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大内宿-かつての姿に蘇った会津西街道の茅葺集落

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大内が宿場として整備されたのは、江戸時代の初期。日光の今市から会津若松を結ぶ会津西街道の一部として、倉内-大内-関山と結ぶ峠越えの道の宿場として、大名の参勤交代のための本陣も構えるなど、半農半宿の集落として大いに栄えていました。
街道を往来する荷物は、宿場ごとに荷を馬に付け替えるため、馬と人足の手配は問屋本陣の重要な仕事であったそうです。馬に荷を付け替えるスペースを確保するために、壁面線が前面道路から5mくらい後退しています。

その後、明治17年、山形・新潟・栃木に通じる「三方道路」(今の国道121号線もその一部)が開通し、宿駅として駄賃稼ぎができなくなり、宿としての機能は一気に衰退してしまいました。山あいに田を開墾し、炭焼きをし、雪深い冬場には出稼ぎに行く生活を余儀なくされ、次第に表舞台から取り残されてきました。

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茅葺屋根の状態は非常によく、昭和56年、重要伝統的建築物群保存地区に指定されたのを契機に、この見事な茅葺屋根が復活しました。なだらかな斜面に沿って一定勾配の茅葺屋根が並ぶ姿は、山々が連なる稜線とシンクロしています。
側溝で野菜を洗っていたおばちゃんにカメラを向けると、「おら、モデルさなっちまっただー」とゲラゲラ笑う。自分もきっと、観光バスで押し寄せるツアー客の一員と思われているのかと思うと、気持ちは複雑です。純粋に民家として使われている家もあるのを知ってか知らずか、庭先に平気で立ち入る観光客。見ていて、ちょっと。。。
これら現実の姿を目にすると、歴史に翻弄され続けた大内宿の姿が重なり合ってしまいます。できるなら、人がいない静かなときに訪れたいものですね。
 
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昭和50年代の大内宿。茅葺が鋼板葺に葺き替わっていく状況がわかりますね(写真:日本放送文化協会刊「歴史の町なみ 北海道・東北篇」昭和55年 所収

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昭和42年の大内宿。昭和44年にNHKの特別番組で取り上げられ、全国的にその存在が知られるようになる前の姿です。ほとんど手付かずのまま、昔の宿場の姿が残されていたんですね(写真:日本放送文化協会刊「歴史の町なみ 北海道・東北篇」昭和55年 所収)。その後、女性誌などでも取り上げられて、若い女性たちが訪れるようになりました。

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■福島県南会津郡下郷町大内■
戦後になっても昔ながらの生活が続いていたが、昭和30年代半ばから耕運機が普及し始めて、かつて100頭あまりいた馬は激減し、生活が少しずつ変化していく。昭和50年代に入ると、大内ダム工事の補償として水田基盤整備が行われるとともに、鋼板葺が増えていく。昭和56年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことで、鋼板葺はかつての茅葺に戻され、大内宿はかつての姿を取り戻すことになった。かつての半農半宿の集落は、道路整備とモータリゼーションの恩恵を受け、ツーリズムによる劇的な変貌を遂げた。

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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