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北関東・東北地方大水害に想うこと

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写真:「真実を探すブログ」より転載


9月10日に鬼怒川の堤防が決壊して、常総市一帯が広く浸水し、甚大な被害が出ています。
被災された方におかれましては、心よりお見舞を申し上げると同時に、一日も早く元の生活を取り戻されることを祈念してやみません。

さて、各社のテレビ報道を見ていて、いろいろなことを感じました。
まず、常総市が鬼怒川に面した一部地区に避難指示を出さなかったから、こういう事態を招いたではないか、という論調の一部マスコミには、大きな違和感を覚えました。これは天災ではなく人災だ、みたいなことを言いたいのでしょうか。
大島での土砂災害の時も、避難指示を出さなかった町長さんを吊し上げるような光景が見られました。
結果論の「たら、れば、」なら誰でも言えることです。マスコミのレベルが下がったな、というか、物事の表面しか見ていないな、と思います。

市町村には、防災のプロはいない、と思ったほうがいいでしょう。
気象庁や県から随時寄せられる情報、市民の方から寄せられる電話やツイッター情報をリアルタイムで的確に処理し、完璧なタイミングで避難指示をだし、犠牲者をゼロにできる市町村など、そもそも存在すると考えるほうが頭がおかしい。いつ、どこで堤防が越水するから、決壊までの時間、避難に要する時間を考えて、このタイミングで避難指示を出す、なんてことは、預言者でもない限り不可能なわけです。それに、降雨や路面の状況によっては、やたらと避難指示を出せば、かえって危険である、という判断も当然成り立ちます。
大自然が相手ですからね。何が正しい判断かなんて、誰にもわからない。
誰かを悪者にしようとする報道の仕方は、本当にやめてほしい。もっと広い視野から考えて報道してほしいと思う。

ひるがえって、住人の立場から考えた場合、あれだけの切羽詰まった状況にあって、「逃げるか、とどまるか」という自らの命をつなぐための究極の判断を、他者からの指示だけに委ねるなんて、どう考えても楽観的すぎるのではないでしょうか。
たとえは不適切かもしれませんが、韓国のセウォル号の時も、「船室の中にとどまってください」とアナウンスしていたけれど、結果的には、甲板まで脱出するのが正しい判断でした。
自分自身では判断できないし、決断できないから、役所の指示を待つというのは、理解できないわけではありません。子供やお年寄りを抱え、自分だけでは行動できない事情もよくわかります。
ただ、やはり、こういう非常事態には、自分の身は自分で守る、役所の指示をあまり当てにしすぎてはいけない、ということをもう一度、わきまえるべきではないでしょうか。

常総市は、鬼怒川と小貝川にはさまれ、標高も周囲より低く、水害が生じやすい地形的条件を備えていました。
国土交通省の浸水シミュレーションでも、市の全域がほぼ水没する想定になっていました。
今回の浸水被害と、見事に一致しています。
だけど、危険な地域に住んでいると自覚されていた方は、一体どれほどおられたのか。

東京都のOBで、河川行政の専門家である土屋信行氏が著した「首都水没」(文芸春秋社刊、平成26年)に、興味深い話が紹介されています。

今の江戸川区や荒川区、足立区など、かつての荒川放水路の東側の地域(東京東部低地)は、もともと湿地帯で昔から水害が生じやすく、舟を使った生活が日常に根づいていて、家の造りも水害を想定したものになっていたそうです。
母屋は1~2mくらい土を盛った上に建てて、水没しないようにし、それでもいざという時は、大切な仏壇を「滑車」で2階に吊り上げられるような仕組みにしていたというから、驚きです。そして、蔵は母屋よりさらに土盛りし、大切な米や味噌、醤油などを運び込んでいました。

土屋さんがあるお宅を訪問したところ、柱に一定の高さで「ほぞ穴」が掘られているのに気付きました。そのお宅に何度も通った結果、洪水の危険が迫った時に、床板を外して「高床式」にするのだ、ということを教えてもらったそうです。つまり、ほぞの位置に桁を架けて、床板を高い位置に並べて中二階のような形にし、畳を上げておけば、床上浸水しても畳は濡らさずに済みます。思うに、高床式にすることで、家の中に入り込んでくる水を受け流し、建物が水圧で浮き上がるのを守る効果もあったのかもしれません。
また、これらのお宅には、大抵、納屋の軒先に小舟が1~2台、吊り下げられていたそうです。

これは、決して東南アジアのベトナムやタイの伝統住居の話ではなく、昭和初期までの東京東部低地では普通にあったことです。
何度も何度も水害にあった地域にあって、昔から、水と付き合うために受け継がれてきた知恵だったのでしょう。

今は、水害というものの怖さを忘れてしまっていたのかもしれません。
もし堤防が決壊して浸水したら、どうやって家を守るか、という知恵や工夫がなされた家は、映像を見ている限り、残念ながらないように思えてしまいます。
今回、決壊した堤防のすぐそばに建っていた白いへーベルハウスが倒壊したり流されたりしなかったのは、鉄骨フレームの強度、外装材の耐水圧強度が高かったことと、鉄骨の地盤補強杭が洗掘に耐えたためでしょうか。ただ、昔のことを考えれば、土地をもっと盛土し、基礎も高くしておくべきだったかもしれないし、あれだけ堤防に近いことを考えれば、洗掘対策ももっと考えておくべきだったかもしれません。
バリアフリーや利便性、コストを考えると二律背反で難しいですが、どちらを優先するかを考えれば、50年100年に1度の洪水よりは日常の利便性が優先されるは仕方がないのかもしれないですね。

ちなみに、この「首都水没」には、大都市東京がいかに水害に弱いかがリアルに描かれていて、これを読むと、毎日東京に出勤するのが恐ろしくなります。

堤防を絶対と考えてはいけないことは、私たちは3.11の教訓として学んだはず。
ただ、堤防は崩れるという前提でものを考えた場合、今までの常識は覆ってしまいます。

結局、自分を守るのは自分しかいない、そこにたどり着くしかいような気がします。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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