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松江-武家屋敷が並ぶ小泉八雲ゆかりの城下町

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松江といえばこの人、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。松江城のお堀脇には、小泉八雲記念館があります。
1850年、ギリシャ生まれ。アイルランド人の父とギリシャ人の母を持ち、2歳のときにアイルランドのダブリンに移り、イングランドの神学校で学ぶ。10代は両親の離婚、左目の失明、父の病死、養育してくれた大叔母の破産など不幸のオンパレードで、19歳でアメリカに渡り、24歳で新聞記者になった。日本に来たのはずっと後で、39歳のときだった。当初は新聞記者として来日したが、縁あって松江の師範学校や尋常中学校で英語を教えるうちに松江の地がたいそう気に入り、武家の娘であるセツと結婚までしたが、冬の寒さに耐えられず、九州の熊本に居を移した。明治37年、狭心症にて逝去。享年54歳。
意外なことに、彼が松江にいたのは、1年と3か月に過ぎなかったのですね。記念館は、原設計は山口蚊象による洋風建築でしたが、昭和59年、武家屋敷群に合わせて和風に改築されました。
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松江城のお堀の周囲に位置する「塩見縄手」の武家屋敷群。城下町では、縄のように一筋に伸びた道のことを縄手と呼ぶそうですが、この塩見縄手は、初代出雲藩主の堀尾吉晴が1607年(慶長12年)に松江城を築城する際、城地の亀田山と北側の赤山を掘削し、内堀と並行するように道を通し、武家屋敷を配したものです。
200石から600石程度の中級武士が入れ替わり住んでいました。広さはだいたい70坪で、式台玄関から座敷に至るパブリック部分と、裏側のプライベート部分を峻別するあたりは、武家屋敷特有のプランです。長屋門と塀をつないだ下見板張りの連続が美しいです。
ちなみに、この界隈に住む中級官僚だった塩見小兵衛が異例の出世をしたことから、後に塩見縄手と呼ばれるようになったとか。

■島根県松江市■
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宍道湖と中海の間に挟まれた、言わずと知れた島根県の県庁所在地。新大橋が北側と南側を隔てており、国道9号線や山陰本線は南側を走っている。空路だと出雲空港でも米子空港でもアプローチでき、JALなら出雲空港、全日空なら米子空港。米子空港は軍用空港が併設され、中海の真ん中を横切る県道338号線は、まさに快感である。
松江城のある城山公園は新大橋の北側にあり、周辺は落ち着いた城下町の佇まいを今に伝えている。船でお堀を一周する「堀川めぐり」は水郷情緒があってよい。
「八雲立つ風土記の丘」や「玉造温泉」が近い。宍道湖の西側にある「平田」には伝統的な街並みが残っている。出雲大社に行った折には、ぜひ立ち寄りたい(一畑電鉄北松江線が通っている)。
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