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記憶のあいまいさ

風景とは全然関係ない話題。

人間の記憶ほどあいまいなものはないでしょう。
はっきりと覚えていると思っていることだって、細部を詰めていけばけっこうあやふやだったりする。かえって、早く忘れたい嫌なことほど、なかなか記憶が消えず、ディテールが明瞭によみがえってきて苦しめられることもある。まあ、そういうときは酒で誤魔化すしかないけれど。
覚えることと忘れることを、脳はどのように判断しているのだろう。昔から疑問だけれど、年齢とともに記憶容量が確実に落ちていく反面、記憶すべき事柄の量は反比例して増えていく以上、何を消去すべきかは、脳の健全性を保つ意味でとても重要なはず。

それから、記憶同士の順番が次第にずれてくる。30年前の出来事が20年前の出来事より最近のことのように思われたりする。もちろん逆もある。脳の中で、1年前、10年前、20年前。。。という「記憶の年齢」とも言うべき情報は、どのように構成されているのだろう。齢をとっても忘れられない記憶とは、何がそうさせているのだろう。

忘れないために文章を書く。その瞬間、それは外部の客観的な対象物に転化し、自分自身ではなくなってしまう。自分自身の言葉であっても、独立した存在として歩き始めてしまう。昔の日記を見て赤面するのは、たぶん、自分自身は絶えず変化しているのに、外部に排出された文章がそのままの形で残っているから。考えてみれば、日記なんて、心の排泄物みたいなもん。書いている一瞬に意味があるだけで、書き終わった瞬間、それはただの文字列に過ぎなくなる。読み返すなんてものじゃないわけだ。要するに、生の記憶は、文字を介さず、心の中に貯蔵していくしかない。酒の醸造と同様、月日がたてば、その味は変質していく。記憶自体も変化しているってこと。

記憶は共有できるか。記憶が共有できるなら、それは人類のDNAの中に何らかの形で書き込まれ、次代へと受け継がれていくのだろうか。

風景の記憶、という言葉が好き。人はみな、風景の記憶をDNAの中に持っているのではないだろろうか。


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テーマ : いま想うこと
ジャンル : 日記

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