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新庄-がいせん桜の並木に溶け込む出雲街道の宿

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この新庄宿を彩るのは、何と言っても、この「がいせん桜」をおいてありません。宿のほぼ全区間、道の両側に一定ピッチで植えられています。花見の季節には、さぞかし絶景が見られ、家々の前では宴が盛り上がることでしょう。
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だいたい、人工的な並木というものは日光街道の杉並木に代表されるように、いわゆる一里塚のような意味で設けられることが多く、近代の日露戦争後のこととはいえ、このように宿場に桜並木を設けた事例は、全国的にも珍しいのではないでしょうか。開国間もない日本がロシアという大国との戦争に勝ち、さぞめでたかったのでしょうが、その記念が桜並木とは、なかなか粋なことをしますね。
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道の両側には堀割が設けられ、清らかなせせらぎが心地よく、見れば鯉の姿もちらほら。赤い石州瓦と深い軒先、桜並木とともに、新庄宿の美しい街並みを構成する3要素です。桜並木が作り出す光と影の紋様が美しい。
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雲州候本陣。松平出羽守は参勤交代の際、新庄宿のある御茶屋がお気に入りで、通行のたびに毎年昼休みをされました。この御茶屋は、1666年には松平家指定の御茶屋となり、1757年には本陣に格上げされて以後は、お茶だけでなく、宿泊もするようになったとか。

■岡山県真庭郡新庄村■
出雲街道きっての難所である四十曲峠を控えた宿場町で、江戸時代の最盛期には100軒の家々が軒を連ねていた。鳥取県の米子市から岡山県の津山市をつなぐ、国道181号線沿いの、鳥取県境の近くに位置している。 道の両側を彩る桜並木は、日露戦争勝利の記念に植えられたもので、その名も「がいせん桜」。新庄宿と日露戦争にどういう関わりがあるのか、定かではないが。
江戸時代に作られたという石造の堀割に清流が流れ、現在も生活用水として役立っている。このせせらぎは、平成8年、環境庁により「日本の音風景100選」にも選ばれている。想像するだけで、清らかな音が聞こえてきそう。
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テーマ : レトロを巡る旅
ジャンル : 旅行

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