FC2ブログ

「自壊する帝国」 ソビエト連邦崩壊の内側を描いた迫真の回想録

jikaisuruteikoku.jpg

今の高校生たちにとっては教科書の中の世界かも知れないけれど、40代後半にさしかかった私が中学高校時代に使っていた地図には、今はなき「ソビエト社会主義共和国連邦」の広大な領土が描かれていました。
それは、ポーランドとの国境から始まり、黒海、カスピ海、中央アジア、ゴビ砂漠、中国国境を経て、日本の北方領土に至るまで、実に広大でした。
これだけ広大な国がなぜ出来るのか、不思議だったものです。
というより、その大きさがイメージできませんでした。
だって、極東のハバロフスクから首都のモスクワまで、シベリア鉄道で一週間近くかかるのだから。
そして、巨大化した帝国が滅びるのも、世界史の必定ですね。
アレキサンダー大王や始皇帝の帝国しかり、ローマ帝国しかり。

でも、20世紀という時代に、このソビエト社会主義共和国連邦がこれほど短期間に崩壊するなどとは、誰もが思わなかったに違いありません。
東西ドイツ統一、チェコスロバキアやルーマニアなどの東ヨーロッパ社会主義国で次々と共産党一党独裁が崩れ、ついにはソビエトも崩壊してしまいます。
特に50代以上の世代にとっては、これほどテレビに釘付けになったのはベトナム戦争のとき以来、であったに違いないありません。

例によって前置きが長くなってしまったが、本書「自壊する帝国」は「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優氏が、モスクワ日本大使館勤務時代に、ソビエト崩壊に内側から直面した経緯を、第三国の大使館の情報部員という立場からまとめたものです。
回想録の形をとっていますが、非常に客観的で、主観的な思い入れや政治的な偏向がなく、ありのままの経緯を客観的に整理してあります。
客観的にまとめられるのは、佐藤氏自身が常に客観的な立場で情報活動をしてきたことの証なのでしょう。

そして、事実は小説より奇なり!
スリリングな展開は、スパイ小説を凌駕する面白さです。

外務省の情報部員がどういう仕事をしているのか、本書で初めて知ることが出来ました。
ロシアでは、何はともあれウオトカで、ウオトカが飲めなければ外務省職員は務まらないらしい。
たまたま酒に強かった佐藤氏は、相手がつぶれるまで酒に付き合い、友人として信頼を勝ち取り、そして、生の情報を引き出しては、客観的に分析します。
このバイタリティーには驚かされました。
そして、あの酒好きのロシア人と対等に渡り合う佐藤氏の語学力と肝臓力にも!

どの世界にも建前と本音があるけれど、マルクスレーニン主義を標榜していたソ連では、輪をかけてそれが顕著だったと思います。
その「本音」の部分にどっぷり浸かり、「建前」との距離感を身体感覚で計測できたからこそ、客観的な分析が可能になったのではないでしょうか。

宗教が禁止されていたソ連で生き続けてきたロシア正教会、ユダヤ・反ユダヤの綱引きなど、「建前」の世界では見えない大きな要因が、巨大帝国崩壊の背後にあったのですね。
驚いたことに、佐藤氏の専門は「チェコスロバキアにおけるプロテスタントの組織神学」で、チェコに留学させてもらえるかもしれないという「下心」で外務省の門を叩いたのだと言います。
ソ連では本質的に役に立たないはず(だった)神学の知識が、実は非常に役立ったというのも、面白いというか、深い意味を感じさせられますね。

人生、何が役に立つかわかりません。
役に立つと思って取り組んだ勉強だって、大して役に立たないかもしれない。
そもそも、役に立つかどうかで勉強する内容を選別するのは、本当の勉強ではないのでしょう。
(勉強しなかった自分がこんなこと言える資格はまったくないのだけれど)
そして、こういう真摯な姿勢で勉強に取り組んできたからこそ、「大使をしのぐ」までの情報収集が可能になったのではないでしょうか。
外務省にはノンキャリアの「外務専門官」で入り、モスクワ日本大使館時代はずっと三等書記官(帰国直前はロシア連邦日本大使館二等書記官)だった佐藤氏は、瞬く間に、大使級でもつかめない人脈を広げてしまったのですから。

佐藤氏を情報分析の最前線から追いやった日本外交は、大きな代償を払うことになったはずです。
それどころか、東京拘置所に一年以上もぶちこんでしまいました。
検察という組織は、人を裁くことはできても、何かを作り出すことはできません。
見かけによらず「人見知りする」という氏は、おそらく政治家への出馬要請も断り、神学研究と著述で生きていくことになるのでしょうか。
そもそも「回想録」なんてものは、棺桶に片足を突っ込んだ年寄りが書くものです。
作者はまだ50代になったばかり。日本の「至宝」を再び外交の最前線で活用しようという意思は、日本の外務省にも民主党政権にもないのでしょうか。

この本、大学生にぜひ読んで欲しいと思います。

それから、本書が面白いのは、ソ連という官僚国家を構成するエリートたちの人物像。
みな教条的なお堅い頭の持ち主ばかりと思いきや、全然そうではないんですね。
それぞれの出自や置かれた立場から、実にいろいろなことを考えています。

個人的には、着任した佐藤氏がモスクワ大学で知り合い、深く付き合うことになるラトビア人のイケメン青年、アレクサンドル・カザコフ氏(サーシャ)が印象に残りました。
バルト三国で有名な「人間の輪」を実現させてソ連を崩壊に導く役割の一端を担った彼は、ソ連崩壊後、あっさりと政治への夢を捨て、実業家に転進した挙句、佐藤氏にあろうことか金の無心に訪れます。
にべなく断ったことを後悔する佐藤氏。
その後、サーシャがどうなったのか、知りたい読者も少なくないと思います。
いずれ、続編で知らせていただければうれしいですね。

新潮文庫 本体781円+税

テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

今どきの旅行ガイドって。。。

結局、4月は一度も更新できなかった。
忙しかったし気持ちに余裕がなかったし、ちょっとだけど身体を壊したりしたので。
まあ仕方がない。
というわけで、あっという間にゴールデンウィークである。

僕は連休中、半分以上は仕事してるので関係ないけど、高速道路1000円とかで、どこも混むんだろうな。

どの書店に行っても、旅行書コーナーがある。なぜか、たいてい入口に近いところにある。
でもって、並んでいるのはどこに行っても、国内旅行・国外旅行とも、同じシリーズものばかり。
内容はだいたい似たり寄ったりで、まるで個性が感じられない。

確かにオールカラーになって、ビジュアルでカラフルにはなった。
しかし、それに反比例するように、「旅の味わい」みたいな要素が消えてしまった。
どの本を開いても、名所旧跡の解説はほどほどに、「食べる」「遊ぶ」「泊まる」ばかり。
おいしい店、素敵なホテルの紹介ばかり。
温泉については、僕は無類の温泉好きだから、こればかりは許せるんだけど。

昔、旅のガイドブックって、こんな風じゃなかった。
僕が高校生だった昭和50年代、伊勢志摩まで、初めて一人旅をした。
もちろん、スペイン村なんぞはなかった頃のことだ。
大して遠くではなかったけど、書店である出版社のガイドブックを買って、隅から隅まで読んで計画したものだ。集団行動の修学旅行なんかより、よっぽどおもしろかった。

その本はいまでも大切に保存しているけど、カラーページは最初の数ページだけ、あとは古色ゆかしい二色刷り。
書いてある内容も民話や説話あり、高野山の修行僧の話や漁師村の海女の話など、実に味わい深い。なにか民俗学っぽい雰囲気もあったと思う。そういう方面に造詣の強い旅行作家が、土地を訪ね歩いて綿密に取材して書いた記事だから、読み応えがあった。

歓楽街の話などもちょっとだけど触れられていて、知らない大人の世界を少し垣間見ることもできた。
伊勢志摩には、「そういう大人のための」小島がいくつかある。もちろん、行ったことはないけど。こういうある種のアングラ情報って、今のビジュアルなガイドブックなら絶対掲載しないだろうけど、でも、旅とはその土地に触れ、感じ、浸かることであって、よそ者向けに整備されたところだけをちょこっと歩いたって、旅でも何でもないわけであって。
作家の視点で土地を綿密に歩いて丹念にまとめた旅行書が、今は本当になつかしい。

それは、登山の世界でもいえることかもしれない。
大手出版社の登山ガイドブックは、だいたい10年に一度くらい改定されている。
同じ山域のガイドブックでも、古いシリーズを見ると、変わってないなあという部分と、ずいぶん変わったなあという部分がある。
ご多分にもれず、登山ガイドブックもやたらビジュアルになった。地形図を見なくても山を立体的に把握できるインターネット上の技術も影響しているのかもしれない。初心者でも気軽に行けるように丁寧すぎる面もある。なんか、見ていると、決められたとおりに歩くだけ、という感じに取れるのだが。

それと、これも旅のガイドブックと同じで、昔の登山ガイドブックには、実に興味深いことがいろいろと書かれていた。昨年、南アルプスの北岳山荘前でテント泊したときのこと。昼過ぎにテントを張ってしまうとヒマで、山荘に遊びに行き、書庫から古い書籍を数冊、借りてテントで読んでいた。
毎年必ず登っている谷川山系のガイドブックでは、僕が読んでいたものにはまるで書かれていないことが書かれていた。まだ生まれるずっと前、昭和30年くらいに刊行された本だったけど、歴史的な話とか民族的な話とか。ただ山に登って下山しておしまいじゃなく、ふもとの村の人々の生活や歴史、風土も味わってこそ、登山の楽しみも倍増するのかな、と思った。

こういう本がなくなってしまったのは、ビジュアル志向に伴う活字離れが原因だろうとは思う。
たしかに、カラー写真はすべての情報を一目で提供できる。
でも、何だか、行ってもいないのに行ったような気分にさせられてしまうのは僕だけだろうか。
しかし、カラー印刷が普通ではなかった頃、少ないモノクロ写真と文章表現を駆使して、イマジネーションを掻き立てていたのである。モノクロ写真と文字表現なら、情報を与えられれば与えられるほどますますイマジネーションがふくらみ、ますます「行ってみたい」という気にさせられるのだが。

果たして、どちらが贅沢だろう。

貧乏なうちはカネがほしくてたまらないけど、いざ金持ちになったら、貧乏でハングリーだったときが懐かしくなる。。。かどうかわからないけど(なぜなら、僕はずっと貧乏なままだから)

神保町の古書店街には、登山書や旅行書を集めた書店があって、昔の絶版本もたまに並んでいる。
今のうちに勝っておいたほうがいいのかな、とも思う。

出版社に提案だが、昔の本の復刻版を出してみたらどうだろう。
僕みたいなヘソ曲がりの物好きは、きっと歓迎すると思う。
意外と当たりそうな雰囲気はあると思うのだが。。。

テーマ : ぼやき
ジャンル : ブログ

7 days in Bali 田口ランディ

7daysinbali.jpg

何を隠そうわたしは田口ランディさんのファンで、旅や山に出かける際には必ずといっていいほど携行しています。そう、山に行ったときテントの中でシュラーフにくるまって読むときとか、温泉につかった後ほってりした身体で読むときとか、ランディ・ワールドに浸かる絶好のシチュエーションですね。

好きな理由はいろいろあると思いますが、そのひとつが、ナチュラルな自然描写でしょうか。たとえば、この作品を読んでいると、話の舞台となっているインドネシアのバリ島の風景が、何だか目に見えるような感じがしてきます。頭の中に自然なイマジネーションを起こさせ、読者をいざなってくれるわけですね。
たとえば、こんな描写が出てきます。
 
日の出が間近らしい。空が充血している。
ものすごく空気が濃い。そういえば夜明け前の一瞬、植物は大量の酸素を空気中に吐き出すのだと聞いたことがある。
………………
しだいに空は狂おしいほどのバラ色に染まっていく。
朝が訪れるって、もしかしたら受胎なんだろうか。
光は闇を孕ませて、今日という日を生むのだろうか。

こういう描写は、森の夜明けの荘厳さを目の当たりにしたことのある方なら、自然な感覚としてフィットするのではないでしょうか。
わたしは北アルプスの蝶が岳という山にここ数年は毎年登っていますが、この山は向かいの穂高から槍が岳までを一望に出来る展望台としても人気があります。そして、この蝶が岳で迎える夜明けの神々しいことと言ったら。。。とても言葉には出来ないですね。あえて言葉にしようと思えば、こういう表現がとてもぴったりです。

ランディさんには、自分が感じたことを素直に自分の言葉に変換できる不思議な能力があるのかも。いろいろな言葉を羅列した過剰な描写はなく、飾りっ気ないのだけれど、短い簡潔な表現で、強いイメージを植えつけられてしまうような気がします。

baliforest.jpg

さて、本作品は、ピアニストの女友達ミツコの足跡を追って、インドネシアのバリ島で過ごした女性の夢心地のような7日間を描いたもの。ストーリーはともかく、バリ島の濃密な自然とそこに暮らす人々の姿が丹念に描かれていて、頭の中でいろいろなイメージが湧き上がってきます。

バリでの森林浴は、さぞかし濃密なものでしょう。
いつか行きたいものです。

2002年 筑摩書房発刊

フィレンツェ・ミステリーガイド

mysteryguide.jpg

昔の観光ガイドブックは、カラーページは最初の数ページだけ、中身は白黒で、かなり読みごたえのある記事もあったような記憶があります。でも、最近のガイドブックは、オールカラーでビジュアルになったのに、中身といえばどれも「グルメ」と「ホテル」が主体で、いかに素敵なホテルに泊まり、美味しい料理を食べるかにかなりのスペースが割かれています。大手旅行会社の企画するツアーも、大体それに類したものですね。特にイタリアツアーに関しては、どの旅行会社も、ミラノ・フィレンツェ・ヴェニス・ローマといった、ほとんど同じようなコースをたどるものばかり。もちろんそれも旅の大事な要素には違いないけれど、物足りないというか、あまりにもミーハーすぎるのでは。。。

というわけで、一味違うイタリアツアーを経験したい方に絶好の書を見つけました。フィレンツェに残る数多の歴史的遺産にまつわるミステリアスな世界にわたしたちをいざなってくれます。白亜の乳房、UFOの聖母、古代神のゆくえ、アッペンニーノの巨人、人体解剖の館、ある死刑囚の足跡、光と影の空中回廊、死を巡る、ポルセンナの迷路、聖女の頭、拷問博物館、法廷の箱庭、白い貴婦人、愛しき女。。。見ているだけで、そそるというか、好奇心をくすぐるタイトルがずらりと並んでいますね。興味を持ったら、図書館に直行しましょう。

一応、仏教国の日本人の目に、イタリアのドゥオーモはいかにも美しく映ります。その荘厳さに触発されてか、帰国して聖書を読み始めたりカトリックの教会に通い始める人も少なくないでしょう。そこには、東大寺や法隆寺ではあまり感じることのない琴線を刺激する何かがあるのは間違いないと思います。でも、その荘厳さの裏には、2000年以上におよぶ長いキリスト教の世界が、いかに一筋縄でいかない、不可思議で不可解でおどろおどろしいものであったかという、歴史の真実の一端を垣間見せてくれます。

ま、そんな屁理屈をこねなくても、フィレンツェに旅行する際にはぜひ、スーツケースにしのばせておきたい。本書の導きにしたがって、フィレンツェのミステリーウォークをしてみたい。フィレンツェに行くお金がない人も、インターネットで写真を探索しながら、イマジネーションをふくらまし、旅行気分を味わえること間違いなさそうです。

実はまだ読んでいる途中ですが、面白いので、フライングで書いてしまいました。著者はボローニャ在住のエッセイストで、日本の漫画をイタリア語に翻訳したりしているそうです。文章がとても上手で臨場感にあふれ、読みやすい。学者的でもなく通俗的でもなく、ほどよいテイストに仕上がってます。


市口桂子 著
白水社
定価:2,000円+税


悲しきアンコールワット

mitome.jpg


 今の若い世代は、三留理男氏の名を知らない人も多いかもしれません。私が彼の名を知ったのは学生の頃で、集英社写真文庫「チュイ・ポン-助けて」を買ったのが最初でした。報道写真家としてインドシナやアフリカの危険地帯を駆けずり回り、数々のスクープ写真を配信した「猛者」です。当時、ベトナム戦争で殉職した沢田教一氏や、女流写真家の大石芳野氏の著作や写真集などをけっこう読みあさっていまして、ポル・ポト派による大量虐殺を取り上げた映画「キリング・フィールド」がリリースされたのは、それからじきのことでしたね。

 この映画も、政治的なスタンスはともかく、当時のカンボジアの現実をかなりリアルに再現していて衝撃的だったのですが、三留氏の「チュイ・ポン」は写真という静止画だけに、映画以上に衝撃を受けたものです。ベトナムとタイ(ならびにそのバックの大国)にはさまれ、正規軍とゲリラ軍の果てしない泥沼の内戦により、難民となった無数のインドシナ民衆の姿が、これでもかとばかりに出てきます。戦争は大量の難民を生む。ドンパチの戦場ではなく、戦争がもたらした難民の現実にシャッターを向けた三留氏の写真文庫は、今でも大切に持っています。

 かなり前置きが長くなりました。実は、これからが本題なのです(やれやれ)。
 終戦記念日の日、会社帰りにふらりと入った書店で、なつかしい名を目にしました。
「三留 理男」
  お。。。と思い、衝動買いしたのが本書。何年ぶりに目にした名だろう、と思ってプロフィールを見たら、1938年生まれとあります。もう70歳近いじゃないですか。なのにまだ現役だなんて。すごいの一言。

 内容は、彼が長らく報道写真の舞台として駆けずり回ってきたカンボジアの至宝、世界遺産にも登録されたアンコール・ワットの盗掘問題です。アンコールワットは、12世紀にジャヤバルマン二世により建立されたヒンドュー寺院で、壁という壁には美しいレリーフが埋め込まれています。
 今でこそ平和の国となったカンボジアで、多くの観光客で賑わっていますが、一方で「盗掘→密売」の被害にさらされ続けてきました。それでなくとも、ジャングルの中の苛酷な環境にあります。それがいまや「一大産業」になってしまった盗掘により、さらに荒廃が進んでいるのです。彼は、戦争が終わった後も、カンボジア行きをやめませんでした。そして、取材テーマを「遺跡の盗掘と密売」に変え、10年にわたり取材してきた成果をまとめたのが、本書というわけです。

 カンボジアのGDPは北朝鮮などと並んで世界最低水準です。そんな国のジャングルの中に、世界に誇る遺跡が鎮座しているときたら、それがターゲットにならないはずがないわけであって。今まで数百年の間、アンコール王朝が滅んだその日から、盗掘の被害に蝕まれ続けてきた悲しい歴史を、豊富な資料に基づいて具体的に書きつづっています。

 結局、つきつめれば、需要があるから供給があるという、単純なことなのかもしれないけど、それが「一大産業」にまで確立されるには、カンボジア社会の特異な側面が影響しているようです。長年のカンボジア取材で、政治・経済・文化に精通している三留氏だからこそ、遺跡の盗掘・密売の背景にある構造的な要因をリアルに浮き彫りにできたのではないでしょうか。
 たとえば、「遺跡ビジネス」はかのポル・ポト軍の重要な資金源になっていたという事実。ポル・ポト派は、元首相が死んだ後も、その残党は一部は正規軍の軍服に着替え、一部は完全武装のゲリラ兵として残存しており、タイ国境での密輸ビジネスを仕切っています。遺跡盗掘・密売ルートは、こうした事実と向き合わない限り、決して解明できるものではないし、解決など到底できるものではないことを教えてくれます。

 そのポル・ポト派はかつてジャングルの中のアンコールワットを前線基地とし、天使や天女の像を射撃訓練と称してぶち抜く一方、はぎ取った仏像を密輸して軍資金を得ていました。アフガンで潜伏中のタリバンも、かつてダイナマイトで有名な歴史遺産を破壊しました。砂漠とジャングル、赤色左翼とイスラム過激派という違いはありますが、各地をゲリラ的に転々とし、文化財を傷つけるなど、不思議なほど似ていますね。

 ユネスコはじめ各国の懸命の努力にもかかわらず、この100年のうちにアンコールワットは崩壊してしまうかもしれません。「遺跡を残す」とはどういうことなのか、根本的な(同時に永遠に解決不能な?)問題を投げかけているように感じました。


集英社新書
定価 700円+税

テーマ : レトロを巡る旅
ジャンル : 旅行

プロフィール

fabio777

Author:fabio777
古民家での晴耕雨読な暮らしに憧れる軟弱な熊谷都民。

ブログ検索
カテゴリ
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索
リンク
RSSフィード