スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

消え行く建築たち

CASA BRUTUSの最新号、必見です。
これから消えていく(であろう)建築を特集しています。
そのひとつに、中銀カプセルタワーがあります。

黒川紀章さんといえば、国立新美術館よりも、中銀カプセルタワーのほうが強烈な印象が残っています。銀座の片隅に、奇妙キテレツな建物があるのを知ったのは高校生の頃だったでしょうか。

nakagin01.jpg

首都高速に面した立地。全景を収めるのに苦労します。

nakagin02.jpg

見上げるとこんな感じ。鉄骨という樹木にPC製の鳥かごがくっついているイメージ。

nakagin03.jpg

カプセルの「プ」の字の○が取れてしまっています。なんか悲しい。

nakagin04.jpg

1階にカプセルが置いてあって、中が見える。狭くて窮屈そうだなあ。こんなところに住めるのか? 

どう贔屓目に見ても、未来の住宅などというイマジネーションは沸いてこなかったけれど、メタボリズムというシステムが革新的だったのであって、デザインとしては裸の木に巣箱をたくさんくくり付けた様な印象だった。でもって、なぜ印象に残ったのかを考えてみると、多くの建築が「美」を考えて作られるのに対して、純粋に機能やシステムを追及した結果として生成されたデザインであるから、でしょうか。機能のあいまいさをデザインで誤魔化すのではなく、純粋機能主義がひとつのデザインとして成立するということを感じたわけです、たぶん。それか瀬取り壊されるというのは、アスベスト云々いうのは抜きにして、
単に「古くなったから」ということだけでしょう。建築が取り壊されるのに、それ以上の理由は必要ありません。新しく建てられる建築物が、取り壊される建築物より価値が高まった事例というのも、あまり聞かないような気がします。そういう国なのですね、日本は。

それから、上野の不忍池のほとりで、12年間にわたり、不釣合いな姿をさらし続けてきた「ソフィテル東京」。菊竹センセイ、米子の東光園と違い、こちらは明らかに失敗作だったように感じるのはなぜでしょうか。

sofiteltokyo.jpg
取り壊されるソフィテル東京

kaike01.jpg
米子の東光園

ソフィテルって、中銀とデザインが似ているような感じもしないでもないですが、取り壊しが決まり、逆に何となくほっとするというのも、不思議な感覚です。風景論からアプローチできるのか、難しいですが。

建築の取り壊しとは、言って見れば、建築に対する『死刑判決』です。被告人でもないのに、一方的に死刑を命じられ、控訴も上告も出来ないというのは、理不尽なことこの上ありません。せめて、『法廷』の場で客観的に評価が下される条件下であってほしいと願う。しかし、所詮は私的所有権の対象でしかない建築物。風景の基本要素である建築の運命は、所有権者のフィロソフィーや気まぐれ、そして懐具合であっさり決まってしまうのですね。

ただし、中銀を残せば世界遺産になるというのは、いくらなんでもなーという気がする。確かにメタボは日本独自の運動でしたが、メタボというシステム自体は、変化し続ける時代に対応して、新しい形で生き残っていけるわけで、システムを具現化した結果に過ぎない中銀をあえて残さなければならない、という理屈にはならないのでは?

壊される前に、カメラをもって写真を撮りに行こう。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリー
プロフィール

fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

月別アーカイブ
ブログ検索
FC2カウンター
原発のない世の中へ!
【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
リンク
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。