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渋温泉-温泉も建築も言う事なし

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渋温泉はほとんどが伝統木造の旅館(中には鉄筋コンクリート造の新しい旅館もあるが)で、今では数少ない、昔ながらの温泉情緒を楽しめる温泉。中でも極め付きはここ「歴史の宿、金具屋」。最近はテレビや旅行雑誌などで紹介されまくっていて超人気の宿。何といっても、腕のいい宮大工たちが贅の限りを尽くしたに違いない、木造4階建「斉月楼」は、国登録有形文化財に指定されている。手前に記念写真用の「お立ち台」の端がわずかに映っている。みんなコンパクトなデジカメで撮っていたけれど、とても全景が入るはずもなく。。。

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渋温泉の対岸の高台から見下ろす。川沿いに立つ手前の木造3階建旅館(すでに廃業しているそうです。ご指摘いただきました)のすぐ後ろに、「金具屋」は山の斜面に沿って立っている。手前に見える緑色の屋根が木造4階建の「斉月楼」で、それ以外にも鉄筋コンクリート造の「神明の館」、木造の「潜龍館」「居人荘」の4つがあり、まるで迷路のようだとか。和の贅を尽くした内装、4本の源泉それぞれに趣の違う風呂など、この目で確かめたかったが、残念ながら、泊まったのは別の宿だった(少なくとも古さという点では金具屋にひけをとらないと思うけど)。

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渋温泉には、計9つの外湯があって、渋温泉の宿に泊まった客は、マスターキーのついた温泉手形を持って自由に入ることが出来る。1番目の「初湯」から始まって、最後がこの「大湯」。すべてが異なる源泉で、効能もそれぞれ違うが、共通点はめちゃくちゃ熱いこと。とにかく熱い。熱いほうが温泉らしくて好きだけど、それにしても熱い。途中、一緒になったおじさんは「ひととおり入ってきて、ここが最後だよ」とこともなげに言うので感心していたら、何のことはない、蛇口をめいっぱいひねって大量の水で薄め始めた。なんだ、インチキじゃないか。

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「大湯」の上には、足湯がオープンした。大湯の前には、高薬師様が鎮座している。外湯を回るたびに、入り口のところで手ぬぐいにスタンプを押し、9個スタンプを押し終わった手ぬぐいをもって高薬師にお参りすると、とってもいいことがあるそうな。

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大湯に隣接している「湯本旅館」。ここもかなりの老舗。

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真田家旧本陣の「つばたや」。玄関は信州特有の出桁形になっている。

他にも、伝統木造旅館が狭い路地の両側にびっしり建っていて、その多くは3階建である。これはもう、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されるべきではないかとまじめに思う。こんな渋温泉にも、かつて迷走した時代があったという。
「歴史の宿 金具屋」のホームページには宿の歴史が解説されていて、なかなか興味深い。それによると、昭和30~40年代の高度経済成長時代、旅館のビジネスモデルは大量に発生する社員旅行需要をいかにまかなうかに集約されていて、和風伝統旅館は敬遠される傾向にあった。そのため、当時の金具屋は『洋風』を志向した時期があったという(もっとも施設の一部であるが)。通りに面して鉄筋コンクリート造の洋館を増築し、玄関は完全なホテルそのもの。屋上に洋風の露天風呂を設け(これは和風に改造した今でも健在)、その隣にはピロティ形式で中2階のガラス張りのラウンジを作ったりしていた(現在は解体されている)。HPでは、その写真を見ることが出来る。今は懐かしい1960年代のモダニズム建築そのもの。信じられないような話である。その後、高度経済成長の終焉とともに和風温泉旅館が見直され、本来の和風旅館に戻ったのだとか。

そんなこんなも耳に入れた上で、改めて金具屋の玄関に立つと、また違った意味の感慨が沸いてくるのではないでしょうか。


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鉛温泉-藤三旅館

岩手花巻南温泉峡 鉛温泉藤三旅館

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花巻市から豊沢川沿いに進む。鉛温泉は花巻南温泉郷の一番奥にあり、藤三旅館は一軒宿。旅館部と自炊部で玄関が分かれている。手前の坂の上からみたところ。

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向かって左側の「旅館部」に下り、木造3階建の古風な建物の玄関を見上げる。

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こちらは向かって右側の「自炊部」の建物。玄関、建物、温泉は、旅館部とは別になっている(一部の浴槽は旅館部と共用)。中には売店があり、必要なものは何でもそろう。長逗留の湯治客の人たちが、水場で炊事や選択などの作業をしている。花巻温泉には、他にも湯治向けの温泉宿がいくつかある。

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昭和16年建築のケヤキ造り3階建。ラッキーなことに、3階の川側の角部屋という、宿で最もいい室に通していただいた。室の二面に廊下と開口があり、建具はすべて木製のまま。虫が異常発生しているとかで窓は開けられなかったが、それでも清流のさわやかな音が一晩中絶えることはなかった。実に心地よいBGM。「何もしないでいる贅沢」を心行くまで味わえる至極の時間。

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障子の透かし彫りが、うららかな秋の陽光に浮き上がる。かつて田宮虎彦は、この藤三旅館の玄関上の3階山側の室に1か月のあいだ長逗留し、鉛温泉を舞台にした小説「銀心中」を執筆した。今でも「田宮虎彦の泊まった部屋」として人気がある。

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廊下と同様に、赤い絨毯が敷き詰められた階段。長い年月で磨かれた手すりは黒光りしている。

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「白猿の湯」は鉛温泉の象徴ともいうべきもの。2層吹抜の大きな空間で階段を伝って下に下りる。浴槽は深く、130cmくらいはあろうか。底には玉砂利が敷かれていて、立って入浴する(写真は公式ウェブサイトから)。今から約600前、ここの温泉宿主、藤井家の遠祖が高倉山麓でキコリをしている時、岩窟から出てきた一匹の白猿が、カツラの木の根元から湧き出す泉で手足の傷を癒しているのを見た。これが温泉の湧出であることを知り、一族が天然風呂として用いるようになった。そのため「白猿の湯(俗名 桂の湯)」と呼ばれるようになったとか。

所在地 岩手県花巻市鉛字中平75-1

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鎌先温泉-一條旅館

鎌先温泉 時音の宿 湯主 一條

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東北本線の白石、または東北新幹線の白石蔵王からクルマで20分ほど走ると、山の中に鎌先温泉がある。
『600年前、ひとりの農夫が前燈貝森の辺りで水を求め沢辺に降り、持っていた鎌の先にて木の根、岩角をかき分けたところ、自煙立ち昇るいで湯が沸き出した。そこで農夫は里人とともに湯小屋を設け、湧き口の上に薬師の祠を建て地主神とともに祀った』という故事が伝えられている。そして、その鎌を賓物として保存しているのが、鎌先温泉きっての一條家。一條旅館では、木造一部4階建の本館が、今も当時のままの形で使われている。入母屋の妻面には、大きく一條旅館の屋号が。

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かなり急な傾斜地に建てられていて、下部は部分的に木造4階建である。宮大工が腕をふるい、大正末期から昭和初期にかけて建てられた。それほど装飾性はなく、多くの湯治客を収容することを意図した合理的なつくりで、1本の釘も使わずに、1本の通し柱によって建てられている。
雰囲気としては、東京大学の近傍にある木造3階建の下宿屋、本郷館に似たものを感じる。それにしても、保存状態は素晴らしい。宿のパンフレットは近代的な新館を中心にして構成されているが、湯治客向けの本館も大切にしていることがうかがえる。

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一瞬、近代建築のガラスカーテンウォールに通じるものを感じる。

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昔の鎌先温泉の全景。一條旅館は一番奥にある。

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昔の一條旅館。現存するのは本館くらい(上記2点はいずれも公式ウェブサイトから)。

所在地 宮城県白石市福岡蔵本字鎌先1-48


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三朝温泉-旅館大橋

山陰三朝温泉旅館大橋

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玉造温泉や城崎温泉と並んで、山陰の名湯として知られる三朝温泉。そこに、和風建築の粋を極めた木造旅館がある。その名は「旅館大橋」。日本建築として最高のものを目指し、近郊各地の銘木を集めて、昭和7年に完成した。平成9年、国有形文化財に登録される。「本館」、「離れ」、「西離れ」、「大広間」、「太鼓橋」の5か所が対象で、このようにほぼ全館が登録文化財というのは全国的にも珍しいという。

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旅館としての規模はかなり大きく、全長は120mにもおよび、通り側から全景をカメラに収めることはとても無理。

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三徳川に沿って広がる全景は、風格を感じさせる(宿のパンフレットからキャプチャしたもの。下のサムネイル画像をクリックすると大きく表示される)。公式ウェブサイトからは「永久保存版」と書かれたこのパンフレットをPDFでダウンロードすることもでき、宿の建物へのこだわりが随所に見て取れる。

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正面玄関。

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太鼓橋の外観。

中に上がれば、それこそ和風建築の粋が集めれている。あがり框には肥松の一枚板がおごられている。天井・床柱き各室ごとに違った材を配し、銘木の種類によって、南天の間、桜の間、竹の間、桐の間などと呼ばれている。同じ部屋はまったくないという。


所在地 鳥取県東伯郡三朝町三朝302-1

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法師温泉-長寿館

法師温泉長寿館

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東京から国道17号線(三国街道)をひたすら走る。かつての面影を色濃く残す下新田宿、布施宿、今宿などを経て、猿ヶ京温泉を過ぎると、やがて細い急な坂道を下りる。坂道の途中にはかつての永井宿があり、下りきったところを右に曲がれば、法師温泉へとつながる一本道である。

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国鉄の「フルムーン」のCMで有名になった法師温泉。その建物は、平成18年、国の登録有形文化財に指定された。もちろん、日本秘湯を守る会にも登録されている。手前が「本館」で、桁行30m、梁間14m。杉皮葺、軒せがい造で、玄関上部に切妻の屋根を付け、屋根には煙出しが設けられている。右に見えるのが比較的新しい客室棟の「法隆館」で、登録文化財指定の「別館」は本館の奥にあり、こちらは桁行37m、梁間9m、鋼板葺。

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「法師乃湯」は、桁行12m、梁間10m。寄棟で杉皮葺。屋根は和小屋に一部トラス 棟上に櫓状の換気口を設けている。軒は四周せがい造、外壁下見板張り、アーチ窓といったところ。

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法師温泉の起源は、川に流れ込むお湯を板で囲ってその外を石垣で保護しただけのものだった。「法師乃湯」は、湯船の床が玉砂利となっていて、その下から湯が湧き出してくる。そう、これがかつての川床の名残り。
公式ウェブサイトには面白いことが書かれていて、この湯を塞き止めたときから温泉が川を迂回させ始めたのだとか(人間が温泉を利用することによって川が逃げていった)。現在の川底より「法師乃湯」の底の方が600~800mmも高いのだそうである。1年に1mmずつ川底が深くなると仮定して,1000~1200年の歴史がある、との結論だ。
平安時代が始まった頃から、懇々と沸き続けているわけか。
なるほど。。。 

所在地 群馬県利根郡みなかみ町永井650

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古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

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