NIPPON街並み紀行【blog版】
今、急速に失われつつある日本の美しい「原風景」を求め、カメラ片手に伝統的な街並みを旅しています。
生野−1300年の歴史を持つ銀山の麓の産業城下町
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生野銀山は807年に開山して昭和48年に閉山されるまで、実に1300年あまりの歴史をもつ。国家的に重要な産業基盤として、信長、家康をはじめとした時の権力者たちに重要視され、奉行所も設置されていた。明治維新で鉱山は閉鎖され、直後に焼き討ち事件が発生して全焼するが、フランス人技師の手によって近代的な設備を備えた鉱山に生まれ変わり、明治29年には三菱資本の傘下に入った。生野の町は、平野部に広がる口銀谷(くちがなや)と、銀山の採鉱口の手前に広がる奥銀谷(おくがなや)から構成されている。写真は、口銀谷にある史料館「生野書院」。

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口銀谷の落ち着いた静かな街並み。方形で寄棟屋根の珍しい建物は、旧松一醤油店で、国登録文化財。この道の奥には、やはり国登録文化財の旧海崎医院があるが、残念ながら瓦の葺替え工事中であった。

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郷宿だった旧吉川家建物をリニューアルした、生野まちづくり工房「井筒屋」。江戸時代、生野は旅人の宿泊が禁止されていた。今で言えば原子力施設みたいなもので、最高レベルの国家機密地区だったのだろう。それで公事人のために設けられた6軒の郷宿のうちの1軒。天保3年築。

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旧地役人邸宅で、国登録文化財。所有者の方が今も住んでおられ、美しく維持管理されているが、裏側には洋風建築が建て増しされていた。

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江戸時代に郷宿と掛屋を掛け持ちしていたという町屋。こちらはすでに誰も住んでいないように見受けられた。これも国登録文化財。

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旧銀山官舎。銀山に勤務する日本人官吏向けに、明治8年に建てられたもので、いわゆる炭鉱労働者が住む炭鉱住宅ではない。同じようなつくりの寄棟の平屋建が一定ピッチで並んでいる。黒澤明監督の映画「生きる」「七人の侍」などで有名な俳優の志村喬が明治38年にここで生まれたことを知ってとても驚いた(生家はもう残されていないが、裏手に生家跡がある)。「生きる」の最後で、自分で手がけたちっぽけな公園で一人ブランコに乗る姿が、とても印象的だったなー。

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生野カトリック教会は、瓦葺の重厚な和風住宅の横に洋風建築が増築されていて、門の表札を見なければ、ここがカトリック教会とは誰にもわからない。普通の民家を使っている教会はずいぶん見てきたけど、カトリック教会では初めてだったような気もする。

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口銀谷の洋風建築、実は元警察署だった建物。明治19年築の旧和田山警察署生野分署。地元の大工さんがみようみまねで作った擬似洋風とあるが、なかなかよくできているのでは。。。

テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行

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