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小鹿野-歌舞伎に彩られた絹の道

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小鹿野の街並みは、秩父から志賀坂峠を越えて群馬、長野に通じる街道筋にありま。今でこそ、秩父の外れの山間の町でしかないですが、明治大正の頃は、絹織物を運ぶ重要なルートで、商業都市として大いに栄え、生糸売買の市も立っていました。戦争中の昭和19年2月、いわゆる小鹿野大火で多くの建物が消失してしまいましたが、それでも貴重な商家が残り、昔からの街並みを維持しています。
全体に平入が多い中で、写真(右)の妻入の建物は本陣「寿旅館」。
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小鹿野や秩父は江戸時代から歌舞伎が盛んで、今もその伝統が町全体に息づいています。住民すべてが役者と言っても大げさではなく、小鹿野の住民である以上、歌舞伎と無関係に生きることは出来ないみたい。住民たちのアイデンティティであり、観光目当ての村おこしとは次元が違うようで。
歴史は古く、文化文政の頃、地元出身の坂東彦五郎が江戸で修行を重ねて帰郷し、若い衆に教えたことがきっかけとなって、本格的に演じられるようになりました。小鹿野は大和座、長瀞は和泉座が最盛期を作り、大正時代には、遠く群馬県まで、荷車を引いて上演に出かけていたそうです。
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小鹿野町観光情報館「夢鹿蔵(ゆめかぐら)」。もとは、1896年に建てられた旧埼玉銀行の蔵で、生糸と繭の保管庫として使われていました。2階に歌舞伎の衣装、蔓などが展示されています。小鹿野歌舞伎は、保存会が中心となって、子供から老人まで、実に多くの世代の人たちが参加しています。福島県の桧枝岐など、各地方に伝わる伝統歌舞伎の関係者が集う「全国地芝居サミット」も開かれています。
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常盤屋という屋号を掲げている、加藤家住宅。明治13年築の出桁形式の土蔵造りで、その豪壮さには圧倒されます。それというのも、外見は3階ですが、内部は4階になっており、2・3階は蚕の飼育に使われていました。見上げるような大きさで、当時の「絹バブル」ぶりがうかがえます。
現在は学習塾になっているらしく、玄関には中学生向けの数学のプリントが張られていました。無味乾燥な予備校でなく、こんな家で勉強できたら、古典の勉強とか、さぞ身が入ったでしょう。
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明治30年地築の商家。絹や繭を扱っていました。当時、交通手段は馬が主体だったので、商家の前には馬をつなぐために穴を開けた石が置かれ、鉄柵が設けられていました(駒繋処)。鉄柵は戦争中に軍に没収され、戦後に復元されたもの。
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村山酒店。明治15年創業の醤油屋で、家屋は両神村(現在は小鹿野町)の製糸商の家屋を買って移築したもので、戦後は酒屋に転業したのですが、今でも看板は「醤油商」となっています。創業者の思いを大切にしたかったのでしょうか。

■埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野■
秩父市から県道209号線を北上すると、やがて小鹿野市へ。バイパスに平行した旧道に、昔からの街並みが広がる。商店の看板や住宅の塀など、街中いたるところに歌舞伎のパネルが飾られている。町内には秩父十三仏霊場のいくつかがあり、巡礼者も見かける。また、神社を中心に常設の歌舞伎舞台が10もある。農民ロケットで知られる吉田には、県道37号線皆野両神荒川線で少し北にいく。国道299号線を進み、志賀坂峠を越えると群馬県、上野村には1986年の日航ジャンボ機遭難の慰霊碑があり、今も夏に慰霊登山が行われている。山梨県側に抜けるには、小鹿野から県道37号線で荒川村に出て、国道140号線に合流する。遭難の名所、和名倉山の脇を通り、長い雁坂トンネルを越えれば、そこは山梨県塩山市である。
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