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2020年東京オリンピック開催決定

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2020年の東京オリンピック開催が決定しました。
朝からテレビはオリンピック一色。
関係者各位は本当にうれしいことでしょう。
決定した瞬間、プレゼンしたフェンシングの太田さんは大粒の涙を流してたし。
思うに、想像を絶する大役だったと思います。
選手としてプレーする数倍のプレッシャーだったのではないでしょうか。


ただ、今回の東京オリンピック招致、国民の支持率はあまり高くありませんでしたね。
それはなぜか、をもう一度考えなきゃいけないと思います。
かくいう私も不支持の一人でした。だから、素直にうれしい気持ちにはならないんですね。

結局、マドリードとイスタンブールが勝手にこけて、消去法で安全パイの東京になったイメージです。
ジャーナリストの大宅さんは、イスタンブールは初のイスラム圏開催で東西の架け橋という言葉にも説得力があるし、今回は譲ってあげてもいいのでは?とおっしゃってました。
なるほど、そうかもしれませんね。
ただ、今のイスラム圏は、シリア情勢、エジプトの内政混乱とか、不安定要因が多すぎます。
オリンピックがもしテロの温床になったら、と考えると、主催者側としては厳しいでしょう。

マドリードと東京の争いかと思ってましたが、マドリードが先に負けたのは予想外でした。
マドリードが負けた理由、正直よくわかりません。
失業率が高い、国家財政が危機に瀕しているというのは、大なり小なり日本もそうなわけだし。
本命のマドリードを先に落としておき、イスタンブールとの決選投票に持ち込めば絶対勝てる、なんて戦略を持っていたのかな。
ただ、名古屋、大阪、東京と何度も誘致に失敗していたし、莫大な誘致資金をパーにしていたので、今度負けたら後がないという気持ちでも必死になられたのでしょう。
パリやローマだって、2024年の開催をもくろんでいるから、距離が近いマドリードやイスタンブールを蹴落とし、東京に入れたのかもしれない。
そんな思惑を秘めて必死にロビー活動するのって、なんだか国際政治の裏舞台で暗躍するスパイみたいで、あまりいいものではないなあ。

2020年、日本はどうなっているのでしょう。
そして、東京オリンピックは、東京や日本をどのように変えるのでしょうか。

ゼネコンは降ってわいた特需に狂喜乱舞しているに違いありません。
あと、ホテル業界ですね。
A○Aホテルとか、新しいホテルを都心にどんどん作りまくってますが、この動きにも拍車がかかるでしょう。
ミニバブルで地上げが始まり、都心がやたらとホテルだらけになるかもしれません。
電力が必要だから早く原発を稼働させろ、という方向にもなるかもしれない。

しかし、です。
これからは、インフラの老朽化の問題、限界集落の問題など、日本の高度成長がもたらした負の遺産に地道に取り組まなければいけない時期です。
あたらしくものをつくるより、今まで作ってきたものをメンテナンスしながら生き延びていく時代。
再び、かつてのいけいけの時代に戻れるわけがありません。
予算が東京に優先的に振り向けられていく。
日本がますます二極化していく。
東京が一人勝ちするだけで、地方はますます地盤沈下していくのではないでしょうか。
特に被災地の人々は、複雑な思いで今朝のニュースを聞いたのではないでしょうか。

冬季オリンピックを誘致した長野だって、景気が良かったのは開催するまでだけで、終わった後は深刻な景気低迷に陥ったし、新幹線ができたのはいいけど在来線は第三セクターになって大幅に縮小されたり。

東京にはぜひ、省エネ型のコンパクトなオリンピックを徹底的に推進してほしいと思います。
そういう流れを作ってほしい。
オリンピックというものの原点に回帰し、エンタテイメントなど余計な要素は持ち込まないでほしい。

それと、日本選手に過度のプレッシャーを与えないこと。
開催国なんだから何が何でも金メダルをとれとか、正直バカげてます。
かつての君原さんの例もあります。
オリンピックによる国威発揚なんて時代はとうの昔に終わっているわけだから、国民としても、そういう目線で選手を見るのはやめなければ。

最後に、私が東京開催不支持の理由は、やはり地震です。
こりから東海・東南海・南海地震が来るかもしれない。
富士山が噴火するかもしれない。
大津波が都心を襲うかもしれない。
それはもはや現実のリスクとなっているわけです。
各国要人も集まるオリンピックで大災害が起きれば、世界を大混乱に巻き込んでしまいます。
もはや日本だけの問題ではなくなります。
あまりにリスクが高すぎませんか?

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2009年にドイツ・ミュンヘンの再保険会社が発表した自然災害リスクインデックスでは、東京は710ポイントで断トツの一位でした。二位のサンフランシスコは167点ですから、いかに飛び抜けて大きいかがわかります。しかも、これ東日本大震災前のデータですからね。どういう計算結果かわからないけど、強烈なインパクトがあります。東京の自然災害リスク、ググればさまざまなデータが出てきます。

外国メディアからは、福島第一原発の汚染水の問題が出てましたけど、それは確かに底なしの問題ではあるけれど、すでに発生している事象であるから、ある意味、対策目標が明確になっているわけです。要するに、放射能の拡散を防ぐ、その一点にすべてを集中すればよい。それに、安部ちゃんが世界に向けて「Under Control」と断言しているわけだし。

本当のリスクは、予測不能な、あるいは予測を超えた、まさに想定外の目に見えないリスクなわけです。
すなわち、これから来るであろう大地震。

政府の中央防災会議が甚大な被害想定を出しているわけだし。
外国メディアが見ていないだけかもしれないけど、この被害想定を見たら、日本でオリンピックなんてクレージーだと誰もが思うはずです。
東日本大震災で明らかなように、ハードの被害に加えて、ソフトの被害も恐ろしく甚大だし、こちらはハードのように数字では見積もることができません。

一方でこれだけの被害想定を出していながら、他方でオリンピックを誘致するという政府の感覚が、私のような凡人にはまるで理解できません。
オリンピックに莫大な予算をつぎ込むくらいなら、国土の防災にもっと手厚い予算を振り向けるべきではないでしょうか。

今はインターネットもあるし、大型テレビもあるし、家でも臨場感が味わえるから、地元の日本人だって、混雑の中わざわざ会場まで見に行かないかもしれません。
何兆円だのと皮算用してほくそえんでいる人たちがいますが、あまり過剰な経済効果を見込まないほうがよいとは思います。

大型案件で景気を浮揚しようというのは、過去の時代の話。
これからは、いけいけではなく、持続可能な地道な投資で、安定的な経済成長を積み重ねていかなきゃいけないはずなのに。
むしろ、オリンピック後を今から真剣に考えなければならないのではないでしょうか。

サラリーマンの聖地?

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数週間前のこと。

JR新橋駅で野宿をした。

新橋と聞けば、だいたい見当がつくであろう。そう、お酒を飲んでいて、終電が行ってしまったのであった。

その日は、夕方の6時前から飲み始め、気が付いたら11時を過ぎていた。
あ、もう帰らなきゃと思いつつ、なかなか話が途切れず、ぐだぐだしているうちに、時すでに遅く、高崎線の終電には間に合わないことが判明。

一緒に飲んでた同僚は、「んじゃ、また明日ね~」とばかり、改札口にスタスタ。

一人、SL広場にたたずみ、「まいったなー」と立ち尽くす。

缶コーヒーのBOSSでも飲もうと思ったら、財布がないことに気付いた。

ちょうど運が悪いことに、その日に限って、財布を会社に置き忘れていた、のであった。
飲み屋では一緒に飲んでた奴がまとめて払ったから、財布を忘れたことを気が付かなかったのである。

そもそも、なぜ財布を会社に忘れたかというと、この時期は上着を着たり着なかったりするわけで。
上着を着ないとき、財布はカバンに入れているため、日によって財布の位置が上着と鞄に分かれることになる。
てっきり、鞄に入っているとばかり思っていた財布が、実は会社の机の引き出しに入れたままだった。。。

ま、いまさら仕方がない。

泊まろうにも泊まる金もないわけだし。
24時間マックにいることもできないじゃん。

歩いて会社にも帰ってみたが、その日に限って、窓の明かりはすべて消えていた。
管理人でもいれば、たたき起こして、中に入れてもらうのだが、SECOMじゃあたたき起こすわけにもいかない。
第一、セキュリティカードは財布の中なわけだし。

とぼとぼとSL広場に戻ってきた。

しかも、その日は雨が降っていた。

なんて不運なんだろう、という思いが込み上げてきたさ。

その頃には、野宿するという決意を固めていて、どこで一晩を過ごすか、考え始めていた。

天気が良ければ、日比谷公園のベンチで過ごす手もあっただろう。
しかし、今夜は思いっきり雨である。

雨の日、都会の真ん中で野宿をすることは、かなり厳しいことに次第に気づき始めた。

さて、どうしたものか。
SL広場の真ん中で、傘をさして立ち尽くす。

気が付けば、山手線と京浜東北線の終電も去り、広場にはワイシャツ姿の兄さんが20人くらい、キャバクラの客引きに余念がない。
それから、片言の日本語を話す中国人のお姉さんたちが、「お兄さん、マッサージどう?」と絡みついてくる。

駅はシャッターを閉め、ホームの照明を落とした。

昼間の新橋駅とは全く違う風景が、そこには広がっていた。

そして、私と同じく、鞄を片手に途方に暮れて呆然と立ち尽くすサラリーマンが、あちこちに。

仕方なく、烏森口に回り、地下道に下る階段に腰を下ろした。
もちろん、地下道のシャッターは閉まっている。
階段には、先客がいた。プロの浮浪者が2人、若い酔っ払いが1人、寝ている。
凹凸のある階段で、よく寝れるもんだなあ。

シャッターが閉まる寸前に、尻の下に敷くために旅行パンフレットを数枚、つかみとっておいた。
それでも、石の階段は固く、10分もすると痛くなってくる。

酔いもさめてしまい、眠気もないので、仕方なく、鞄に入っていた文芸春秋を読み始める。
浮浪者が寝ている横で、背広のサラリーマンが文芸春秋を読んでいるって構図も、我ながら、なんだかなーという感じ。

すぐ横には、まだ20代半ばくらいの若いサラリーマンが、ぐでんぐでんに泥酔し、意識もないような状態で、ポールにつかまり、かろうじて立っていた。
吐しゃ物でシャツを汚しており、ズボンも泥にまみれていた。
そのうち、ポールの根元で、座り込んでしまった。

パワハラでしこたま飲まされたか、彼女に振られたか、事情は知らないけど、なんだかすごい気になった。
イケメンで、サッカーの日本代表のウッチー(内田選手)に感じが似ていたな。

でも、財布がないんじゃ介抱しようにもしようがないし。
明日、まだ金曜日で会社があるのに、どうするつもりかよ。
かわいそうだけど、そのままスルーすることにした。

獲物を探す女たちが、一晩一緒にどう、○万でいいよ、などとしつこく声をかけてくるのを、じゃけんに振り払う。
だって、財布がないんだもんね。
財布があったら、どうなったか、わからないけどさ。

そうこうするうち、次第に冷え込んできた。
このままだと風邪をひきそうだ。

場所を変えようと思って、立ち上がった矢先、目の前に「新橋駅前地下駐車場」の看板の文字が目に入った。
そっか、地下駐車場なら24時間営業で、広いだろうし、雨も入ってこないよな。
さっそく行ってみると、かなり古いが、何とか一晩過ごせる場所ではありそうだ。

段ボールでもないか、物色しながら歩いていると、早速、警備員のおっさんに見とがめられた。
事情を説明したところ、「じゃあさ、この避難階段ならいてもいいよ。だけど、明日の朝4時にシャッターが開くから、そしたら出てってよ」ってことになり、避難階段で何とか過ごせることになった。

一応、空調も効いているし、人も通らないし。
ただ、工事をやってて、一晩中ギコギコいってて、なかなか寝られなかった。

それにしても、夜は長い。
時計見るたび、ああまだこんな時間かあと、絶望的な気分に襲われる。
会社が開くのは7時だから、約7時間を過ごすことになるわけだし。

やっぱり階段では寝れないね。

そうこうするうち、徹夜状態のまま、4時を過ぎ、シャッターが開いた。
駐車場の便所で顔を洗い、外に出た。
まだ雨が降っていた。

新橋駅は、まだ薄闇の中にあった。
駅前は死んだように人通りもなく、昼間の喧騒がうそのよう。
これから会社が開くまで、まだ3時間ある。
長いなあ。

昨晩、見かけたウッチーが気になったので、彼がいた場所に行ってみた。
そしたら、まだ、彼はそこにいた。
昨晩いたところから5mくらい離れた通路で、完全に仰向けになって爆睡状態だった。

あーあ。しょうがないなあ。

服は吐しゃ物と泥で汚れたまんま。
鞄は、数メートル離れた場所で転がっていた。
チャックは開けられていたし、財布は残ってないだろうな。

そのうち、駅のシャッターが開いた。
もうすぐ始発電車の時間だ。
すると、一体どこから湧いてきたのか、始発に乗る人たちが三々五々、駅に集まってきた。
徹夜で飲んだらしいサラリーマン、これから帰宅する水商売の女の人、築地に仕入れに行く板さん風、いろんな人がいる。

シャッターを開けた駅職員は、寝ているウッチーに気付いたが、ちらっと見ただけで、そのまま放置していた。
駅をぱらぱら行きかう人も、みな一様に、彼に視線を向ける。
中には、立ち止まって、覗き込むように、じーっとみている人もいる。
けど、誰も介抱しない。

ま、そんなもんだよね。
酒飲むのも自己責任なわけだし。

ウッチー、いつまで寝ているんだ、早く起きろと言いつつ、私もまた、彼らと同じく、素通りして去って行ったのだ。

その後、駅周辺を彷徨しながら、何とか7時になった。
会社に入り、引出しから財布を手にしたときは、なんだかほっとした気分だった。

すぐコンビニに行って着替えを買い、洗面所で頭を洗い、ひげをそり、男性用エイトフォーを吹きかけ、始業時間には何食わぬ顔で机に座っていたのであった。

翌日は、徹夜したとは思えないほど、仕事ははかどった。
しかし、土曜日から体調を崩し、風邪をひいて寝込んでしまったのであった。



新橋はサラリーマンの聖地と言われる。

でも、この日の晩に限っては、サラリーマンの墓場という言葉がぴったりだった。

それと、浮浪者の方たちの逞しい生命力にも、改めて気づかされたのであった。

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再び、政権交代の風景?

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2009年8月の衝撃的な政権交代から3年。

これほど、さらに輪をかけて衝撃的な「再交代」がやってくるとは想像もできなかった。

当時、自分がどんなことを書いていたか。

今、読み返すと、結局だまされた自分がアホだったのか、と思いたくもなる。

小選挙区制には根本的な問題がある、二大政党制は日本には向いていないのではないか、などなど。
いろいろなことが頭をよぎる。
が、そんなことを論じる前に、今回の事態はすべて民主党自身が招いた『身から出た錆』に他ならないという悲しい現実。

結果、大所帯となった民主党はいとももろくも崩壊し、雨後のタケノコのように変な政党がいくつもできた。
太陽の何とかみたいに、数日で消えた政党もあった。
離合集散も、ここまで来ると喜劇である。
演じている人たちは必死だったんだろうけど。

もう何が何だか、わけがわからない。

原発とかTPPとか、個別の政策単位で、意見が一致しないからってんで、いちいち政党を作っていたら、政党はいくつあっても足りなくなる。
有権者を右往左往させるだけである。

かくして、雨後のタケノコは、当然の結末として、ほとんど踏みつぶされてしまった。


ところで。

今回の選挙で、数年前のベストセラー本「選択の科学」を思い出した。
コロンビア大学ビジネススクールで教える盲目のインド人の女性科学者、シーナ・アイエンガー女史の熱血講義をまとめたものである。NHKでも放映されていたので、多くの方が感銘を受けたのではないかと思う。

うろ覚えで申し訳ないが、

●選択肢は多いほどいいとは限らない。むしろ少ないほうが適切な選択ができる。
●選択の自由は精神的、感情的な代償を伴うことが多い。時には、他人に選択を委ねたほうが幸せになれる時もある。
●人生は運と偶然と選択によって決まる。

簡単に言えば、このような内容だったと思う。


自由とは、選択する自由である、とも言える。

封建時代には職業も結婚相手も住む場所も、自ら選ぶことはできなかった。
現代だって、国家から軍隊に入れと命令されれば、国民は嫌とは言えない(アジアの東端の平和ボケ島国は例外として)。国民には、軍隊に行くか行かないかの選択の権利はない。

それから、学生時代に読んだ、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」も。
自由には、「~からの自由」と「~する自由」がある。
受動的立場から解放される自由と、能動的に何かをなしとげる自由、とでも言えばいいのだろうか。

何かにがんじがらめにされているときは、一刻も早く解放されたいと願う。
しかし、いざ解放されてみると、かえって心理的に不安定になり、落ち着かなくなる。
今までは命令に従うだけでよかったのに、今度はすべて自分で考えて決めなければいけない。
しかも、自分で考えた決定には、自分自身で責任を負わなければいけない。
かえって、何かにがんじがらめになっているほうが、自ら考えなくていいし、責任を負わなくていいし、楽でいいんじゃないか。
かくして、近代市民社会の最大の象徴ともいえる「自由」を自ら放棄し、長い物に巻かれろ的な感覚で、がんじがらめの藪の中に自ら戻っていく。。。

私たちは自分の人生にどれだけ自己決定感を持っているだろうか。

私は人生のすべてを自分で考えて決めてきたと言う人もいるかもしれないけど、実際、多くの選択は直接間接に、多かれ少なかれ(て言うか、おそらくほとんどの選択は)、周囲の環境に依存してなされているのではないだろうか。



さて、日本における民主主義とは、現実的には、自らの一票で、政党を選ぶ自由である。
今回の選挙では、5人に2人は、この自由を行使しなかった。

自らの意思で、責任を伴うべき自由を放棄したのだろうか。
それとも、単にどうでもよかったのだろうか。


『選択肢は多ければ多いほどよいとは限らない。むしろ、多すぎる選択肢は、正しい選択から逃避する行動を導きやすい』

結果だけ見れば、アイエンガー先生の言う通りになった、と言えないだろうか。

今回、自民党に投票した人たちは、どういう心理だったのだろう。
よ~く分析しなければいけない。

単純に、民主党の欠陥がすべて、自民党支持に裏返っただけなのかもしれない。

今回の結末に、「自分の1票が政治を変えた」という自己決定感がどれほど感じられただろう。
少なくとも2009年の政権交代のときには、そういう実感を多少なりとも感じられたと思う。
ま、それも今にして思えば、政権交代をあおるメディアに踊らされていただけだ、と総括できるかもしれないけれど。

安部ちゃん自ら言ってたように、敵失で票を余分にもらっただけにすぎない。自民党という政党に対する支持率は決して高くない。
不甲斐ない民主にも、よくわからない第三極にも抵抗感を持つ人は、消去法で、自民党に投票するか、白票を投じるしかなかった。

見た目の選択肢は多くても、実質的な選択肢は非常に狭かった。

かく言う私も、自由民主党に投票してきた一人である。

どうでもいい選択肢を増やすことは、かえって、本命とされる選択肢に人々の選択を集中させやすい

ということなのかもしれない。



ところで、自民党のホームページを見てみると、イメージカラーが赤一色である。
これでもかというくらい、赤一色なのである。

この赤には、いろいろな意味があろうが、おそらく日の丸の赤に違いない。

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隣国の口うるさい連中が見たら何を言うか知らないが、日の丸は、個人的には好きである。

白地に赤丸。

こんなに純粋で飾り気のない国旗は、世界中どこを探してもないだろう。

日本という国のすべてが、ここに集約されていると感じる。


人々の選択の過程がどうだったにせよ、日本は新しい道を歩み始めることになった。

選択には責任が伴う

ということを、一人ひとりがかみしめなきゃいけない。

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政局は、もういい

まだ仕事中だけど、疲れたので、気分転換にブログの更新でもしよう。


多くの人々はこう思っているに違いない。
「小沢さんはもう引っ込んでほしい」

「マニフェストに謳った公約に違反する消費税増税は、国民との約束を裏切ることである」

小沢派の連中(人たち、なんて丁寧な言葉を使う必要は最早なかろう)は、バカの一つ覚えみたいに、消費増税=マニフェスト違反=国民への裏切り=絶対反対、とばかり言っている。
ある意味、小学生でもわかる理屈である。
こんな稚拙な、幼稚な理屈で国民が納得すると思っているのだろうか。

考えてみよう。
マニフェスト選挙なんて、実質、2009年の民主党圧勝の時から始まったようなものだ。
マニフェストに掲げた公約をそのまま実現した政権が過去にあるのなら別だが、マニフェスト政治は、成熟も何も、まだ始まったばかりなんである。
自民党だって、今までマニフェストを掲げて政権を運営したことがないわけだから、民主党のことをあれこれ言える資格はないわけで。
よって、これからの選挙を通して、政治家も国民も、マニフェスト政治を熟成させていこう、というのが本来だと思う。
しかも、今は参議院で与党が過半数割れという、ねじれ状態なのだ。
マニフェストをそのまま実現しろ、などと要求するほうが馬鹿げている。
なのに、ことさらに「マニフェスト違反」を口にするのは、結局、小沢派には、自らが依って立つ「論拠」がそれしかないためである。

マニフェストに掲げた公約は、なにも財政再建だけではない。
そんなにマニフェストにこだわるのなら、消費税はマニフェストに反して増税するのはやむなしとして譲歩しつつ、その他の公約を最大限実現できるよう、精一杯努力するのが政権与党の義務である。
それをせず、消費増税だけにこだわっているのは、結局、消費税を政局にしているだけのことだ。
結局、政局を作っては、日本という国を弄んでいるだけではないか。
とても、政権与党という責任ある立場にいる人間の行動とは思えない。

日本の国債発行残高がいったいいくらあると思っているのか。
少しでも返済していかなきゃ、ギリシャみたいになるのは目に見えている。
もしも国債が暴落して金利が上がれば、日本経済は実質、終わりである。

野田さんが野党時代に街頭演説でシロアリ退治を言ってたのは確かだけど、政権与党になったんだし、シロアリを退治すれば消費税増税は不要なんて、そんな話はないでしょう。

そもそも、GDPに占める公務員給与の総額は、日本はむしろ少ないほうである。
公務員の給料が高いのは確かにいまいましい限りだけど、それを民間並みに削ったところで増税不要なんてことにはならない。
ギリシャなんて、日本とは比べものにならないし。
埋蔵金だって、方々からかき集めたって、期待していたほど埋まっているわけではない。
野党時代はともかく、政権をとって初めて、国の本当の懐事情が見えてきた。
だからこそ、消費税増税に踏み切る方向に舵を切ったわけだし。
確かにマニフェスト違反かもしれないが、国の将来を考えたら、苦渋の決断をするしかなかった。

消費税増税で国民の生活が困窮することくらい、政治家だってわかっている。
誰だってみんな、増税しなくていいならしないほうがいいにきまってる。
だけど、今やらなければ、また先延ばしになる。
その間、増税しなかったからといってGDPが順調に伸びるわけじゃない。
むしろ、ますます税収は減るだろう。

決めるべき時に決めなければ、事態を悪化させるだけである。
目先の選挙を意識した人気取り政策をやってる場合じゃない。
こんな大事な時に、首相が政治生命を賭けた苦渋の決断の結果である消費税増税を、こともあろうに政局に利用しようなんて、とても同じ政党の人間のやる事とは思えない。
野田さんははらわたが煮えくりかえっていることだろう。

小沢さんが言っている「国民の暮らしが第一」なんて、嘘八百である。
国民を欺くための目くらましに利用しているだけだ。
空中分解寸前の民主党が何とか政権を維持できているのは、野田さんをはじめ、執行部の努力の賜物である。
この一年を振り返れば、野田さんがいかにまっとうな政治家であるか、わかるだろう。
すぐ感情的になってぶち切れる前任者、相手次第で言うことがころころ変わる前前任者と比べれば、一目瞭然である。

今まで新党を作っては壊すたびに政党交付金を蓄えてきた小沢氏。
今度は、民主党の金庫から、いったいいくら持ち出すつもりなのか。

野田さんは、輿石さんの反対を振り切ってでも、造反議員を除名処分した上で、やはり解散・総選挙を断行するべきではないかと思う。
既存政党が一番恐れているのは、実は維新の橋本さんであって、小沢さんではない。既存政党対維新の構図を想定して、既存政党は総選挙後に大連立を組む腹積もりとも言われているし。

小沢さんが離党したとして、その新党がどれくらいの規模になるかわからないけど、維新の橋本さんが小沢さんと組むことはまずありえないと思われる。
そうすると、先に民主党を離党した「新党きづな」あたりを取り込もうとしているのかもしれない。
でも、政策に柱が何もなさそうな小沢新党に、数の論理だけで同調するだろうか。
「新党きづな」は、政局頼みではなく、それなりに筋を通した人の集まりだから、小沢さんと組むくらいなら、民主党に復党させる選択肢だってある。

小沢さんは政界のキャスティングボートを握っていると自負しているようだが、それに乗る人は案外少ないと思う。腰巾着と親衛隊みたいな連中しか、ついて行かないだろう。

そうなったら、後は、岩手の小沢さんの選挙区に刺客を向ければいいではないか。
たとえば、一例ではあるが、現在、東京都の副知事をしている猪瀬直樹氏など、知識や経験はもとより、国民的な人気のある候補者を小沢さんの選挙区に立てる。
もちろん、小沢さんが新党を結成したら、の話であるが。
民主党執行部にしてみれば、これだけのことをされたのだから、刺客を立てるくらいの報復は当然だろう。
民主と自民の相乗り候補だっていい。
そうすれば、全国の関心が岩手に向けられる。
大震災の後、放射能を恐れてすごすごと逃げ出し、被災地にもろくに行かなかった小沢氏の人望は、選挙区ではさすがに低下しているに違いない。
震災復興を軸に、理詰めで政策論争を展開すれば、小沢氏は本当に落選する可能性だってあるかもしれない。

もし、もし本当に小沢氏が落選すれば、小沢新党は空中分解に陥るのは決定的だろう。
しかも、刑事被告人の身である。
グループに有力な後継者がいるわけでもない。

議員定数の削減という、「政治家自身が身を削る」ことができないのは、経験の乏しい政治家が数の論理で寄せ集められ、政局に利用されているためである。
そんな議員はいらないよ。
本当に国民のために汗をかく少数の政治家が、優秀な官僚組織を操縦し、国民の意思を見定めつつ、正しい方向に引っ張っていってほしい。
もし小沢新党が空中分解したら、その分、まるまる議員を削減すればいいじゃないか。

政局は、もういい。

テーマ : 気になったニュース
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死刑制度は今のままでよいのだろうか

大阪で何の罪もない男性と女性が刺し殺された。
「自殺したかったが、できなかったので、誰でもいいから殺して死刑になろうと思った。。。」

もう、いい加減にしてほしい。

このセリフ、過去にも何度か聞いたことがある。
通り魔的な犯行を引き起こす人間が、決まって言う捨てセリフである。
見ず知らずの人を巻き添えにするなど、狂気の沙汰ではないか。

どっかの新聞は、こういう事件が起きるたびに、事件の背景として、長引く不況、社会的弱者、前科者の社会復帰うんぬんなどと言い出すのだろう。まるで社会が悪いのだ、とでも言わんばかりに。そして、かの人権屋弁護士の存在。きっと、自分の出番だ、と思っているに違いない。

考えただけで、無性に腹が立つ。


最近、人の「死」がどんどん軽くなってはいないだろうか。


高校生の頃、友達の影響で、三島由紀夫を読んでいた。
一番ショックを受けたのが「憂国」だ。
自ら決起して自衛隊市ヶ谷駐屯地にたてこもり、切腹した三島さんの心の中が、ほんの少しだけ垣間見れたような気がした。作家だから、「死」に極端なまでの美学を描いていたのだろう。切腹こそが極限の美であり、美しい死を遂げられなくなったら、もう生きている意味はない。そして、45歳というギリギリのラインを設定して人生を逆算し、すべてを計算づくのうちに組み立て、「美しく死ぬために生きる」ことを実践した。

三島さんの思想はともかくとして、美しい死とは決してロマンティックなものなんかじゃない。
それは「憂国」を読めばわかる。
これほどの苦痛を乗り越えなければ、「美しい死」には到達できないのか。。。

それくらい「死」というものは重い、ということを教えてもらった。
17歳のガキには、ちと強烈すぎたかもしれない。


今の政権には、死刑に反対する人たちがいる。
不思議な人たちだ。
日本は三権分立に基づく法治国家である。
司法が下した死刑の判断は重く、尊重されなくてはいけない。
あたりまえだろうに。

また、今の政権には、絞首刑に代わる新しい刑罰を模索する動きがある。
絞首刑が残虐な刑罰だから、ということだろうか。
でも、考えてみてほしい。
薬物注射なんて、眠ったまんまで施せば、まったく苦しまずに死ねてしまうだろう。
それにいかほどの刑罰の意味があるのだろうか。
人をさんざん苦しめた死刑囚を、できるだけ苦しませずに死なせるって、論理が破たんしていないか?


日本の切腹は、残虐だ、野蛮だ、という向きはあるかもしれない。
でも、戦で負けたら腹を切るというのは、ひとつの伝統であったことは確かだと思う。
(文化、と言えるのかどうかはわからないけれど)

要は、

自らの手で自分自身の存在に決着をつける

という美学である。


大阪のミナミで通り魔事件を起こしたこの男は、見ず知らずの人を30回も刺した。
今度は自ら腹を切る番であろう。

自らの腹を刺して、その痛みを思い知って初めて、「死」の意味を少しはわかることだろう。
そして、その時はじめて、自分が見ず知らずの人にやらかしたことのとんでもなさを理解するだろう。

薬物注射じゃ、結局、「死」の意味をまるで知ることなく、感じることもなく、眠るように存在が消えるだけである。
これじゃ、何の意味もない。
せめて「人を殺した」ということがどういうことだったか、自らの身体で思い知った上で、旅立ってほしい。
でなきゃ、被害者や遺族は本当に浮かばれない。

絞首刑にしたって、板を落とすスイッチは死刑囚自らがスイッチを押すべきではないだろうか。
最期くらい、自らの意思で、自らの手で、自らに決着をつけてほしいのだ。

そして、できれば、刑の執行は、死刑囚自らの「自己申告制」であってほしいと思う。
法務大臣の署名をいつまでも待つのではなく、自ら志願し、執行される形であってほしい。
国家権力に「殺される」のではなくて、自らの意思で自らに決着をつける。
そうすれば、死刑宣告後の日々は、いつ来るかわからない執行に対する不安の日々から、純粋に自らとの葛藤の日々へと変わるのではないだろうか。


死刑になりたいから無差別殺人をする奴がいるなら、
死刑はずいぶん楽な刑罰である。
自ら死ぬ勇気もない奴が確実に死刑にしてもらおうとするなら、
その現実的手段として、無差別殺人を選ぶことは、今後もありえるだろう。

こんなのって、およそありえない論理じゃないか。

死刑が軽く見られている。
死刑とは特別なものではなかったか。
「死」が日常化した分だけ、死刑は特別なものではなくなってきているのだろうか。

これは、犯罪抑止力の観点でも、恐ろしいことである。

仮に、今の死刑がフランスみたいにギロチンだったら、見ず知らずの人を殺して死刑にしてくれ、などとは言わないだろう。楽に死なせてもらえるから死刑を望むのだ。

だったら、なおのこと、死刑は自己申告制であってほしい。
死刑とは、人に殺してもらうのではなく、死刑囚が自ら進んで命を断つことで、せめてもの罪ほろぼしをするものであってほしい。
国家による自殺ほう助だ、などとわけのわからないことは言わないでほしい。

加害者が自らの意思で最期にけじめをつけることで、被害者やその肉親も、少しは救われるんじゃないか。


残された者は、なぜ死ななくてはならなかったのか、その死の意味を考え、悩み、少しずつ納得しながら時間の経過とともに受け入れていくのだろう(おそらく)。

仮に大震災や交通事故なら、仕方がなかったのだと、最終的に心の帳尻を合わせられるかもしれない。

だけど、今回のこの事件では、心を納得させられる要素がなにひとつない。

たまたまそこにいただけで、こんなしょうもない奴の気まぐれの犠牲になった。

たとえ何十年かかろうが、決して受け入れることはできないかもしれない。

これほど残酷なまでに無意味な死があるだろうか。

これほどまで無意味な死を受け入れざるを得ない方たちの思いは、いかばかりだろう。

いずれにしても、犠牲になった方は本当に浮かばれない。
その無念さを想像するに、本当に胸が痛む。

よって、死刑制度が今のままでよいとは到底思えないのである。

ご冥福をお祈りします。
合掌
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fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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