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上野-寛永寺界隈に広がる甍と土塀 その1

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200年の歴史を持つ由緒ある銭湯「柏湯」を用途変更し、1993年にオープンしたギャラリースペース「SCAI THE BATHHOUSE」。外環は銭湯の時とさほど変わりませんが、銭湯ならではの「大空間」を生かし、コンクリートの床に白い壁面のニュートラルな空間が広がり、高い天井から自然光が差し込んでいます。銭湯のもつコミュニケーション機能を現代美術鑑賞の場に転化するという発想がニクイ。

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谷中の風景。上野桜木から一歩寺町に入ると、都心とは思えない光景が広がっています。左側は「大雄寺」入口で、高橋泥舟の墓があります。高橋泥舟とは、名臣として誉れ高い幕末の三舟の一人で、山岡鉄舟の義理の兄。山岡鉄舟、勝海舟と異なり、維新後も水戸に退去した徳川慶喜に仕え続けたのだとか。

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野桜木の交差点に立つ、下町風俗資料館付設展示場。かつて谷中6丁目にあった明治時代の酒屋「吉田屋本店」を移築したもの。重厚な出桁造りで、庇が腕木で支持され、出入口が揚戸であるのも特徴。坂や道具の数々が展示されていて、レトロさ満点。

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有名な観音寺の築地塀。雰囲気がありますね。

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上野や西片には、戦前からの長屋があり、今も現役で使われています。こうした長屋は関西では珍しくないですが、東京では現存するものは少ないようです。よく見れば、今で言う木賃アパートの原型で、玄関まわりの板塀など、戸建住宅としての最低限の「しつらえ」は持たせているようにも見えます。ただ、おそらく界壁のつくりは脆弱で、遮音性などプライバシーがどれだけ保てるのか、ちょっと疑問。上野公園も近いことであるし、落語「長屋の花見」を髣髴とさせるような光景。

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長屋の裏手にひっそりとまつられている地蔵。上野寛永寺周辺は多くの寺社仏閣が並ぶ寺町で、住民の方たちの信仰心の篤さをあちこちで目にします。

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すぺーす小倉屋。この路地の奥には、観音寺の土塀や、朝倉彫塑館があります。

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アラン・ウエストさんのアトリエ。ガラス張りの向こうには、艶やかな屏風絵が飾られ、思わず目を奪われる。色鮮やかですね。

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■東京都台東区上野桜木町■
東北方面への一大ターミナル駅である上野駅から、鶯谷駅、日暮里駅の西側にかけて広がる高台。アメ横がある谷側とは何という落差だろうか。
寺院の屋根の下に谷中の町があると言われ、その数70数軒にのぼる。江戸幕府による再開発や大火による寺院再建などで、ここに寺院が集まることになった。上野寛永寺には徳川将軍のうち6人が今も眠る。墓所のまわりに延々と続く土塀の向こうにラブホの看板が林立しているのはご愛嬌か。
維新直後の慶応4年(1868年)、戊申戦争で官軍は、大村益二郎の指揮のもと、上野寛永寺に立てこもる彰義隊を総攻撃し夕刻敗退させた(上野戦争)。寛永寺は戦場となって官軍により焼失し、明治維新以降上野の山一帯は焼け野原となってしまった。
西片・本郷、根津、鶯谷にかけて(谷中・根津・千駄木を詰めて谷根千エリアなどと呼ぶそうです)、一日散策しても飽きることはない。

上野の池之端にはレトロな組積造建築がある → その2

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テーマ : レトロを巡る旅
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