切なもの」があるからこそ、言葉が生きてくる。
一番大切なことは、言葉では決して伝えられない。
みっちゃん(馬締くん)と、板前の香具也さん(奥さん)のぎごちないやり取りに、それが如実に現れていたように思います。

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テーマ : 日本映画
ジャンル : 映画

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